その17
冬薔薇塔の中の【茶色い髪の悪い魔女】が目覚めたと報告が入った時、最高位大神官は両脇に派手な化粧の修道女をはべらして爪の手入れをさせていた。
その報告に最高位大神官は喜々として立ち上がり、簾を払いのけ祭壇から降りる。
「そう、やっと目を覚ましたのですね。
さすがの魔女も出口のない塔の中に幽閉されたと気づけば、今頃無様に泣き叫んでいるはず。
魔女の見た目に易々と騙された愚かな民へ、本当の【茶色い髪の悪い魔女】の醜い姿を見せましょう」
祭壇の下には蒼臣国の有力者たちが呼び集められていた。
最前列にいる反王族派貴族は含み笑いを浮かべているが、他の者はいきなり最高位大神官に呼び出された理由が分からず、これから何が起こるのかと戸惑っている。
最高位大神官は中央に敷かれた赤絨毯の上を歩きながら集まった人々を眺め、そして最後尾に控える神官の男のところまで進むと、手に持っていた魔鏡を突きつけた。
「さぁ、臆病者の下位神官ルート。
何をぐずぐずしている、その魔鏡に冬薔薇塔の魔女を映し出しなさい」
「ひぃ、分かりました。さ、最高位大神官さま」
うろたえる臆病な神官を、最高位大神官は鏡のヘリで頭を叩きながら急かす。
神官ルートは震える手で魔鏡を受け取ると、周囲の人々に鏡が見えるように高々と頭上に掲げた。
正面の祭壇に戻った最高位神官は豪奢な椅子に腰掛け、ひとりの美しい修道女を呼び寄せると膝の上に乗せると、人々にこう告げた。
「この娘は王都の大聖堂に務める修道女の中でも最も従順で賢く美しく、私の娘として迎えるにふさわしい娘です。
ルーファス王子が私の弟子として魔術を学ぶことになれば、王子のお世話はこの娘に任せます。
どうです、ルーファス王子に相応しい美しい娘でしょう。
それに引きかえ【茶色い髪の悪い魔女】はただの田舎娘。
さぁ、今から魔女の化けの皮を剥いでやりましょう」
そして最高位大神官は勝ち誇ったように高笑いをすると、他の神官たちも魔女を罵倒しながら笑う。
しかしただ一人、臆病な神官だけは顔面蒼白でガタガタと震えながら、鏡に魔力を注ぎ込んだ。
街道の町の小さな聖堂に現れた王都の神官は、町中の人々を広場に集まるように命令した。
聖堂前に陣取る神官は広場に集まった人々をひざまずかせると、高圧的な声で怒鳴るように話し始める。
「いいか、ルーファス王子さまに呪いをかけた【茶色い髪の悪い魔女】は、最高位大神官さまに捕らえられ冬薔薇塔の中に幽閉された。
貴様等は魔女が蒼臣国を豊かにしたと言っているが、この鏡は魔女の本性を暴き、泣き叫ぶ醜い姿を映し出す!!」
「ルーファス王子一行が連れていた、広場で曲芸を披露した愛らしい娘がまさか【茶色い髪の悪い魔女】?」
王都の神官の言葉に人々は戸惑いの声をあげながら、聖堂の前に置かれた姿見を凝視した。
その鏡の中には、瓦礫の散らばる廃墟で小柄な娘が忙しく動き回っている姿が映し出された。
長い茶色い髪を後ろにひとくくりにして破けたドレスを着た魔女が、細い両手で大きな瓦礫を抱えてせっせと運んでいる。
「おい、あんな手足の細い小柄な娘に瓦礫を運ばせるなんて、まるで奴隷扱いだ」
「どこに泣き叫ぶ醜い姿をした魔女がいるんだい。
鏡に映っているのは、魔導車輪に乗って楽しそうに笑っていた娘じゃないか。
かわいそうに、辛そうに歯を食いしばって……重たい瓦礫を無理やり運ばされている」
人々の間でどよめきが起こる。
街道沿いの町の女神像をほめたたえ、広場で曲芸をして人々を楽しませた【茶色い髪の魔女】が、たった一人で強制労働させられていた。
年輩の女領主は魔鏡を見て悲鳴を上げ、思わず一人の男が立ち上がると、王都から来た神官に飛びかかる。
「この無礼者、我々は王都より来た高位な神官だぞ。
お前たちのような下民が、最高位大神官さまに逆らうつもりかぁ」
「うるさい、何が王都の最高位大神官だ。
俺たちの大切なルーファス王子を奪いにきた連中め。始祖の大魔女に呪われろ!!」
「王都の神官どもは、魔女さまの使い魔ケルベロスに魂を食われるがいい」
都から離れた街道の町に派遣された神官は十人程度だった。
魔女を助けろと怒る町の人々に取り囲まれると、あっという間に捕えられた。
***
「ごちそうさまでした。
ふぅ、美味しい朝ごはんとデザートもたっぷり食べたし、次は体を動かさなくちゃ。
まず手始めに、二階のバスルームを大掃除してお風呂に入れるようにしよう」
これから二階浴室の大掃除の始まりだ。
カナは螺旋階段をのぼると、二階は床に瓦礫が散らばり壁を不気味なツタが這った、まるで朽ち果てた廃墟のような空間が広がっている。
部屋の中央に大理石で作られた大きな浴槽があり、中は半分瓦礫で埋まっていた。
浴槽のふちには巨大な獅子の彫刻があり、開いた口からチョロチョロと水が流れ出ていた。
カナは絹の寝間着から、自転車に乗った時に裾を破ったドレスに着替える。
このドレスは一見すると作業に不似合いだが、ロングドレスのスカート部分を広げれば、一度に大量の瓦礫を運べるのだ。
最初に彫刻のライオンの口にドレスの端切れを押し込んで、水の流れをいったん止める。
そしてカナは浴槽の中に降りて、バールを勢いよく振り下ろし大きな瓦礫を砕いた。すると瓦礫は思ったより軽い音を立てて簡単に割れた。
「あれ、この瓦礫ってよく見たら彫刻のライオンと同じ陶器で出来ている。
沖縄みやげのシーサーは雄雌二対だから、このライオンも二対セットになっていて、片方が浴槽の中に落ちて割れたのね」
DIY好きのカナに好奇心が芽生える。
もしかして破片をつなぎ合わせれば、壊れた彫刻が修復できるかもしれない。
軽い陶器の瓦礫は、小柄なカナでも軽々運ぶことができる。
大きな瓦礫を一つずつ両手に抱えて運び、浴室の隅に置かれた空の木箱に納めた。
浴槽の中にある瓦礫をひとかけら残さず木箱の中に納めるのはかなりの重労働だが、滋養強壮に良いと言われる完熟金剛白桃を食べたカナは全く疲れない。
カナはこぶしを効かせた演歌を口ずさみながら、瓦礫運び作業を繰返す。
街道の町の人々にはそれが、小柄な娘が辛そうに歯を食いしばって、重たい瓦礫を無理やり運ばされている様に見えたのだ。
全部の瓦礫を片付けたが、数年間の汚れが蓄積したバスルームは、これからが大掃除本番だ。
「大理石の浴槽半分に水を張って、洗剤のラベルに書かれた説明通りに五分間つけ置きしたら、うわぁ、すごい!!
大理石の黒ずみがタワシで軽く擦るだけで簡単に落ちて、真っ白ピカピカになった」
そのリアクションはまるでお昼のテレビ通販CMのようで、浴槽のヘリにかがんでタワシを擦っていたカナは、作業用ブーツを脱いでロングドレスの裾をまくりあげると、直接浴槽の中に飛び込んだ。
「ミノダさんの警備保証会社はハウスクリーニングも手がけているから、これはプロ御用達の洗剤ね。
簡単に大理石の汚れが落ちて綺麗になる。この浴槽はとても綺麗な模様の入った白い大理石で、手触りもすべすべして気持ちいい。こうなったら徹底的に洗うわよ」
それからカナは自分自身も泡だらけになりながら、浴槽を綺麗に磨き上げる。
すると真っ白でピカピカな浴槽と、周囲の汚れた床との対比が嫌でも目に付いた。
完熟金剛白桃の滋養強壮ドーピング効果が続くカナは、浴槽から勢いよく出ると、次は両手にスポンジを握り二刀流状態で床を擦り始める。
「このリュックに入っていた『激しく落ちるスポンジ』って、水で塗らして擦るだけで床のタイルの汚れが落ちるわ。
ここも三階と同じで、モザイクタイルを組み合わせた絵が床に描かれていて、とても素敵だわ」
コケが生えて黒ずんだ床のタイルは、スポンジで擦ると鮮やかな元の色に戻る。
タイルを擦るたびに汚れた床から美しい絵が現れるので、カナはそれが面白くて掃除の手が止まらない。
そしてカナは二,三時間程度、集中して二階浴室の大掃除を続けた。
カナの感覚での数時間は、この世界では半日以上時間が経過していた。
けばけばしく飾りたてられた冬薔薇聖堂の中に集められた有力者たちは、魔鏡に映し出された【茶色い髪の悪い魔女】が、魔法を使わずせっせと働き続ける姿に感嘆の声を上げた。
「なんて健気な働き者の娘だ、一度も休憩をとらずに半日以上働き続けている」
「ああ、俺の館の怠け者の召使いたちに、娘が働く姿を見せてやりたい。
一切掃除に手抜きをせず、あんな小さい体で三人分の働きをするぞ」
「それに引きかえ、最高位大神官の連れた派手な修道女たちを見てみろよ。
最高位大神官に媚びながら、ずっと菓子を食いまくっている」
集められた有力者たちは最高位大神官に聞こえないように声を潜めて話しているが、ザワザワとわき起こる不穏の声に気づかないはずがない。
最高位大神官の隣で長時間鏡を見ていた修道女が退屈して大きくアクビをすると、どこからともなく失笑が沸きおこる。
最高位大神官は額に青筋を立てて修道女を自分から引き離すと、椅子から下りて赤絨毯の上を駆け下りる。
そして臆病な神官から手鏡を取り上げると、怒りにまかせ床に投げて叩き割った。
「うぐぐっ、【茶色い髪の悪い魔女】の姿に騙されるでない。
彼方の世界の女は魔導カラクリに掃除洗濯皿洗いをさせ、料理もチンと鳴る箱に作らせるのです。
連中は働き者の真似をするのが得意で、腹の中では男を利用することしか考えない悪い魔女だ!!」
***
じゃぶじゃぶじゃぶ
湯船に浅く溜めた水に洗剤を入れて、カナは洋服を踏み洗いする。
「王子から借りた服を汚したけど、自然に優しい洗剤は衣服も洗えるから便利。
ライオンの口に赤い火打ち石を置けば、ちょうどいい湯加減のお湯が吹き出してくる。
お湯で洗濯するから、服のしつこい汚れも落ちやすいのよね」
お湯を沸かすのも、お風呂を温めるのも、女騎士アシュからもらった赤い火打ち石が重宝している。
カナは洗濯の終えた服を、ライオンの彫刻の尻尾に引っかけて干した。
そして浴室の隅の置かれていた派手な装飾の施された手鏡を拾って持ってくると、鏡をのぞき込み自分の頬や首回りを映す。
「少し頬がぷよぷよして、あごの下に贅肉が付いたような……まさか気のせいね。
お風呂に浸かればカロリー消費するし、やっと念願のリラックスタイムよ。
こんなに豪華なお風呂を独り占めできるなんて素敵。
しかも天井に薔薇の花が咲き乱れて、なんてゴージャスなの」
モザイクタイルの床と大理石の浴槽を磨いて大掃除したが、さすがに赤煉瓦の壁に這う薔薇のツタはそのままだ。
壁から天井に這うツタは小さな赤い薔薇の花を咲かせ、ここが閉じられた塔ではなく露天の庭園のような錯覚を起こさせる。
湯船のお湯を入れ替えて、溢れるほど湯を満たすと、忘年会残念賞景品の日本名湯入浴剤を注ぎ込む。
そしてカナは着ていたドレスを脱ぎ捨てると、乳白色になった湯の中に飛び込んだ。
※「なろう大賞2014」規定10万文字で締切は4月末日。
現在文字数69000、残り1ヶ月で約3万文字……頑張ります。