序章
目覚まし時計が鳴り出す一〇分前に、少女はトーストの香りで目を覚ます。
毎朝きっかり、ちょうど一〇分前に、彼女は長い夢から現実へと帰還する。アラーム音など鳴らしはしない。
少女は目覚まし時計を嫌っていた。補給を終えた軍隊が戦地に赴くような、この万全の目覚めを、けたたましいベルの音に強いられることを何よりも嫌っていた。
だから、彼女の目覚まし時計はここ数年、職務を果たした試しがない。
「だって、何についても、強制されるって最悪なことよ? 目覚まし時計なんてチープな機械に起こされた日には、何をしたって憂鬱だわ。害悪よ。人生を腐らせるわ」
「なら最初からアラームなんてセットしなければいいでしょうに」
「保険よ保険。仕方ないじゃない。いくら私だって、三〇年に一度くらいは寝坊するわよ、きっと」
「はいはい。下らないこと言ってないで、さっさと朝ごはんを――って、あら?」
彼女の朝は早い。朝の支度も速い。顔を洗い、歯を磨き、戦闘服に着替えたら、朝食を済ませて出かけるだけだ。化粧要らずの整髪要らず、彼女は半刻だって必要としない。
「もう食べ終わったの? 毎朝毎朝、もっとゆっくり食べなさいよ」
「どっちなのよ」
玄関先で、彼女は皮肉げに微笑んだ。
――さあ、戦争の始まりだ。