その14
「始祖の大魔女の後継者である【茶色い髪の魔女】を、冬薔薇塔へ案内しましょう」
祭壇の裏側に回り壁の一部を押すと壁が観音開きに開いて小さな隠し扉が現れ、金ピカの法衣を着た最高位大神官は薄ら笑いを浮かべながら、カナに手招きをした。
聖堂の中に入ってからカナは激しい睡魔に襲われ、意識がもうろうとした状態で誘われるがまま扉の中に入ってゆく。
扉の中は床が仄かにひかる狭い廊下が続き、五十メートルほど進んだ先の突き当たりに扉があり、その前で最高位大神官はカナが来るのを待っていた。
「ここは始祖の大魔女の住まいであり、そして修行の場である冬薔薇塔の入り口です」
「あれ、このアイアン製の流線デザインの扉って夏別荘入り口と同じ。床に描かれた丸い模様は、ファンタジー映画で見たことのある魔法陣だわ」
最高位大神官は扉を開こうとドアノブに手をかけたが、鍵の掛かった扉は開かない。その時男が悔しげに唇をかみしめた顔は、後ろにいるカナに見えなかった。
「この扉を開けることが出来るのは、大魔女の後継者とその弟子だけ。【茶色い髪の魔女】が大魔女の後継者なら、この扉を開くことが出来るはずです」
最高位大神官は口元に笑みを張り付けたまま扉の前から下がると、カナにニホン語で話しかけた。
『最高位大神官ノ、私デモ、大叔母ニハ、逆ラエナイ。
オ前ガ本当ニ、大叔母ノ後継者ナラ、証明シテミロ』
『最高位オジちゃんはワタシがこの扉を開く事が出来れば、大叔母さんの後継者で王子はワタシの弟子だと認めるのね。
夏別荘と同じ扉なら、大叔母さんから預かった鍵で開くことが出来るはず』
カナは扉の前に立つとコートの内ポケットから古びた鍵を取り出した。
ドアノブの鍵穴に鍵を差し込むと、カチャリと音を立てて扉が静かに開く。
冬薔薇聖堂の隠し扉から入り、薄暗い廊下を進んで突き当たりの扉の先で見たものは……。
カナは眠気が吹き飛ぶほど驚いて、おもわず大声を上げた。
「えっ、床の絨毯もベッドも衣装棚も全部同じ。
それに懐かしい薔薇の香り、ここは夏別荘の大叔母さんの部屋そっくりだわ!!」
扉の向こうは八畳ほどの個室になっていた。
白を基調にした家具や調度品は夏別荘にあるものと全く同じで、ベッドには大叔母さん手作りのクッションカバーに、椅子の上に置かれたカゴの中には編みかけの毛糸玉がある。
そこはさっきまで部屋の主が居たような生活感あふれる空間になっていて、カナは無意識のうちにフラフラと部屋に足を踏み入れる。
カナの睡魔はピークに達し、ここが夏別荘なのか何処なのか判断がつかなくなっていた。
そして背後でゆっくりと扉が閉まり、入口の扉そのものが消えても気付かない。
「もう立っていられない、とても眠たい、眠たいよ。
大叔母さんが戻ってくるまで、ベッドで休んでもいいよね」
カナの目の前には、柔らかくて温かい毛布にフワフワのベッドがある。
その場で重たいコートと背負ったリュックを下ろし、着ていた服を脱ぎ捨てるとリュックの中から寝間着を出して、意識朦朧とした状態で着替える。
ベッドに倒れ込んで枕を抱きしめると、大叔母さんが身につけていた懐かしい薔薇の香りがする。
リュックから転がり落ちたカナの腕時計は、深夜【23:54】を示していた。
こちらの世界で、魔女は八日起きて二日寝るという。
【6:45】に腕時計のアラームが鳴るまで、カナは自分が黒薔薇塔に閉じこめられたとも知らず丸二日間爆睡する事になる。
狂ったように笑いながら隠し扉から出てきた最高位大神官の姿に、神官たちは恐ろしさで震え上がった。
「ふぁあははーー、馬鹿な娘ですね。簡単に罠にはまってしまいました。
冬薔薇塔は始祖の大魔女が厳しい修行を行うために、結界を張り巡らし籠もった場所。
一度足を踏み入れれば一月は外に出られない。外界との接触を禁じられた塔の中に幽閉されます」
そのとき聖堂の正面扉が激しく音を立てて開き、巨漢の豪腕族ウィリスと侍女長ハビィが中に乗り込んできた。
「今の話は本当ですか、カナさまを何処に閉じこめたのです!!」
「カナさまは大魔女の親族で、ルーファス王子のオヤカタだ。
いくら最高位大神官のお前でも、始祖の大魔女に逆らえると思うのか」
二人を前にして、最高位大神官はこれまで浮かべていた微笑みをかなぐり捨て、口角をつり上げて血走った目を見開きながら笑った。
「あの娘は私を前にして、自らを大魔女の後継者と名乗りました。
【茶色い髪の悪い魔女】が冬薔薇塔での修業に耐え、自らの力で塔から出る事が出来れば、私は娘を大魔女の後継者として認めましょう。
しかしあの塔の中は薄気味悪いツタが生い茂り、とても寒く闇に閉ざされた場所。
ああ、【茶色い髪の悪い魔女】が修業に耐えられないのなら、ちゃんと助け出してあげますよ。
ただしその時はルーファス王子を私の弟子に、そして始祖の大魔女の後継権利も私のモノになります」
***
巨大な女神像と絢爛豪華な冬薔薇聖堂より手前に、鬱蒼とした雑木林の中に太い大きなトゲのあるツタで覆われた不気味な高い塔があった。
塔の入り口はどこにもない。猫一匹がやっと通れそうな小さい窓があるだけで、それもツタに覆われて隠されている。
寄付が出来ずに冬薔薇聖堂から追い出された信者の男がひとり、家に帰る近道をしようと雑木林の中をとぼとぼ歩いていた。
するとどこからか華やかな花の香りが漂ってきて、真っ赤な花びらが風に乗って舞いながら男の前に落ちる。
「寒さで木の葉は全部落ちているのに花が咲いているのか?
一体この花びらは何処から、な、なんだこりゃ!!」
雑木林の中に埋もれるように建つ高い塔の壁面いっぱいに、真っ赤な薔薇の花が咲き誇り周囲に香しい薫りを漂わせている。
その薔薇は小さくて可憐で、そして男の落ち込んだ気分を高揚させた。
「彼女に結婚を申し込む願掛けに来たんだが、寄付が出来なくて女神様を拝めなかった。
まぁいいや、この良い薫りのする花を彼女に持って行ってやろう」
男が摘んだ薔薇の花束を貰った娘は、そのプロポーズを受けた。
そして男から雑木林の中で咲いていた薔薇の話を聞いて、翌日娘は友人を数人連れて冬薔薇塔へやってきた。
すると冬薔薇の花を持ち帰った娘の一人がその日の内に金持ちの商人に告白され、別の娘は憧れの騎士から結婚を申し込まれたという。
冬薔薇塔の中に誰が居るか知らないが、娘たちの口コミで噂はたちまち広がる。
「おい、貴様どこに行くんだ。冬薔薇聖堂はそっちじゃないぞ」
二日後、聖堂を訪れる信者の数が減ったことに不審に思った守衛の神官は、信者たちが供物を携えて雑木林の中に入って行くのを見た。
声をかけられた男は守衛を一別すると冷めた笑みを浮かべ。冬薔薇聖堂に背を向けて歩いていく。
人々は【茶色い髪の悪い魔女】が幽閉された高い塔に、まるで引き寄せられるように集まっていた。
聖堂の大テーブルには贅沢な食材をふんだんに使った、とても一人では食べきれない量の料理が並んでいる。
蒼臣国の湖で穫れる高級魚に金粉をまぶして焼いたムニエルに、薄切りにされた肉を花びらのように重ね合わせ派手に盛りつけた肉料理。その他に東方の珍味、南方の滋養強壮スープ。
最高位大神官は側近の神官が切り分けた料理を一口だけ味見し、ほとんど残した状態で食事をすべて処分しろと言う。
そして何かを思い出して楽しそうに笑った。
「そういえば【茶色い髪の悪い魔女】を冬薔薇塔に幽閉して、二日が過ぎましたね。
塔の中には水瓶がありますから、それで喉の渇きはしのげるでしょう。
ふふっ、これは私からの恩情です。二日に一食【茶色い髪の悪い魔女】に食べ物を恵んでやりましょう。
この食べ残したパンの耳と傷んだリンゴをひとつ、冬薔薇塔の小窓から中に投げ込みなさい」
勝ち誇った表情で最高位大神官が告げたその時、酷く焦った様子の守衛が聖堂の中へ飛び込んできた。
「大変です、最高位大神官さま。
信者たちは冬薔薇聖堂ではなく、雑木林の中にある不気味な高い塔に、まるで引き寄せられるように集まっています」
「確かあの塔の中には【茶色い髪の悪い魔女】が囚われていたはず。
まさか魔女が信者たちを操っているのではありませんか!!」
***
まる一日不眠不休で馬を駆けて桜離宮にたどり着いた侍女長は、その場で崩れ落ちるように床に頭を伏せて、主に自分の非を詫びていた。
「エレーナ姫さま、本当に申し訳ありません。
私がついていながら、最高位大神官に易々とカナ様を囚われてしまいました」
そして侍女長の後ろで控える近衛隊長ウィリスも、悲痛な表情で深く頭を下げた姿勢のまま微動だにしない。
透き通るような白い肌に真紅の瞳のエレーナ姫の美しい顔は憂いに満ち、それでも堪えるように顔を上げると地面に伏せた侍女長を引き起こした。
「いいえハビィ、貴女のせいではありません。
まさか最高位大神官自ら直接手を出してくるとは、誰も予想できません。
そして魔女カナさまは、あの男からルーファスを逃して下さいました」
エレーナ姫は侍女長を立ち上がらせると、部屋付きの侍女に合図をしてワゴンで何かを運ばせてきた。
それは派手な色の宝石がゴテゴテと装飾された大きな手鏡で、真っ黒な鏡面には金文字の呪文が刻まれている。
「エレーナ姫さま、これは遠方を覗き見る魔鏡ではありませんか。
しかもこの手鏡の向こう側から、膨大な魔力が感じ取れます」
「この鏡は最高位大神官から、私宛に届けられたものです。
手鏡に私の魔力を注げば、扉のない狭い冬薔薇塔に幽閉されたカナ様を映し出すと言っていました。
囚われたカナさまの姿を私に見せつけるとは、なんて卑劣な男なのでしょう」
心優しいエレーナ姫の良心の呵責を責めたてる、最高位大神官の心理攻撃だった。
その言葉に驚きながらも、侍女長は魔鏡を手に取るとエレーナ姫を振り返った。
「エレーナ姫さま。お辛いと思いますが、どうかこの魔鏡でカナ様の姿を映して下さい」
「そうですエレーナ姫さま、お願いします。
塔の中に囚われたカナさまがどんな状態なのか、知る必要があります。
そして俺は何としても、彼女を冬薔薇塔から救い出します!!」
手鏡を覗き込む事にためらっていたエレーナ姫も、二人の言葉に覚悟を決めると鏡に魔力をそそぎ込んだ。
そして鏡面に映し出されたモノは……。
やっとあらすじ通り、カナを幽閉できました。
随分と時間がかかりました。