~雨は馬鹿に恵みを与えない……~
第二話
『雨の日の決戦(仮)』
鈍よりと曇った空から雨粒がこぼれ落ちる。雨粒は地面や屋根にぶちあたり飛散した。そして、雨粒は彼の番傘にも容赦なく襲いかかっていく。彼――樹大原三はその音に空を見上げた。
「うむ。今日の雨は激しいな」
つぶやきながらも滞りなく進む足取り。すると後ろから彼を呼ぶ声がした。振り向くとそこには群青色の傘をさした少女―白井響花がいた。
「おはよう。樹大君」
彼女が話しかける。彼もそれに応じ「おはよう」と言った。二人は並んで歩きだした。雨はさらに勢いを強める。
「もう一週間だね」
唐突にしゃべりだす響花に原三が気後れなく応える。
「ああ。だが、今一、社会順応出来ている気がしないのだが」
「社会順応って……。でも、樹大君のたびたびの暴走にもみんなちゃんとついていってると思うけど」
「……吾は暴走していると思われていたのか?」
原三が険しい顔をして聞いた。そんな彼に響花はあっけらかんとして答えた。
「うん。だって急に語りだしたり、川島君をなぐりだしたりするんだもん」
「それは川島が馬鹿にしたような口調で喚いたり、刀を勝手に触ろうとしたりするからだ」
「まぁ、そうなんだけど」響花が遠くを見る。
「それが川島君なんだよ」響花はぼそりとつぶやいた。まるで死んだ人のように言う響花をツッこむ者は残念ながらいなかった。
「……ああ。だが、やつとはあまり分かり合えそうにはないな」
原三が構わず応えた。
「そう……」
話が途切れた時、ちょうど前を知った顔が通りすぎた。
「あっ、ミラ。おはよう」
「おはよう、響花」
ミラは微笑んで挨拶した。響花の横にいた原三も礼儀正しく挨拶する。
「おはよう」
「おはよう、樹大君」
三人はならんで校門をくぐった。下駄箱で響花が原三に、
「そういえば、樹大君、もう一人掃除終わってたよね」
と聞いた。
「ああ。こないだの金曜、ついに解放を宣言された。」
原三が靴を脱ぎながら応えた。原三は先週の月曜日から担任教師を斬った罪で一人掃除を言い渡されていた。事情を知らない人が聞いたらびっくりするだろうが、ちゃんとその先生は生きている。剣の能力とやらで斬れないらしい。とにもかくにも彼はその罰を終えて放課後は自由に行動できるようになっていた。
「そう……。今日は部活がないから、一緒に帰らない?」響花が彼の顔をじっと見て言った。
「……わかった」
原三は早足で階段を上った。
「ちょっと、待ってよ、樹大君」響花がその後を追う。
「えっ、二人とも、私は待ってくれないの?」
ミラが不安げに叫びながらあとを追いかけた。
教室に着くと原三が早々に持っていた竹刀袋を響花に預けた。これは彼の暴走を少しでも和らげるためである。響花は竹刀袋を受け取るとそれを机の横にかけた。それから原三はゆっくりといすに腰かける。座った彼に響花が話しかけた。
「ところで、樹大君っていったいどういった暮らしをしているの?」
「……平凡な暮らしだが」
原三が不思議そうに応える。
「いや、でも、今日の傘とか話し方がなんか古風だから、家も森の中の茅葺きの屋根でできた小屋なのかなって思ったんだけど」
「……それは平凡じゃないのか」
どうやら彼は本当にそういった家に住んでいるようだ。奇妙な沈黙があたりを包んだ。それほど気まずくもないけど話しだしにくい空気がその場に満ちる。図らずもそんな二人に助け舟をだしたのは、ミラだった。いつのまにか二人の側に来ていたミラが小さな声で話しかけてきたのだ。
「ねぇ、ねぇ、二人とも」
「えっ? なに」
「なんだ?」
響花と原三が同じようにびっくりしたような感じで応答した。気にとめずミラが話題をふる。
「最近、川島君おとなしいね」
「ああ、そういえば。静かな朝だね」響花がうなずく。
「そうなのか?」
「うん。いつもならなんか騒ぎだすんだけど、ここ一週間はずっとあの調子なの」ミラが窓の外をぼんやりと眺めている青年を一瞥する。
「……だが、吾にはやたらと突っ掛かってくるぞ」原三も彼をちらりと見た。
「そうだね」
「なんでだろう」女子二人が首を傾げた。
「……やはり、分からぬ男だ」
原三も腕を組んで重々しくつぶやいた。その頃、ミラの心の中にいるもう一人のミラは『全員、鈍感なんだな』と呆れて果てていたのだった。
「くそっ、仲良く一緒に登校かよ」
川島が校門から入ってくる響花と原三を見て悪態をつく。
川島は原三を良く思っていなかった。
原三の転校初日に先生のついでに斬られたのもそうだが、それ以上に響花と親しげに話しているのがひどく気にいらなかった。
一週間前にやってきたばかりの侍気取りの常識知らずがどうしてあいつとここまで仲よさげなんだ。俺なんか、なんやかんやで中学から五年間一緒なのちょっとした世間話しかできてないんだぞ。それを転校してきた日の次の日に早速名前で呼び出す。なんなんだあいつは。俺ですら呼べてない下の名をあっさりと呼びやがって。女の子の名前はそう簡単には呼べないぜ。……いや、これは別にミラを女だと思ってないわけではありません。
川島はなぜか心の中で言い訳する。よほど彼女が怖いらしい。恐怖が和らいでくると再び先の苦悩に入り込む。……どんどん縮まる二人の仲。やがて二人は夜闇の中で……。
前言撤回。どうも彼にはまだ恐怖が残っているようで考えが悪い方向へいってしまうみたいだ。
「連ドラならあと9話でくっつくぞ」
ネガティブモードの川島は今日の空と折り重なるような暗さでつぶやいた。ふと近くで
「何があと9話なの?」
と声がした。
「うわっ」
川島はついつぶやいてしまった言葉を聞かれていた恥ずかしさと、それを聞いていた生徒がミラであることの恐怖で危うく窓から落ちるくらい飛び上がった。
なんとか踏み止まった川島はミラに咄嗟に言葉を返した。
「いや、ちょっと深夜ドラマの話」
「ふーん」
ミラは納得したようなしてないような、どっちともとれない声を上げたあと、
「……ねぇ、川島君、最近元気無いけどどうしたの?」
と川島の顔を心配げに覗き込んだ。
そんな彼女の瞳に、本能的に脈拍が早くなる。殴ってこなきゃ可愛いんだけどな。そう思いながら川島は、
「いや、大丈夫だ。ミラの気にすることじゃねぇよ」
と返事した。
「そう……。じゃあ、もうすぐ先生くるから」
そう言ってミラはそそくさと自分の席に戻っていった。川島も次いで席につく。席ではまた響花と原三のことを考え始めていた。さて、どうしよう。これ以上、樹大と白井の仲を深めるのは危険だ。いい加減俺がまいる。そうなったらまた可愛いほうのミラに心配かけちまう。男なんだ。ここらで勝負かけないとな。でも、どう近づくか……。川島はなんとなく窓のほうを見た。雨は未だ降り続いていた。……そうだ! 今日は雨だから部活がない。白井もきっとそうだ。だから白井を今日一緒に帰ろうと誘おう。家方向逆だけどそこは俺が我慢して……。と思っていると、急に上がりかけた川島のテンションが再び下がった。……樹大も部活に入ってなかったな。ということは樹大と白井が一緒に帰る可能性はかなり高い。そこに俺が割って入れるのか。
ネガティブ思考が彼を支配する。だが、その時、川島本来のポジティブハートが目覚める。暗い心中を希望の光が照らした。そうだ、あいつが一緒に帰れないようにすればいいんだ。もう一度問題を起こさせて、教室掃除をあと一週間やってもらおう。そうすれば俺と白井は二人っきりで帰れる!
川島は不気味な微笑みを浮かべた……光とは必ずしも正義ではないようだ。 で、いつ問題を起こさせるか……。一時間目現代文。あの堅苦しい先生の前で問題を起こさせるのは難しい。下手したら俺も罰を受ける。パス。二時間目数学。数学は恐ろしくおおらかな女教師が担当する。この人相手じゃ、誰かが大怪我でもしないと罰を与えてくれない。パス。三時間目英語樹大が最も苦手とする教科。馬鹿にすれば怒らせるのは簡単。先生も極めて平凡な人物。よし、ここで作戦決行だ。川島は黒く強い意思で3時間目を向かえようとしていた。そんな時、うまく響花と樹大が二人とも席を立った。
見ていた川島はあることを思いたち、彼らの席の前に訪れた。誰も見てないことを確認し、そっと響花の机の横の竹刀袋をはずす。川島はそれを原三の机の横にかけた。これで樹大は怒ったときに刀を使って何かしらを壊してくれる。そうなれば、こっちのもの。先生をうまく誘導して罰を受けさせてやる。川島の顔はもはや悪人の形相になり、彼はそれに相応しく気味悪い笑みを浮かべていた。そして、原三と響花が戻ってき、運命の3時間目が開始された。 川島はイライラしていた。なかなか先生が原三を当ててくれないのだ。どうやら今回の授業は先生の説明ばかりらしい。このままじゃ、ただただ平凡な英語の授業になっちまう。川島が貧乏ゆすりをし始めたちょうどその時、彼の思いが届いてか、先生が原三を当てた。原三が律義に立ち上がり先生を見据えた。彼はなかなか話し出さなかった。その間に全クラスメートの視線が集まる。川島も彼をじっと睨みつけていた。ふと川島は身震いをした。「嫌な予感がするぞ」川島がつぶやいた。少しして原三がやっと口を開いた。
「Iwilltakeyourpassport――」
ま、まずい。あいつ正解答えてやがる。いったいどこで勉強したんだよ、一週間前は英語すら知らなかったくせに。いや、そんなことはどうでもいい。このまま全部答えられたら馬鹿にできねぇ。……ここは少し強引だが。川島はすごい勢いで立ち上がった。いすが危うく倒れそうになる。気にせず怒鳴り始める川島。
「樹大、お前、間が長いんだよ。どんだけ待たせたと思ってるんだよ。それでようやく言い出したのが正答とはどういうことだよ。なんのための間だよ。ボケじゃねぇのかよ。待った時間かえせ」
あたりはあっという間に静かになった。今度はすべての視線が川島に集まった。無論原三も彼を怒りの眼差しで見ていた。
「貴様、何のつもりだ」
原三が低い声で言った。続けて、
「人がせっかく先生殿の御問題に答えていたのに、よくも邪魔してくれたな」
と川島に迫った。わざとやったのにも関わらず恐れを抱く彼。軽く後ずさるが響花が見ているのに気づき胸をはる。
「ああ、時は金なりだからな」
かっこつけた割には何言ってるかわからず、教室中にはてなマークが浮かぶ。しかし、意味わからずとも、原三を暴力に走らせるには十分な発言だった。
「……一度、殴らせてもらおう」
原三は腕を引いた。動揺する川島。原三が刀を握らないからだ。川島はどうにか彼に刀を持たせようと話しかける。
「おっ、おい。刀はいいのかよ」
「問答無用! この拳で決着をつける」
ここまで来ると川島の言葉は言い訳にしか聞こえないらしい。
「おっ、おい、やめろ。」
原三に殴られたことがあるのにわざと怒らせた罪悪感があるからか、恐れおののく川島。彼はいまさらながら、もっと別の方法があったんじゃないかと思い始めていた。しかし、もう後戻りはできなった。「参る!」




