第7話・1
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ユウマにスイス留学の話を持ちかけられてからトオルは、もう一度時計師の事を真剣に考えていた。
スイス行きの話は、とても魅力だった。
時計師になりたい気持ちも、だんだんと強くなってきていた。
ユウマの言うように、言葉を勉強する事が必要な事はトオルにもわかっていた。それには、拘束時間の長い部活との両立は無理だという事も。
学校へ登校する間も、ずっと俯きながら考え込んでいたトオルに、後ろからやって来た陽平が肩をたたいた。
「トオル。昨日のヤツ、何の話だったわけ?いきなり来たんだ。何か急用だったんだろ?」
考え事をしていて、自分に近付く陽平の気配にも気付かなかったトオルは、ビックリしたように顔を上げた。
「あ…、うん…。まあ…」
「何だよ。オレには言えないってわけ?昨日はオレの方が先約だったのにキャンセルしてやったんだ。オレには聞く権利がある。話せよ」
陽平は、今日ばかりはトオルの曖昧な返事を認めなかった。当然の権利を主張して聞きだそうとする陽平に、トオルは渋々スイス留学の話が出ている事を話した。本当は、自分でもまだ迷っている状態だから、ちゃんと答えが出てから話したいと思っていたのだが。
トオルの話を聞き終わると、陽平は「フーン」と、まるで夢物語でも聞いたかのように笑った。
「さすがデザイナーの息子だよな。留学なんてさ。まあ、アイツは自分もデザイナー気取りっぽかったから、やりそうだけどな」
トオルは、陽平が初めてユウマと会った時の事を思い出すと、そうとられても仕方ないと思い、
「うーん…」
と、言葉を濁した。
「でも、わかってないよなー。オレら一般人は、そう簡単に留学なんて出来るわけないのによ。やっぱ、オレらとは次元が違うってコトだな」
そう言うと陽平は、トオルの意志も確認しないままさっさと留学の話を終わらせ、他の話題に振ってしまった。
中間テストが終わり、それまで休止状態だった部活動は再開される事になった。久々に部員が集まる各部室は、普段のように体育会系のノリで騒がしくなっていた。そんな中、サッカー部の部室だけは雰囲気が違っていた。「トオル!どういうことだよ!サッカー部辞めるって事か?本気で言ってるのか?」
部室内には、陽平の怒鳴り声が響いた。
この日は、二人が一番のりだった為、まだ他の部員は来ていなく、この場を見ている者はいなかった。トオルが、それを幸いに話を切り出したからなのだが。
陽平がこんな風に怒る事を覚悟していたトオルは、静かに頷いた。
「ああ。そうしようと思う」
冷静なトオルの態度は、感情を逆撫でしたようで、更に逆上した陽平は一気にまくし立てた。
「えっ?何だよ急に。新人戦はどうするんだ!今度はオレもオマエもレギュラーなんだぞ!それを今更…。それに、高校はサッカー推薦で藤森に行くって言ってただろ?今辞めてどうすんだよ!言っておくけど、藤森はレベル高いから、オマエの成績じゃ一般入試で入れないぞ!」
陽平は、怒りで肩が震えていた。そして、
トオルをジッと睨んでいる。
見た事のないその瞳は、突き刺さすように鋭く、トオルは胸に痛みを覚えた。だが、決して視線を逸らしたりはしなかった。
しっかりと陽平の瞳をとらえ、自分の意思をハッキリと伝えた。
「高校には、行かない。オレ、中学卒業したらスイスに行こうと思う。時計師になりたいって言ってただろ?」
「ハッ?またその話か!スイスなんてっ…。だいたいオマエ、それは高校卒業してから専門学校に行くって言ったじゃねえか!」
間髪入れず、声を上げる陽平。ここまで陽平が怒りをあわらにしたことは無かった。
さすがにトオルも戸惑ったが、陽平にはどうしてもわかってもらいたくて、気持ちを正直に伝えた。
「そのつもりだったんだけど、オレにも…。オマケみたいなモンなんだけど。とにかく、オレにもチャンスをくれるって言われてるんだ。オレはそのチャンスに賭けてみたい」
「……」
頭に血が上っていた陽平だったが、トオルの真剣な眼差しに気付き、返す言葉を失ってしまった。わなわなと肩を震わせ、トオルを睨みつけていた瞳は、いつの間にか下を向いていた。
「…悪い」
そう言うと、トオルも目を伏せた。