その11
まだ日も昇りきらない早朝、奇妙な丸い馬車に乗った一行が街道沿いの街を出発した。
馬車の中でルーファス王子は眠気まなこをこすり、隣には一晩中ラジオ体操をしていたカナが座っている。
そして備え付けのテーブルの向かいに座る女騎士アシュが、地図に書き込んだ印を指さしながら話し始める。
「ルーファス王子、それにカナさま。突然出発を早めてしまい申し訳ありません。
蒼臣国の都までの道順を、当初の予定でした西の街道から南周りの裏街道へ変更します。
実は最高位神官が直々に蒼臣国へルーファス王子を迎えに来たと、大聖堂から知らせが届きました」
アシュの言葉に、ルーファス王子の寝癖髪を梳いていた侍女長の表情が厳しいモノになる。
「アレは始祖の大魔女に地位を認められていません。なのに自ら最高位大神官を名乗る図々しい男。
あの男との接触を避けるため、エレーナ姫は都から離宮に移動されました。
私たちもこれから、エレーナ姫のいる湖畔の桜離宮へ向かいます」
普段は穏やかで優しい侍女長が、棘のある厳しい言葉で相手を批判する様子にカナは驚いた。
それまで何度もあくびをしていたルーファス王子も、緊張した顔で話を聞いている。
「ねぇアシュさん、どうして最高位大神官はルーファス王子を迎えに来たの。
それと大叔母さんが認めてないって、最高位大神官となにか係わりがあるの?」
カナの言葉にアシュと侍女長は互いに顔を見あわせ、アシュは小さく頷くとひとつ息を吐いて話を続けた。
「カナさま、どうか落ち着いて私の話を聞いてください。
ルーファス王子はカナさまの弟子ですが、最高位大神官は祖先がえりの魔力を持つ王子を自分の弟子にしたがっています。
そして王子を自分の弟子にするために、妖精森に住む【茶色い髪の悪い魔女】が王子をたぶらかし奴隷にしていると噂を流したのです」
「あの男は【茶色い髪の悪い魔女】からルーファス王子を守るために、王都の大聖堂で保護すると言い出したのです。
カナさまにあらぬ疑いをかけ、私たちから王子さまを奪うつもりです」
侍女長の声はかすかに震え、とても辛そうだった。
この世界はとても豊かで明るく、国に帰ったルーファス王子やエレーナ姫は幸せに暮らしていると思っていたのに、欲深い大きな力がその幸せを壊そうとしている。
妖精森でひと夏を一緒に過ごした皆は、カナにとって家族のようなモノで、今王子たちが置かれている理不純な状況に怒りがこみ上げてくる。
「そういえば王子を追いかけていた神官や待ち伏せていた兵士は、ワタシを見て【茶髪の悪女】って怒鳴ったわ。
その最高位なんとかが、王子をたぶらかす【茶髪の悪女】って噂をばら撒いているのね。
しかも王子を自分の弟子にしたいから連れて行くって、まさかショタ趣味!!
ねぇ王子は、今もワタシの弟子なの?
それとも最高位なんとかの弟子になりたいの」
その怒りの含んだ言葉にルーファス王子は戸惑いながら顔を上げると、カナの澄んだ黒目がちの瞳と視線が重なり、そして悟る。
(もしかして、オヤカタは知っているんだ。
僕が夏別荘で白髭の老人に相談していた話を、ちゃんと聞いていた。)
街道を外れ、石ころだらけの山道を進む馬車がガタゴト揺れている。
王子の隣には少し怒った顔をした魔女カナと、心配げに自分を見つめる侍女長、そしていつも助けてくれるアシュがいた。馬車の隣をニールが魔導車輪で併走して、馬車を引く馬の手綱を近衛兵隊長のウィリスが握っている。
これまで自分を仕えてくれた家族同然の家臣の前で、ルーファス王子は初めて本当の思いを明かす。
「オヤカタ、僕の魔力を生かすには大聖堂で最高位神官を師と仰ぎ、高度な魔法を学ぶ事が一番いい方法だと思う。
だけど僕は強くなりたい。
母上や皆を守れるくらい、オヤカタに凄いと誉められるような、体も心も強い騎士になりたいんだ」
細身で小柄な妖精族の血を濃く引く王子は、どう贔屓目に見ても武器を扱い戦う騎士には向かない。
王子の告白に一同驚き、特にルーファス王子の魔力を特別視している侍女長は顔面蒼白になった。
「まさか王子さま、貴方の授かった祖先がえりの魔力は蒼臣国王族の至宝なのです。
その力を生かせば将来この国はさらなる発展を、いいえ、誰も成しえなかった古の魔術を修得できるはず。
あの男を師と仰ぐのが嫌でしたら、他の優れた神官か魔導士の元で王子は魔術を学べばよいのです。
カナさまも、どうかルーファス王子を説得してください」
「うん、自分の好きな進路を選べばイイと思うよ、王子。
騎士だって色々な人がいるし隊長みたい怪力持ちのガサツな騎士よりも、アシュさんみたいに敏捷で臨機応変の利く騎士を目標にしたらどうかな。
ルーファス王子はホームランバッターというより、天才イチロータイプだもんね」
王子が騎士になりたいという希望にカナは賛成し、侍女長は酷くがっかりして、女騎士アシュは目標と称えられ少しホホを染める。
そして御者側の扉が開いたかと思うと、隊長のウィリスが滂沱の涙を流しながら馬車に飛び込んできた。
「うおおぉー、ルーファス王子、その話しっかりと聞きました。
俺は感激です。王子には騎士としての素質があります。
それは勇気、巨大な敵を相手にしても己の正義のために立ち向かう勇気を持っていると、俺はよく知っています!!」
「もう隊長、タダでさえ大きいのに横幅が増しているんだから馬車の中が狭くなるよ。早く御者台に戻って。
これはルーファス王子の大切な将来の話だから、エレーナ姫の所についてからちゃんと話し合おうよ」
カナはそう言いながら隣に座るルーファス王子を眺めた。
王子の顔にさっきまでの思いつめた暗い影は無く、希望を宿したルビー色の瞳がキラキラと輝き、嬉しさで固く結んだ唇がほころんで笑みがこぼれ落ちた。
王子の進路相談もひと段落し、テーブルの上には重箱に似た容器に詰められたサンドイッチが並ぶ。
上の段は色とりどりの果物と真っ白なクリームのサンドイッチが、一口サイズに切り分けられている。
下の段は表面がトーストされたパンの中に脂ののった赤み肉とチーズのサンドイッチと、鮮やかな色をしたスモークサーモン風の魚と半熟黄身のとろりとした卵焼きサンドイッチが交互に詰められていた。
カナは赤み肉とチーズのサンドイッチを手に取ると、大きな口を開けて真ん中から齧る。
たっぷりとバターを塗ってトーストされたパンは表面は香ばしくサクット焼けて、生地はふっくら柔らかくほのかに甘い。中に挟まれた赤み肉は柔らかくジューシーで、濃厚チーズが肉に絡まり味にコクを出していた。
パンの端もサクサクとして食べ応えがあり、カナはサンドイッチを一つ美味しく食べたところで、はっと我に返る。
「あーっ、しまったぁ。食べちゃった!!
今日から一日一食にしようと思ったのに、こんがり焼けたパンにサンドされた分厚いお肉がとても美味しそうで、うっかり食べちゃったよ」
「オヤカタ、この甘いクリームを挟んだパンに少し焦がしたカラメルをかけて食べると美味しいぞ」
「うっ、甘いクリームにほろ苦いカラメルって、カロリーどのぐらいあるの。
でも、とても美味しそうっ、一口だけなら大丈夫よね」
ご馳走の誘惑に負けたカナはカラメルたっぷりクリームサンドの他に、焼きリンゴのアイス添えと濃厚ポタージュスープまで飲んでしまった。
そして食後に、マシュマロの浮かんだホットチョコドリンクで一服する。
馬車の中でこれだけの料理が準備できるのは侍女長のミイラ料理(フリーズドライ技術)のおかげで、彼女は火を扱わず水の中に赤いガラス片のような石を入れて湯を沸かす。
「そういえば夏別荘でピザ石窯の炭に火をつけた赤い石、ワタシが預かっていたわ。
これ、お友達のミドリちゃんにペンダントヘッドにしてもらったの。アシュさんに返すわね」
カナは向かいの席でコーンスープを飲んでいるアシュに声をかけると、首から下げていたネックレスを渡す。
ウズラの卵大の赤い石は透明なスワロスキービーズで編んだ袋の中に入っていて、カナはこの石を無くさないように常に身につけていた。
「この炎の結晶はカナさまの魔力が練りこまれ、燃え上がる赤い星を閉じこめたような恐ろしく膨大な力を感じます。
もはや私程度の魔力では、この炎の結晶を扱うことは出来ません。
私はカナさまから魔導からくりのライタアを頂きましたから、結晶はカナさまに差し上げます」
「ありがとうアシュさん、とても綺麗な赤い火打石、私がもらってイイのね。
そういえばこの石、私が持っていても全然熱くならないし火もつかないけど、アシュさんはどうやって火を点けたの?」
「そういえばカナさまに、炎の結晶の使い方を教えていませんでしたね。
これは結晶に宿る炎の精霊を起こしたい場合は、石を舐めればいいのです」
「へぇ、火を起こすのに石を舐めるなんて、不思議な火打石ね」
アシュから炎の結晶を受け取ったカナは、再びペンダントヘッドにして首からさげた。
食事の片づけをしながらカナの様子を見ていた侍女長は、小さく呟いた。
「あれほど膨大な魔力を宿した炎の結晶なら、雪山を溶かし湖を煮立たせることも出来るでしょう。
しかし魔女カナさま以外の者が炎の精霊を目覚めさせれば、一瞬にして猛火に焼かれ消し炭になってしまう。本来魔女の力は、私たちが扱うには大きすぎる、触れてはいけないモノなのです」
***
エレーナ姫のいる湖畔の桜離宮へ向かい、裏街道の砂利道を走り続けた馬車は、開けた丘の上に来ると小休止をとる。
「さてと、食後に自転車をこいでカロリー消費しなくちゃ。
またドレス破いたらハビィさんに怒られるから、王子の服を借りよう。
身長は二ミリしか変わらないし、服のサイズは同じだよね」
「えっ、身長は同じだけど、オヤカタの方が僕より太いじゃないか」
「ちょっと王子、変なこと言わないで。私は標準体型、太ってなんかいないわ。
体が小さいくて服が大きめだから、少し太って見えるだけなんだから」
成長期のスレンダーな体型のルーファス王子と、小柄で丸顔、女性的体型のカナは少しだけ服のサイズが違う。
食後の睡魔がやってきたルーファス王子はカナの抗議がうるさい様子で、長椅子に横になると頭まで肌掛けに包まって目を閉じた。
「僕は朝から、とても眠たいんだ。ちょっと昼寝がしたい。
ねぇオヤカタ、外を走るなら魔導車輪より、自分の白い自転車に乗ってあげて」
ルーファス王子は追手の神官から逃れて妖精森の中に入り、カナと会えるまで、ずっと気を張っていた。
そして昨日は異界の守護聖獣を一日使役し、かなり魔力を消耗する。
まだ十二歳のルーファス王子は、もうすぐ都に戻れる安心感から一気に疲れが出てしまった。
王子を静かに休ませてあげようと、カナは馬車を降りる。
空を仰ぐと青空を灰色の雲が隠し、次第に冷たい風が吹いてきた。
カナはダイエットの負荷をつけるため赤いリュックを背負い、黒い防寒コートを羽織るとフードで頭を覆った。
ニールが後走の馬車に積んでいた白い自転車を持ってきてくれた。
「この自転車、綺麗に磨かれてピカピカになっている。ニール君が手入れしてくれたの?」
「いいえカナさま、昨日ルーファス王子さまがこの魔導車輪を丁寧に磨いたのです。
呪杖で殴らなくても、キチンと手入れすればちゃんと走ってくれると言ってました」
以前はメイドに着替えを手伝わせていた幼い王子が、今ではガサツなカナよりも丁寧に自転車を扱うようになっている。
ちょっと恥ずかしい気持ちになったカナは、自転車の後ろにくくりつけたバールを手に取ると、首に巻いたピンクのマフラーでぐるぐる巻きにした。
「王子は自転車を叩いて修理するのを嫌がっていたから、もうバールで叩いたりしないわ。
それにコレ結構重いから、ダイエット用バーベルにしよう」
小休止を終えて再び馬車が動き出す。
眠ったままの王子の警護をするためアシュが馬車に乗り込み、カナはニールや魔導車輪部隊と一緒に馬車を後ろを走る。
白い自転車に憑依した黄金獅子の聖獣と、黒い豆柴のケルベルスを使役する魔女カナが狙われるとは誰も考えない。
しかし行く手にはすでに罠を仕掛けられ、待ち伏せされていた。