その12
さっきまで薄曇りの空に、急に分厚い雲が立ちこめるとパラパラと小雨が降り出した。
それが次第に大粒の豪雨になり、裏街道の狭い道は所々で水が溢れ、さらに分厚い雨のカーテンが視界を阻む。
整備の行き届かない山道の裏街道は、片側が切り立った崖の道もあり用心して進まなくてはならない。
「なんだ、あんなに晴れていたのに、いきなり天気が悪くなってきたぞ。
道の先が見えないじゃないか。これは雨が止むまで馬車を動かせないな」
手綱を握るウィリス隊長は、馬車を停めてしばらくその場で待機することにした。
だが徐々に雨音が激しくなり、突然長椅子の上で寝ていたルーファス王子が跳ね起きる。
「なんだ……この音は」
「ルーファス王子さま、うるさくて目が覚めてしまったのですね。
急に雨が降り出しまして、なかなか止みそうにありません」
パラパラと馬車を叩く激しい雨音に、王子は聞き耳を立る。
そして何かに気付いた様子で顔色を変えると、御者台に座るウィリス隊長と打ちあわせをしているアシュに向かって叫んだ。
「アシュ、これはただの雨じゃない。高位の水精霊が流す涙だ。
誰かが水精霊を贄にして、無理矢理この豪雨を作りだしている。
馬車を止めるな、全速力でこの雨を突き抜けろ!!」
「なんですって、ルーファス王子。
ですが馬車の後方には、魔導車輪に乗ったカナさまとニールたちがいます。
彼らを置いて先に進むことはできません」
そう言われてルーファス王子は、馬車の中にカナがいない事に気がついた。
アシュは馬車の扉を開き身を乗り出した後方を確認しようとするが、滝のように降る雨は視界を閉ざし、後ろにいるはずのカナたちの姿を掻き消していた。
「きゃあっ、いきなり大雨が降ってきた」
カナたちが自転車を走らせて一時間もしないうちに、突然大雨が降り出した。
激しい雨に視界ゼロの状態で、先を走っているはずの馬車の姿も見えない。
カナは雨の中で耳を澄まし小犬の吼え声のする方に自転車を寄せると、同じく全身ずぶぬれになったニールがカナに声をかけてきた。
ニール以外の魔導車輪兵士の姿は、分厚い雨のカーテンに遮られて見えなかった。
「カナさま、この雨の中を魔導車輪で走っては危険です。
南の空が明るいので雨はすぐ止むはずです。それまでどこかで雨宿りしましょう」
ニールとカナにとって初めての道で、雨で視界が無い状態では先に進むことはできない。
道の脇にある巨木の下に、ふたりは慌てて避難する。
それからさらに一時間が過ぎて、大きな木の下で雨宿りをしていても足下はかなり濡れる。
カナは弾水効果のある防寒コートを羽織っているから中の服まで濡れてはいないが、とにかくコートが重い。
「ああ、やっと小雨になってきた。これで先に進めます。
きっとルーファス王子さまは、馬車の中でカナさまを待ってますよ」
「ずいぶんと時間をロスしちゃったね。雨で道がぬかるんだ状態だから、自転車を慎重に走らせなくちゃ。
あれ、ここ砂利道じゃなくて白い石畳になっている?」
ぐしょぐしょに濡れた作業用ブーツを気にしていたカナは、足元の道の状態が変わっている事に気付いた。カナは無意識で、手に持っていた重たいバールを杖のように地面に刺した。
パシッ パリィ―――ンッ
途端、周囲を覆っていた雨のカーテンは薄ガラスのように砕け散る。
仕掛けられた魔法は破られ、木々に囲まれた砂利道の裏街道は広い石畳の街道になった。
そしてカナの背後から馬の嘶きと馬車のタイヤ音が聞こえ、先を進んでいたはずのルーファス王子たちの馬車が姿を現す。
「この雨は最高位大神官の幻術、それをカナさまの呪杖が幻術を打ち砕いた。
私たちは裏街道を逆走して元の街道に引き返してしまった。
早く馬車を反転させて、できるだけこの場所から離れるのです!!」
魔力を持つルーファス王子が疲れて眠っている間に、最高位大神官は罠を仕掛けたのだ。
アシュが慌てて指示を出したが、すでに手遅れだった。
***
さっきまでの雨が嘘のように晴れて、石畳の街道は最高位大神官が率いる神官一行に占拠されていた。
街道の上には黄金の縁取りがされた旗がひるがえり、頭巾で顔を覆った数十人の男たちが、金色の屋根に極彩色に彩られた御輿を担いでいる。
白い石畳の道に赤絨毯が敷かれ、極彩色の御輿はその上に静かにおかれた。
「ルーファス王子、ずいぶんと遠回りして都に戻るのですね。
あまりに王子が来るのが遅いので、師が弟子を迎えに来ましたよ」
御輿の扉が開き中から現れたのは、水色の長い髪に白を通り越して青い肌をしたヤセた四十後半ぐらいの男だ。
最高位大神官はクジャクの羽で飾った山高帽をかぶり、金糸で呪文がびっしりと刺繍され光沢のある絹の衣を着て十二色の勾玉を首にかけ、すべての指に大きな宝石の指輪をはめている。
「スゴい、まるで年末紅白歌合戦で金ピカ電照衣装を着たアノ歌手みたい。
この人が王子を弟子にしたがっているショタの最高位なんとか。
これじゃあルーファス王子が嫌がるのも分かるわぁ」
最高位大神官の登場にアシュやルーファス王子が身構えている側で、カナは興味津々で金ピカ電照男を眺めていた。
「おい最高位大神官。せっかく迎えに来たところ悪いが、蒼臣国の第一王子ルーファスさまは、こちらにいらっしゃる魔女カナさまの弟子だ。勝手に自分の弟子にするなよ!!」
その場の空気を震わすような、野太く大きな声が響く。
奇妙な丸い形をした馬車の御者台から立ち上がったのは、顔を真っ赤にして全身怒りに震わせたウィリス隊長だった。
太い眉がつり上がり、歯をむき出しにして怒る姿は太った赤鬼か雷様のようで、ウィリスは馬車から降りてきたルーファス王子をかばうように道の中央で仁王立ちになった。
無礼者。と神官たちが叫び、鉄の呪杖を手にした武装神官たちがルーファス王子一行を取り囲む。
アシュに侍女長までが武器を手に身構える中、赤絨毯の上に立つ最高位大神官は馬車の横にいる娘を見た。
「この臭いはなんでしょうか?
雨に濡れた獣の生臭い匂いがします。
この中に、妖精森の魔女がいます」
最高位大神官が手にしたクジャクの羽で指さした先に、黒い豆柴を抱っこしたカナがいた。
びしょ濡れの黒いコートに、作業用ブーツは泥だらけで、背負ったリュックのせいで背中が曲がっているように見える。
深目にかぶったフードは口元しか見ず、まさに黒ずくめの怪しい魔女の姿をしていた。
カナは鼻息荒く金ピカ電照男に言い返した。
「貴方が最高位なんとか?
ワタシのことを、王子をたぶらかして奴隷にした【茶髪の悪女】って噂を流した張本人ね」
「初めまして、妖精森の魔女。
まぁ、いったい誰がそんなひどい噂を流したのですか。
それは許せませんね。では噂を流した者を探しだし、貴女の気が済むまで罰を与えましよう」
その言葉にカナは男の底意地の悪さを感じる。
もしカナが【茶色い髪の悪い魔女】の話を追求すれば、他者を身代わりに仕立て上げ、しかも危害を加えるという。
押し黙ったカナを見て最高位大神官はニヤリと笑い、そして口調が変わった。
『妖精モリノ大叔母サマハ、元気カ。
私ハ大叔母ノ弟子ダッタ。様々ナ呪イヲ習ッタ。オ前ト同ジ、後継者コウホダッタ』
カナと王子は互いに会話は成立しているが、実は違う言語で話していて、この世界とカナの言葉は違うと薄々感じていた。
だから時々話が変に翻訳されて聞き間違うことがある。
しかしこの男は、明らかにカナの知っている言語を使った。
『とても聞き取りにくいけど、ニホン語が話せるのね。
貴方もワタシと同じ、大叔母さんの後継者候補?
大叔母さんより年上に見えるオジちゃんが後継者候補って、そんなウソ信じないわ』
最高位大神官と【茶色い髪の悪い魔女】が奇妙な言葉で話しだし、魔女の放った呪いの言葉『オジちゃん』に最高位大神官の顔が青ざめ、額に青筋が立つ。
ルーファス王子たちは、魔女語で話すカナと最高位大神官の会話の意味が分からない。
実はカナは、これまで何度もこのような場面に出くわしていた。
裕福な大叔母さんの財産目当てに、遠い親戚や知人を騙る怪しげな人物を何人も見たし、自分の両親も商売が下手で、借金やその他諸々で大叔母さんにとても迷惑をかけている。
大叔母さんが妖精森を出て海外リタイアしたのも、世間のしがらみが煩わしくなったからだ。
だから自分はお世話になった大叔母さんの手助けをしたいし、大叔母さんに迷惑をかける連中には徹底対抗する。
カナに『オジちゃん』呼ばわりされた最高位大神官は、怒りを抑えながらルーファス王子の方へ向き直った。
「さて、こんな道端で立ち話もなんですから、場所を移しましょう。
あちらに見える冬薔薇聖堂はひと月前に女神像の修繕を終えたばかりで、以前始祖の大魔女が住んでいた由緒ある聖堂です。
さぁルーファス王子、馬車を下りて御輿に乗りなさい」
「その冬薔薇聖堂には、ワタシが行くわ。
最高位オジちゃんは大叔母さんの後継者候補だったらしいから、色々と聞きたい話があるもの。
ルーファス王子、ワタシはオヤカタとして弟子に命令する。
エレーナ姫が帰りを待っているから、王子はさっさと都に戻りなさい」
カナは最高位大神官の言葉を遮るように、大きな声でルーファス王子に告げた。
そして隣にいるニールに白い自転車を押しつけると、一瞬ニールの瞳をのぞき込み、大股で最高位大神官の方へ歩いていった。
カナの意図を理解したニールは、緊張した面もちで託された白い自転車のハンドルを握る。
『茶色イ髪ノ悪イ魔女、王子ハ、イズレ私ノ弟子ニ、スルハズダッタ』
『残念でした、ルーファス王子はワタシの弟子よ。
それに王子は将来騎士になりたいんですって。だから宗教関係の道は選ばないわ』
カナは最高位大神官に早口の魔女語でまくしたて、周囲の神官たちは奇妙な言葉に気を取られる。
その一瞬の隙に、ニールは白い守護聖獣にまたがると王子の元へ走り出した。
「早く、ルーファス王子、守護聖獣に乗ってください。
カナさまが囮になっている間に、ココから逃げ出します」
「ニール、ルーファス王子を必ずエレーナ姫の元へ送り届けるのです。
みんなで王子をお守りするんだ、軟弱な神官たちを抑えろ!!」
ニールの使役する守護聖獣が、ルーファス王子の目の前に走り込んできた。
素早くアシュが小柄な王子を抱えあげると、有無を言う間も与えず、いきなり自転車の後部座席に乗せる。
そして魔女カナの意識を読みとった守護精霊は、全身からすさまじい魔力を放つ巨大な黄金の獅子の姿になると、背にルーファス王子とニールを乗せて、飛ぶように走り出した。
行く手を遮る神官たちは黄金の獅子に払われ踏みつけらて、あっという間に道の彼方へ走り去ってゆく。
「貴様等何をしている、ルーファス王子に逃げられたではないか。
こうなったら私の幻術で、うぎゃあっ」
王子を追いかけようとした最高位大神官が、その場でつんのめって赤い絨毯の上に転んだ。
慌てて起きあがる最高位大神官の法衣を裾には、カナの呪杖が突き立てられていた。
【茶色い髪の悪い魔女】は、腕に抱いていた黒い豆柴を解き放った。
転がるように走り回る子犬の全身から、どす黒い禍々しいが気が吹き出すと、不気味な恐ろしい唸り声が複数聞こえてくる。
魔力を敏感に察知できる神官は、ケルベロスの気配にその場で気を失って倒れた。
「ひぃ、またあの地獄の魔犬が現れたぞぉ」
「妖精森で神官の魂をむさぼり食った化け物だ。生きたまま地獄に落とされる」
馬車を取り囲んでいた武装神官たちも、武器を投げ捨てると散り散りになって逃げ出した。
それを見たケルベロスは大喜びで後を追いかけ、運の悪い神官が捕まり、ケルベロスにじゃれ付かれ甘噛みされたりする
そんな地獄絵もカナの目には、はしゃぎ回る黒の豆柴に大人が追いかけられて逃げまどう、シュールな光景にしか映らない。
「この世界の人は兵隊だけじゃなく、神官を小犬が怖がるのね。
この隙に、アシュさんもケルベロスを連れて逃げて。
もしケルベロスのお腹が空かしていたら餌をたっぷりあげてね」
「カ、カナさまがお怒りになっている。
もしもの時は、ケルベロスさまに魂を食わせろと言っている。
分りましたカナさま。ルーファス王子は責任を持って、無事姫の元へ送り届けます」
アシュがニールの乗り捨てた魔導車輪にまたがると、ケルベロスは小犬の姿に戻り自転車かごに飛び乗った。
「うぐぐっ、役立たずどもめ、何をしている。
私を本気で怒らせたな。最高位大神官に逆らうとは、神も恐れぬ罰当たりな連中め」
街道の周囲に黄金の縁取りがされた旗がはためく。
最高位大神官がクジャクの羽の呪杖を振ると、周囲の神官たちがバタバタと倒れる。
道の中央で大暴れしているウィリス隊長の動きがとまり、巨体がゆっくりとその場に崩れ落ちた。