その2
四年前、裏切り者の宰相がクーデターを起こし、都を追われたエレーナ姫とルーファス王子は僻地の呪われた地に住む妖精森の大魔女に助けを求めた。
そこに住んでいたのは、始祖の大魔女の親戚【茶色い髪の魔女 カナ】だった。
魔女カナは幼いルーファス王子に「仲間を助けてやるから自分の仕事を手伝え」といい、魔女の奴隷ではなく親方と弟子の契約を交わす。
オヤカタは魔女の世界の道具で夏別荘の子供部屋を整え、広場に頑丈な石窯を作り、王子に車輪の魔物を使役する方法を教えてくれた。
これまで真綿に包まれるように大切にされていた王子は、少し乱暴で子供にもどんどん仕事を言いつける、でも頑張ればしっかりと認めてくれるオヤカタと一緒にいるのが楽しかった。
自由で大らかな夏別荘で暮らしている間に、次第にルーファス王子は【茶色い髪の魔女 カナ】にほのかな憧れを持つ。
そして別れの日、子供のように泣きじゃくる魔女カナの姿が瞳に焼き付いて離れなくなった。
「また妖精森に遊びにくるから、僕のことを忘れないで。
そしてオヤカタも、僕に会いに来て」
ルーファス王子はその言葉通り、満月の夜になると魔女カナに会うために妖精森を訪れるが、黒い扉に阻まれて中に入る事が出来ない。
しかもその行為が【茶色い髪の悪い魔女】の呪いと人々の間で噂され、どんなに王子が説明しても噂は大きくなるばかり。
そして【茶色い髪の悪い魔女】から王子を守るという名目で、王都の高位神官たちが蒼臣国に送り込まれた。
『魔女の呪いの届かない王都の大聖堂で、ルーファス王子を保護する』
それは以前から、祖先返りの魔力を持つルーファス王子に目を付けていた最高位神官の企みだった。
地方小国の蒼臣国は、世界を統べる覇王と最高位神官の命に逆らえない。
せめて王子が十二歳になるまで待ってくれ。と頼むのが精一杯で、ルーファス王子が妖精森を訪れる事ができるもの今年が最後だ。
***
黒い鉄の扉は、音も立てず静かに開く。
外の世界は満月の夜。しかし妖精森の中はまだ明るく、日が沈む少し前だった。
常緑樹の多い妖精森は真冬でも緑に覆われているが、幼かったルーファス王子の知る真夏の賑やかな森ではない。
十二月の冷たい風が森の木々の間をすり抜けて、晴れた空もどこか寒々しい。
「妖精森の遊歩道はもっと幅が広いはずなのに、こんなに狭かったかな?
そうか僕の体が大きくなったから、道が狭く感じるんだ。
冬の世界の妖精森は散った花の代わりに、赤や黄色や緑の光の花が咲いている」
夏別荘へ向かう白い石畳の道はクリスマス仕様になっている。
カナに妖精森の管理を頼まれたコンおじさんは、わざわざ太陽光発電板を設置して枯れ木にLED豆電球を巻きつけライトアップしているのだ。
しかしそんな事など知らないルーファス王子は、魔女カナの魔法がこの景色を生み出したと勘違いしている。
枯れ木には赤いリボンや金の鈴や星が飾りつけられ、その楽しげな雰囲気に王子の足取りも軽くなる。
冬の日暮れは早い。次第に周囲が暗くなり夏別荘が近くなると、道の向こう側が明るく輝いていることに気付く。
遊歩道を抜けて夏別荘前の広場に出たルーファス王子は、驚きのあまり言葉を失う。
四年ぶりに訪れた懐かしい夏別荘は、ド派手できらびやかな建物に変貌していた。
「うわっ、大変だ、館の入口が真っ赤に燃えている!!
えっ、これは炎じゃない。紐に沢山の小瓶が繋がって、中で光が点滅しているんだ。
夏別荘がキラキラと輝いて、なんて美しい。まるで星々の光が宿ったようだ」
赤いイルミネーションライトが数百個、夏別荘の玄関ドア周囲に飾られて、それを見た王子は玄関が燃えていると勘違いした。
花火をイメージしたゴールドに赤紫のライトが広場のシンボルツリーに張り巡らされ、まるでネズミーランドのエレクトリカルパレード状態になった夏別荘を、ルーファス王子うっとりと眺めていた。
そしてふと、窓ガラス越しに見た夏別荘の応接室にある人影に気付いた。
「あっ、夏別荘の中に赤い服を着た老人がいる。
剛腕族のように体が大きくて立派な白髭をたくわえた、とても貫禄のある老人だ。
もしかしてあの方が、オヤカタのよく話していたコン王さまなのか?」
それは応接間に飾られたクリスマスツリーの側に飾られた、等身大サンタクロース人形だった。
とてもリアルに作られた可動式サンタ人形で「HAHAHAHA」と笑いながら手を振る。
すると何故か等身大サンタクロース人形のスイッチが入って、窓の外のルーファス王子に笑いながら手招きをした。
***
カナは夏休みから四ヶ月ぶりに妖精森を訪れる。
その間の別荘管理は、雑貨店のコンおじさんに頼んでいた。
妖精森の夏別荘は、地元小学校の宿泊学習や老人会のクリスマスパーティー、先週は警備保証会社の忘年会会場に使用されて結構人気物件なのだ。
「お正月は地元商工会の新年会が夏別荘で開かれるんだよね。
いちおうワタシは別荘オーナーだから、新年会は晴れ着で『お・も・て・な・し』の接待役。
その前に大掃除よ。夏別荘の一年の埃を払って新年を迎えよう」
カナは妖精森入口の広場に白のワゴン車を停めると、いつものように荷台から折りたたみ自転車を降ろす。
背中に工具箱の入ったリュックを背負い、そして助手席に置かれていた一冊の絵本を手に取るとしみじみと呟いた。
「この妖精森地域の民話集は、よく大叔母さんに読んでもらったわ。
中に書かれている神隠しの妖精話が一番おもしろかったけど、それが本当の話だったなんて。
ルーファス王子やアシュさんは、私の住む世界とは違う場所から来た人たちなんだ」
その地元民話本には、逆浦島太郎のような神隠しの話が書かれている。
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妖精森の中を歩いていた男は、いつの間にか美しい妖精と大男の住む国に迷い込み、そこで一年過ごして戻って来た。
しかし男が神隠しに遇ったのはたった一月で、二度と向こうの世界に行くことはなかった。
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お話に出てくる美しい妖精と大男は、まるで王子と隊長だ。
でもあの楽しかった素敵な夏休みは確かに現実で、夢の世界じゃない。
生意気だけど頑張り屋の小さな男の子、カナはルーファス王子を自分の本当の弟のように可愛がった。
会えないなんて絶対嫌だ、もう一度ルーファス王子に会いたい。
カナは妖精森入口に取り付けた鉄の扉の前に立つ。
そして古びた黒い鍵を扉の鍵穴に差し込むと、カチャリと音がして扉がゆっくりと開き始めた。
妖精森の白い石畳の遊歩道を自転車で走るのは久し振りだ。
遊歩道や夏別荘はコンおじさんの手によって派手なイルミネーションが施され、広場の巨木はクリスマスツリー状態で沢山のオーナメントが飾り付けられている。
「クリスマスは終わったけど、せっかく綺麗に飾っているからこのままで新年会してもいいよね。
さて、建物の中はどうなっているのかな。サンタ人形だけは片付けなくちゃ」
カナは真っ赤にライトアップされた夏別荘の玄関ドアに手をかけた。
すると、鍵がかかっているはずの玄関ドアが簡単に開く。
「あれ、まさかコンおじさん、夏別荘の鍵をかけ忘れたの?」
そっとドアを開いて玄関ロビーに入ると、応接室から人の気配があり中から話し声が聞こえる。
それはとても聞き覚えのある、少し生意気で明るい男の子の声……。
「えっ、まさかルーファス王子が来ているの!!」
カナは夏別荘の広い玄関ホールを横切り、応接室へと続く扉を勢いよく開けた。
大きな暖炉の前にクリスマスツリーが置かれ、部屋中を金銀のモールで飾り付けている。
天井から天使や星を形どったランプが吊され、部屋の中央に置かれた三人掛けソファーに腰掛けているのは等身大サンタクロース人形だった。
そのサンタ人形に、一生懸命話しかけている見知らぬ少年がいた。
「コン王さま、僕は母上から受け継いだ魔力を生かし、王子として国の役に立つ人物になりたい。
でも象牙の塔に籠もり、毎日本を読むだけの神官や魔導士にはなりたくない」
サンタ人形に身の上相談をしている少年は仕立ての良い紺色のコートを羽織っていて、背丈はカナと同じぐらいの銀色の髪をした外人さんだ。
そして姿は見えないけど、王子の声が聞こえる。
王子はどこに隠れているのだろう。カナは首を傾げながら、銀色の髪の少年に声をかけた。
「この部屋から王子の声がするわ。
ねぇルーファス王子はどこにいるの、それから君は誰?」