白銀の王子(中)と冬薔薇塔のDIY乙女 その1
昨夜降った雪は昼過ぎにはほとんど溶けて、所々凍り付いた歩道を人々が忙しなく歩く。
先週までクリスマスソングが流れていたファーストフード店内は、年末紅白の出場曲メドレーを流している。
「ねぇミドリちゃん。まさかこのワタシがクリスマス当日をバイトで埋める事になるとは思わなかったわ」
ミドリの向かい席に座る小柄な友人は、軽くウェーブした背中まであるフワフワの茶髪に黒目がちの大きな目をした美少女だ。
ピンクのモヘヤセーターに花柄のミニスカート、細くすらりと伸びた足に白レースのニーハイソックスを穿いている。
「それはカナが自分に言い寄ってくる男を、DIY趣味という名前の強制労働にかり出すからでしょ。
大学のクリスマスイベントで飾り付けを任されたからって、まさか本物のモミの木を調達してくるなんて。おかげでイベントはスゴく盛り上がったけどね」
ミドリはあきれた口調で言いながら、その異様に盛り上がったクリスマスイベントを思い返す。
カナをイベントスタッフとして誘ったのは如何にも下心アリの男子で、やたらカナにかまって二人っきりで作業をしたがり、なんとか既成事実を作ってクリスマスを彼女と過ごそうという魂胆がはっきりみえた。
その男子が可憐な美少女に、クリスマスイルミネーションの飾り付けを頼んだのがすべての間違いだった。
あのカナが、テーブルの上に載るような小さなツリーで我慢できるはずがない。
そして校舎三階まで届きそうな実物のモミの木が、大型トラックに乗せられて大学に運び込まれた。そのモミの木を立てるため重機まで持ち込んだカナは、DIY(日曜大工)の域を越えたガテン系女子だ。
突如大学正門広場に現れた巨大クリスマスツリーに学生は大喜び、しかしイベントスタッフは大変だ。
カナを誘った男子その他イベントスタッフは、ツリーの飾り付けという名の強制労働に巻き込まれる。
そうして出来あがった超豪華クリスマスツリーは、近所で有名なデートスポットになり冬休み中カップルで賑わうことになる。
「でも当事者のワタシは男子と大喧嘩よ。
ツリーの枝を伐採するノコギリもマトモに握れなくて、手マメができた指を切ったって大騒ぎ。
使えない男子はこちらから願い下げよ。
あーあ、どこかにアシュさんみたいな素敵な人、いないかな?」
これまでカナは男子の好みはそれほどウルサくなかったが、夏休みに出会ったイケメン(アシュ)と比べるようになり、好みのハードルが跳ね上がったようだ。
「カナったら、相変わらず男を利用することしか考えていない悪女ね。
そのアシュさんって、身長が高くてスマートで宝塚男役みたいな美女なんでしょ。それにハリウッド俳優みたいなマッチョの男の人もいたらしいわね。
夏別荘のお客様がそんなにカッコいい人たちだって知ってたら、私も管理人の仕事を手伝えば良かった。それでマッチョな彼は、冬休みは二ホンに遊びに来ないの?」
友人のミドリは、彼らが別荘管理人バイト先で知り合った外国のお客様だとしか知らない。
でもその国は地図の中には無い。
ここではない遠い国のお姫様と王子様、そして護衛とメイドの人たち。
きっとカナは再びと彼らと出会うことは無いのだ。
「夏別荘は楽しかったな。ううっ、ワタシだって会いたい。
王子や、アシュさんと話がしたい。
メイド長の焼いたパイをもう一度食べたい」
「えっ、カナごめん。思い出させちゃった。
ちょっと、あんたの逆ホームシックまだ治らないの」
ミドリは慌ててポケットからハンカチを取り出すと、大きな瞳を潤ませて今にも泣き出しそうなカナの顔をゴシゴシ拭った。
幼なじみのミドリは、カナが親に構ってもらえず親戚の大叔母さんのお世話になっている事を知っている。
小学生の頃のカナは、夏休みが終わると抜け殻のような逆ホームシック状態になった。
それがこんな大人になって再発するとは。
「カナは正月も実家には帰らないんでしょ。
ちょっと心配だから、私も帰省辞めてあんたのアパートに泊まろうか?」
「えっ、ミドリちゃん大丈夫だよ、ちょっと思い出しただけ。
大叔母さんはニホンに居ないけど、明日からコンおじさん家にお泊まりするの。
お正月は別荘で地元商工会が新年会&餅つき大会があるから、ワタシもコンおじさんと一緒に参加するんだ」
カナは友人に笑顔で答えながら、ふと窓の外を眺めた。
日没の早い冬の空に、すこし欠けた月が浮かんでいる。
明日は満月だ。妖精森の上に昇った月を見れたらいいなとカナは思った。
***
分厚い結界で閉ざされた僻地の妖精森は、一年に一度、満月の夜にその姿を現す。
元は荒れだった妖精森の周囲は始祖の大魔女からもたらされた金剛白桃の果樹園となり、周囲には美しい花々が咲き誇る。
そして妖精森へと続く細い一本道は街道として整備され、特産物を国中に運ぶ輸送路となっている。
その満月の月明かりに照らされた白い道を、二つの人影が駆けてくる。
「先に行ってください、ルーファス王子。
俺が追手連中を引き受けます。
妖精森の結界越えができるのは、満月の今夜だけです」
「頼んだぞニール。
今度こそ妖精森の扉を開き、オヤカタにもう一度会うんだ」
先を走る少年の黒いフードが風でめくれると、月明かりを受けてキラキラと白く輝く白銀の髪がこぼれ落ちる。
シンプルなジャケットは王族のみ使うことの許される蒼い色。
少年は顔にかかる長い前髪を苛立たしげに払うと、魔力の帯びたルビー色の瞳が覗く。
背後から追手の声が聞こえる。後方の背の高い青年が、剣を構えて道の中央に陣取り相手を迎え撃つ。
どうやらルーファス王子の行動を阻むため、高位神官が自ら追いかけてきたらしい。
「お戻りくださいルーファス王子さま。
【茶色い髪の悪い魔女】に会ってはいけません。貴方さまは惑わされているのです。
魔女が王子にかけた呪いは、我々が必ず解いてみせます」
「うるさい、僕は魔女の奴隷じゃない。親方の弟子だ。
魔力を失い心を操る幻術はしかできない無能な神官に、僕を止められるものか」
ルーファス王子は声を荒げ叫ぶと、妖精森を取り囲む磨り硝子のような結界の中に飛び込んだ。
ふわふわと水中を歩くような感覚、背後にいる追っ手の声もくぐもった小さな音になり、聞こえなくなった。
しばらく歩くと、妖精森へと続く白い一本道の先に深い緑の茂る森が現れる。
大きな二枚の岩と巨大な鉄の扉が、妖精森の中に入ろうとする侵入者を拒む。
最初妖精森入口に、鉄の扉は存在しなかった。
だが4年前のクーデターで、ルーファス王子を狙う宰相が結界を破り侵入したせいで、妖精森の入り口に鉄の扉が取付けられた。
ルーファス王子は、この扉に拒まれて妖精森の中に入れない。
「これで最後だ。今度こそ妖精森の中に入って、オヤカタと会うぞ」
最初は成す術も無く、泣きながら開かずの扉を叩くだけだった。
二回目は、妖精森の周囲を歩き回っているのを見つかり連れ戻された。
三回目は、無理やり鉄の扉を乗り越えようとして失敗した。
そしてつい最近、夏別荘から持ってきた魔法からくりの玩具箱を片付けていた時、魔女カナから預かった古びた鍵を見つけた。
これは僕がオヤカタの弟子だという証だ。
オヤカタが僕を信用して夏別荘の鍵を預けてくれたから、騎士や侍女たちも妖精森に逃れることが出来た。
「きっとどこかに扉を開く鍵穴がある。
オヤカタも鍵を使うから、手の届く位置に取り付けられているはずだ」
黒い一枚板の鉄の扉は鏡のようで、扉の前に立つ者の姿を映し出す。
ルーファス王子は冷たい壁に手を触れ撫でるように表面を確認すると、扉の左隅に映る自分の姿が微かに歪むのに気が付いた。
その場所に触れると扉の質感が違う。軽く押してみると、表面を覆っていた薄い板が横にずれ鍵穴が隠されていた。
ルーファス王子は緊張した面もちで、古びた黒い鍵を鍵穴に差し込む。
カチャリと音がして、重たい鉄の扉がゆっくりと開き始めた。