空を飛ぶ夢
学園? とは少し違う気がする。
まぁ暇つぶしにでも読んでやって下さい。全話で文庫1冊分位はありますので。
ちょっとでも面白いな、と感じて下されば幸いです。
感想をいただけたら、感無量です。
西暦20XX年。
それは救いのない戦いだった。
人間は自らの正義を信じ、その存在を認めず。
新しき人類は自らの存在を勝ち得るために。
互いの信念をぶつけ合い、血で地を洗う闘争へと発展させた。
数と資源に勝る人間は現代兵器に始まり、敵が思いの他手強いことを悟ると、核兵器までをも持ち出した。しかし新しき人類の持つ技術力は、人間の知るそれをはるかに超えていた。
激戦の結果、人間の勝利となる。それは当然とも言うべき結果だった。
残ったのは人間たちのつかの間の喜びと、戦火の爪あと。そして未知のテクノロジーによって空へと放たれた建造物のみであった。
新しき人々は歴史の闇へと姿を隠し、人間の時代が存続する。
時は氾濫した濁流の様に、歩みを進める。
人間はその数を減らし、祖なる人々は世界を支配していた。
そして新しき人々は空に浮かぶ建造物の意味も忘れこう呼んだ。
「神の住まう島」
と。
そして、人類は――――。
『空を飛ぶこと』を禁じた。
人なら誰しも空飛ぶことを夢見た事があると思う。それは幼い少年の頃。この無限に広がる蒼を見上げた時。
(どこまでこの世界は続くのだろう)
そんな漠然とした思いを抱え、不安に覚え、その先を夢見た事があるだろう。僕もその1人であった。
しかし、少年の記憶は時代の奔流に押しつぶされていく。年齢、常識、ルール。
そういったあらゆるものに様々な夢は埋没していく。僕の『空を飛ぶ夢』も、その1つだった……。
懐かしい事を思い出していた。重いまぶたを開くと、目に飛び込んできたのは純粋な青と、その世界を輝かせている球体。更にもう1つ、それは清々しい天に一点の穴を開けるかのように悠然と光を受けて浮かんでいた。
神の住まう島。ある宗教では、世界の創造と共に生まれた場所だとされる謎の巨大飛行建造物である。実際の正体は誰も知らない。
「もうすぐや」
すぐ隣の見張り役が告げた。この海原を駆ける軍船からようやく降りられるらしい。もっとも、そこはこいつら……祖人が作った僕たち人間の強制収容所なのだが。
祖人とは、人類を2つに分ける種族の1つ。すなわち僕のような人間と、彼ら祖人。
しかし取り立てて何が変わっている、という訳じゃない。外見や倫理観などはほとんど似たようなものである。ただ、強いて異なる点を挙げるとするならば、それは能力の差だ。五感、身体能力、思考回路など。それら全ての点で祖人は人間を上回る。それはつまり、自然への適応力や支配能力が高いという事実。
「しっかし、お前さん今までよく逃げ続けたなぁ」
「隠れる事には昔から自信があるんだ」
「ああ、お前さん小さいしな」
目の前の金髪を、カスノート(別名・カスリスト)に加えることにする。背が小さいことは僕の最大にして最低のコンプレックスである。……下らない横槍だった。話を戻すとしよう。
言ったように、祖人は人間より遥かに優れた能力を持っている。よって人間は祖人に従うことを余儀なくされ、今や人間はほとんど劣悪種の烙印を押されてしまっている。おまけに祖人たちも僕たちを蔑み始めた。
種の保存だかなんだか知らないが、2年前に人類共存計画なるものを立ち上げたのだ。これは残り少ない人間を祖人社会に適応させ、共存していくために各国協力体制を敷いて行こう。という名目だったか。人類皆平等とかなんとか。
その理念に基づいて、この国では人間保護法なる法律が施行されている。これは『施設』と呼ばれる各地にある建物に、人間をまとめて収容し、祖人社会に適応させるための教育を行うというもの。もちろんだが、そこに僕たちの意思は介入していないし、拒否権もない。ある都市では人間の一斉捜索が軍人の手で行われたという話もある。
そしてこの法律には更に怖い点があった。彼らは共生できるなら、種の保存として生かしておいてやろう、と言うのだ。つまり、施設で祖人社会に不適合と判定されたのなら……。
言わせて貰うなら、人間保護なんて祖人たちの身勝手なエゴだ。僕らは保護されることなんて望んではいない。おまけに適合か不適合か、などと問うのは明らかに自分達の優位と権力を主張していることに他ならない。だが、僕らは逆らう事など出来ない。幼子が父親にはむかえないのと同じ道理だ。
「おっと、そういや名前は?」
僕はその問いにうんざりしながら答えた。生まれて以来18年間親しんだものである。それなりに愛着もあった。
「じゃあ、あんたの施設での通名は『ショウ』や。ええな」
話には聞いていたがこんなにも簡単に決められてしまうのか。僕は顔をしかめる。
「本名使うと、罰則の対象にもなる。よっく覚えておけ」
心を渦巻いていたものはことさらに激しさを増した。だが、僕には了承すること以外の選択肢は存在しなかった……。
船はその長い旅を終える。海原にはカモメ達が寂しげに飛んでいた。
まったく、僕はなんで人間なのだろうか。
船を降りると閑散とした港町だった。遠くには不自然な形の山も見える。確かここは僕のいた新東京という都市に所属する島の1つのはずだ。そして、世界条約で定められた廃棄物最終処分場となった島の1つでもある。加えてこれから僕が行く事になる施設も存在するのだ。
これらの諸事情から、新東京ではなかなか紛争の中心地であったりして有名である。
最近ではそれらの代償として、島の経済発展のため都市開発も進められているという話だ。しかしこの近辺にはその様子が皆無である。恐らくはもっと内陸部での話なのだろう。
「東京の方に向かうからな」
その地名にも聞き覚えがある。新東京に首都が移る前の、この国の首都であったはずだ。やはりその近辺が最も栄えているのだろう。
「どうやって?」
「さて、軍用車両が来るはずなんやけど……」
そう言ったが早いか。無駄に大きなエンジンの駆動音が聞こえてきた。隣の祖人は、おお来た来た。などと無邪気なことをいいながら手を振る。
「おそかったな」
「ごめんなさい。ちょっとトラブルがあって」
言いながら黒い装甲の車両から出てきたのは、僕とさほど年の変わらないだろう女性だった。細身で目つきが鋭く、いい意味でも悪い意味でもエリートといった感じ。冷静で聡明そうではあるが、一見して好感の持てる人物ではなかった。そして何よりだ。
「これが新入り?」
「ああ、これが書類や」
「ふぅん?」
僕をジロジロ眺める目は何回も経験したことがある。祖人が人間を侮蔑する時。もしくは同年代の人間が僕の小ささを蔑む時。勝ち誇った者が、自らより劣ると判断したときの目だ。
「私は五十嵐。施設の管理を任されている者の1人です」
感情なんてないかのような冷酷な自己紹介。
「通名ショウはこれより、私の管理下に入ります。命令に背くような言動、行動は慎むようお願いします」
もっとも、抵抗したところで無意味ですが。と付け加える。思っていても口にして欲しくはなかった。
「細かいあちらでのルールなどは車内で説明します。質問は?」
一拍だけ間を空けてから。なければ速やかに車内に乗り込んでください。と運転席に戻る五十嵐という名の祖人。そもそも、質問を聞く気もなかったように感じる。無言の圧力すら感じた。しかしそれは言ってもしょうがない話だ。ならばここで無駄に駄々をこねるよりも、少しでも従順なところを見せて心象を良くしておいた方が得策である。
「何してるの? ボサッとしてないであなたも乗り込んで」
僕が助手席に乗り込むと、五十嵐はここまで僕を連れてきた金髪の祖人にも促す。どうやらきつい性格は地なのかもしれない。差別と言う訳じゃないなら少しホッとする。……慌てて後部座席に乗り込むそいつに一抹の哀れみも覚えたが。
そういえば彼の名前はなんだったか。
「いやあんた相変わらずやな。せっかく美人なのに、嫁の貰い手がなくならんか?」
「結構よ」
名無しの金髪の仕返し失敗、バッサリ斬られる。五十嵐は本当に気にした様子もなく車を発進させた。それから到着するまでのしばらくは講習会。内容を要約するとこの通りだ。
1、人間は祖人に逆うな。
2、外出はある程度認められるが、基本は施設を拠点にして生活。外泊厳禁。
3、祖人社会について学ぶ授業がある。
4、通名を本名と考え使用すること。
5、以上祖人社会のルールをわきまえて行動を自重する事。
これらに背くような行動があれば、バッチみたいなものを付けねばならない。またその数が5つに達すると不適合と認定されてしまう。以上。
最後にまた質問は? と聞いて来たが、やはり反論その他聞く気はないようだ。しかし試しに、いつになれば出ることが出来るのか聞いてみた。返事は返ってきたには返ってきたが、予想以上に冷たいものだった。
「不適合になれば出られるわね。もっとも、その後は処刑場だと思うけど」
無事に出る方法はないのだろうか。
「ないわね。私はそんな例も決まりも知らないけど?」
「捕獲するだけして、逆らったら殺す。しかも出す気はないなんて、動物園じゃないんだからさ」
「言い得て妙ね。まさにそんな感じかしら」
背筋が張り詰めた。そして五十嵐は道の果てを見ながら、淡々と。
「あなた達は種の保存のためだけに集められたの。希望なんて持たないで大人しく飼われた方が、気は楽じゃない?」
そう言った。その口調からは親切心も侮蔑も哀れみも感じられない。ただただ事実だけを告げているのだ。それがよくわかった。
寂れた山に敷かれた坂道。流れていく風景は、それに沿うようにして張り付く田舎町。頂上に着く。そこにあったスタンドで五十嵐は一度車を停め、エンジンを切った。すると給油するから、と車両を降りていく。僕もまた長旅に疲労しきっていたので、無理を承知で一度外に出させてくれと頼むと、意外なことにOKが出た。……後部座席の金髪つきだが気にしないことにする。
シートベルトを外し車両を降り、伸びをしながら新鮮な外の空気を吸う。都市独特の排気ガスのにおいはなく、久しくかいだ事のない自然の木々の香りがした。しかしはるか眼下には巨大な都市が見える。
「あれが東京や」
訊いてもいないのに、隣の金髪は言う。あれが過去に技術先進国である日本の首都であった全国有数の産業都市。人々の欲望と夢が渦巻いた未来都市。もっとも、どれもずいぶん以前の話だ。そんな幻想は、そのすぐ近くに見える巨大な山脈に全て押しつぶされてしまう。
「ようこそ、最終処分場指定の貿易都市、東京へ」
周囲一帯を瓦礫の山に覆われながらもなお、繁栄しようとするその都市は、まるで過去の栄光に捉われた老人のようでもあった。
東京にはよくもまぁ、というぐらいに人が密集していた。この狭い面積でこれだけの発展をしたというのは恐るべきである。加えて、土地的に言っても決して恵まれた場所にある、とは言いがたい。しかし気になる点がいくつかあった。
「これ軍用車両でしょ?」
「ええ、そうよ。……それが?」
「なんて言うかさ、みんな自然だよね?」
少なくとも、僕のいた場所では軍というのは異質だった。実戦のための無骨な装備は、周囲の造形にそぐわないどころの話ではない。
「見慣れてるだけね。この都市の近くに、あなた達の施設があるのよ?」
それは果たして僕たち人間のせいだ、とも取れる言い方だ。非難しているようには聞こえないものの、その言葉には棘だらけだ。
「もう1つ質問いい?」
「なにかしら」
「この辺りの人たちって、みんなあんな感じ?」
「あんなって?」
「いやなんかさ。暗い顔してたり、目の下くまだらけだったり……さっきからろくな顔してる人がいないけど」
彼女のハンドルを持つ手が少し緩んだ。返答を考えあぐねているようだ。しかしそれは本当にわずかな時間で、すぐに口を動かした。
「聞いたことない? この島の人は働くのが大好きなの。疲れてるんでしょ」
ああ、そう言えば大陸の方でそんな昔からの通説らしいことを聞いたことがある。大昔の一週間の表には、土曜日も日曜日もなかった、なんて話もあったような……。五十嵐は鼻で笑うと、あと横並びが大好きね。とも付け加えた。峻烈な意見である。
「じゃあ最後の質問」
「端的に、明確にお願い」
「さっきから曲がらないけど、施設ってどこら辺にあるの?」
「見えるでしょ? あの山に向かってるの」
とは言うものの先にある山と言えば廃材やらゴミで出来ているものばかりだ。入り口を除き、この都市を囲むように存在するその山々は異常な存在感を放っている。今でこそ車窓で外界と仕切られているが、その悪臭は想像を絶するものだろう。
「……え? 冗談でしょ?」
「多分思ってる通りよ」
この後の言葉が僕の精神状態のせいなのか、それとも彼女が誤解のないようはっきり言ったのか。それはわからないが、少なくとも僕の耳にはいやに大きく聞こえた。
「施設はあの山の合間にあるの」
めまいがした。そんな場所に人間を押しやるお偉いさんに問いただしたくなる。
祖人にとって、同類の人間はあの瓦礫の山と同じ扱いなのか? と。
市街を出ると急激に地獄のような風景に変わる。冷蔵庫やら自家用車やらレンジやらの残骸がそこら中に転がっていた。車道のつもりなのか、山の狭間に一直線の轍。五十嵐の運転する車は、減速しながらその道に乗り上げた。舗装もされていないので、ジャリジャリと砂利を蹴る音が響く。途中転がっていたドラム缶からこぼれていたのは何の液体だろうか。可燃性じゃないことは祈っておくとする。
しばらくすると、このゴミ山の合間にふさわしいぐらいにボロボロ。元は白だったんだろうなぁ、と数十年前をほうふつさせる建物が見えてきた。その形は以前通った中学校に似ている。断わっておくが、いい思い出など1つもない。
「なんか……学校っぽいね」
「元学校だから当たり前ね」
そういうことらしい。ゴミに埋もれた学校をそのまま使っているのだ。取り壊す手間も省け、施設を建造する手間も省ける。おまけに人間をわざわざ利用価値のある土地に住まわせるのでなく、もう使えない廃墟に追いやるなんて。まぁなんと経済的かつ合理的な土地利用だろうか。祖人様には頭が上がらないね。
更に近づくと、今まで周囲の山に埋もれていてわからなかったが、小さな門が見えてきた。なるほど、校門か。そこで五十嵐はいきなり舌打ちをしたかと思えば、車を急停車させた。突然のことに対応できず、僕はガラスに頭を打ち付けた。
「おいどうした五十嵐!?」
さすが祖人、とでも言うべきか。後ろの金髪は急停車にも動じることなく状況把握に努めていた。五十嵐はどうしたことだろう。警棒を取り出していた。警棒といっても、警察が使うような生ぬるいものじゃない。いざとなった時、実戦でも使えるよう鋭く剣のようにとがった物だ。
「あんたも準備しときなさい」
その言葉に金髪は動揺を隠せない。いや、僕はまだ状況さえ把握出来ていない。一体何が起きているのだろうか。その時。
「テイク・オフ」
どこからともなく低く落ち着いた声が聞こえた。その声が聞こえると五十嵐はもう1つ舌打ちをする。そして何を思ったか今度は車を急発進させる。一気にへしゃげた鉄格子をぶち抜くと、施設前の広場で車はスリップし停止する。僕の体を遠心力に支配され車のドアに激突した。五十嵐と金髪は見事に車内から飛び降りて受身。そして何かを警戒するように立ち回る。
「人間か?」
「そんな生やさしいものならいいわね」
銃を構える金髪は五十嵐の向く方……先ほどまで車があった門前を凝視する。僕もまた、痛む体を起こして車から這い出し、その先を見てみた。
「なんだあれ?」
思わず口についたのは我ながら間の抜けた質問だった。人……らしい形をしている。手足が2本ずつあり、頭があるのが人だというならば、だが。大きさは僕の腰あたりまでの高さだろうか。ゆっくりぎこちなく、不安定な足を動かす度に金属のすれる嫌な音が響いている。赤茶けた体は辺りの山から拝借したかのようだ。そんな不気味なオブジェが4つ、背中に謎の円筒を担いでやってくる。
炸裂音がすぐ近くで聞こえた。どうやら金髪が思わず発砲したようである。
「弾の無駄ね」
五十嵐はすぐにそう呟く。言葉通り、あの死の先兵は当たってへこみはしたが、怯む様子はまったくない。それどころか背に負った物をゆっくりとこちらに向け始めた。
「じゃぁどうするって言うんや!」
金髪のヒステリックな叫びを無視し、五十嵐は一気にやつらとの間合いを詰める。その速さは異常だ。50m走ならば4秒をきる勢いではないだろうか。
そして人形がようやく地上と並行に円筒を構えたと同時である。空をきる音と崩れる一体の人形。その境界に五十嵐は立っていた。警棒を斜めに振り下ろした形で静止する彼女は流れるように、横殴りにもう一体を両断する。残りは左右一体ずつ。しかしこの間に仕返しにとばかりに、2体とも五十嵐の方へと転回している。砲身はすでに地上と並行。つまり彼女はその弾軌道上にすでにいることになってしまう。しかし恐れることなく彼女は右側の人形を、警棒を振り上げてぶった切る。
「すごい……」
僕は逃げる事も忘れ五十嵐の戦いぶりに見とれていた。金髪も同様のようで、銃が効かないと言われた手前、援護射撃も出来ずに棒立ちしていた。このままならば、五十嵐の圧勝かとも思われた。
だが残された人形の動きは思いの他に早かった。五十嵐が3体目を葬ると同時に、その太い砲身が唸りを上げたのだ。僕は思わず目と耳を塞ぐ。しかし爆音はなかった。
爆弾の発射はなかったものの砲身からは大量の水が出ていた。五十嵐は全身にそのどす黒い液体を被る。これは予想なのだが、あれは辺りのゴミ山からすくってきたものではないだろうか。五十嵐はあきれ果てた表情の後に、警棒を最後の一体に突き刺すと、思いっきり右に引き抜いた。大きな音を立ててバラバラになる。それから。
「無駄かもしれないけど、一応言うわ。出てきなさい」
門の外の山に向かい冷酷に言い放つ。摂氏マイナス273度。いわゆる絶対零度というやつに空気が達したのではないか、という冷たさだった。僕が隠れている立場なら、まず絶対に出ては来ないだろう。
だが、恐れを知らないのかそれとも単なる馬鹿なのか。ゴミ山の影にいたそいつはヒョイと姿を現した。その挙動には恐れも卑屈さもない。
「嫌なタイミングで帰ってくるんだな、五十嵐」
「通名を名乗りなさい」
「スー。よく知っているだろう」
スーと名乗る短い黒曜石の様な髪を揺らす男。どことなく飄々とした雰囲気と、五十嵐に似た冷静さを併せ持っていた。五十嵐の静かな怒りとは対照に、嘲笑を浮かべながらこちらを見下ろしている。
通名はこの施設で過ごす人間に付けられるもの。それを踏まえるなら、あの男は祖人ではなく人間だということになる。だが人間は祖人に逆らってはいけないという原則があったはずだ。にも関わらず、あの男にはそういった服従の態度というものは皆無だった。
「このガラクタはあなたの?」
「さぁね。俺はなんとも言わないよ。偉大なる祖人様に従うだけさ」
スーはあくまでシラをきるつもりらしい。状況だけを見るならば、明らかに彼の仕掛けたものだ。しかし、なぜ武器ではなく、放水器を積んでいたのだろうか。
「普段は姿も見せないくせに、珍しいわね」
「緊急事態ってやつさ」
「私がいることがそんなに? ずいぶん買ってくれるじゃない」
「別にあんたがって訳じゃない。外から来たことが問題なんだ」
鋭く五十嵐を射る眼光は劣る存在のそれではない。対等の存在が敵を見つけた時のものだ。僕はこういったやつに数回出会ったことがある。
「どういう意味かしら?」
経験からの結論。こういうやつは、絶対に、何があろうと、敵に回してはいけない。敵に回したが最後。いかなる手段を用いても諦めることなく、決して屈することもなく権力、金、暴力。いかなる力をも跳ね除けて見せてくれる。そして自分は卑怯な戦術も惜しむ事なく使うものだから性質が悪い。……個人的な記憶が入ってしまった。あの男がそうとは限らないな。
「そう。そういうこと」
五十嵐はなにかを悟ったようだ。
「何をしてるのかは知らないけど、あなたは陽動ね?」
どういう思考を経てその解答に辿りついたのか。僕にはまったく理解出来ない。そしてその問いに対してスーは何も答えない。挙動や表情は相変わらずで、問いの真偽もそこからは読み取れない。そしてしばらくの沈黙の後ただ一言。
「時間のようだ」
そう言って再びゴミ山の影に潜んでしまう。五十嵐は追いかけようとする素振りも見せずに警棒を収めた。
「追わなくていいの?」
「ええ。どうせここからは逃げられないから」
言いながら、湿った長髪から泥水を落とすように手で絞る。
「で、あんた」
五十嵐はやや怒ったように言う。相手は僕ではないようだ。とすると、この場にいるのはもう1人しかいない。弱り果てたようになんでしょう、と返事をする金髪。
「危機管理能力がなってないわ。定時連絡で会ってた時は不問にしてたけど、同僚になるなら話は別。そんな実力じゃすぐに人間に舐められるから、覚悟しときなさい」
この金髪は新しく配属されたらしい。お互い早々にとんでもない先輩を持ってしまったようである。
「ええ。さっさと来なさい」
場所と用件だけを命令口調で連絡すると、五十嵐は携帯の電源をきってしまう。相手は部下なのかどうか知らないが、可哀相である。
あれから。応接間のような場所で、僕は五十嵐と対峙していた。五十嵐は先ほどのガラクタに水をかけられた姿そのまま。着替えたり拭いたりしないのだろうか。建物を掃除する人も大変だ。
「じゃあこれとこれ」
部屋にあった棚の中からなにかを取り出すとこちらに放る。
片方は服のようだ。もう一方は……135と印刷されたプラスチックのプレートだ。何気なしに裏面を見てみると、ショウと味気ないぶっといマジックで書かれている。
「あとのことは、今から来るやつにきいて」
不機嫌そうに頭をクシャクシャとかきながら言う。汚水まみれが気にはなっているようだ。……ついでにイライラしているようだが、まぁ僕のせいではない。
「そいつが人間サイドの事情なら詳しいから」
とってもね。と付け足すと彼女は部屋を後にした。1人取り残される僕。さて、それまでどうしていればよいのか。明日から生活する施設内を見学、とはいっても1人では道に迷いそうである。ここはジッとしているが賢明だろう。
部屋の中央にあった長椅子に座り込む。さすがに名目は保護をうたっているだけあって、そこまで酷い待遇ではなさそうだ。ただ相当の束縛を強いられることは想像に難くない。外出も多少は出来るそうだが、果たしてどの程度だろうか。疑問ばかりである。
制度自体ところどころのインフラが整っていないようにも感じるのは、多分気のせいではないだろう。この法律が施行されてまだ3年。そこまでのクオリティは無理って事なのだろうか。ならば付け入る隙もまた、あるのではないだろうか。
そんな無意味な事をつらつらと考えていると、背後でドアが控えめに開く。祖人の軍人が来ると思っていたので、その慎ましい行動を意外に感じながら振り向くと、そこに居たのは少女であった。
「あなたが五十嵐さんの言っていた新入りの方ですか?」
僕は黙ってうなずく。彼女が五十嵐が呼んだ者の正体らしい。
「私の通名はサクラ。第2期生で、年は16です」
通名……ということは、彼女もまたここに収容された人間の1人なのだろう。
「僕はショウ。第何期生っていうのはわからないけど、年は18」
「人間保護法が施行された年に集められた方を第1期生。次の年、つまり去年の方を第2期生。そしてそれ以降の方を第3期生って区分してます」
「じゃあ僕は3期生ってことになるのかな?」
「そうなります」
それではいつか、3期生がインフレを起こさないだろうか。っていうかその区分に意味はあるのか。疑問は怒涛のように押し寄せたがここは飲み込む。話が進まない。
「あのー、それで五十嵐さんは?」
さてどうする。どこに行ったかなんて知らない。
「あとのことは君に全部聞けって言われたんだけど」
「はぁ」
まったくあの人は呼びつけるだけ呼びつけておいて、などと困ったような表情を浮かべながらの文句。整った顔をキレイに歪めて(矛盾)いる。
「まぁいっか。制服とプレートは渡されていますよね?」
先ほど渡された正体不明のアイテムがそうだというならば渡されている。服の方の正体はたった今判明したが。制服という事はどうやら明日からこれを着て生活しなければならないらしい。そういえば目の前にいるサクラさんもこれとよく似た服だ。男女の違いのためか若干の差異が見られるが。……今着ているこの薄汚れたシャツはどうしてくれようか。
「私が呼ばれたってことは、多分同室だと思います」
「はぁ」
うんうん、って何を納得しているのかは知らないが、合理的な理由があるのだろう。
「来てください。みんなを紹介しますから」
サクラは部屋を出て行く。僕は先導する彼女の後ろ姿を追った。
「どこまで行くのさ」
梯子を降りきった時、そう言わずにはいられなかった。
「このトンネルの先だから。……後ちょっとかな?」
彼女は暗い道の彼方を指差す。さていつの間にか敬語ではなくなっていたが特に触れないことにしよう。まさか廊下の壊れたダストシュートの下にこんな道があるとは、いかな祖人でも想像もつくまい。
「今、この先の工房に施設の人間の3割はいるの」
「工房? 工房ってことは機械とか作ってるの?」
先ほどのスーという男が連れていたガラクタを思い出す。
「表面はね。そこはたまに祖人たちも来るんだけど……」
どうやらその存在は管理者たちにも筒抜けらしい。ならばなぜこんな道を造ったのだろうか。その来歴には一片も興味が湧かないが、1つだけ気になる言葉があった。
「表面?」
コインには表が存在するなら必ず裏が存在する。当たり前の理屈だ。
「行けばわかるから」
彼女はそう僕の疑問を制した。
そこからしばらく無言が続く。明かりもない直線のすい道。2人の湿った土を踏む音だけが反響していく。
「着いたわ」
彼女は行き止まりで振り向く。そして僕に向かって呟いた。手を上に挙げ、岩盤を押し上げるように持ち上げると、そこから光が爆発した。
「はい」
一足先に、慣れた足取りで登ったサクラの伸ばされた手に助けられて登る。
そこは金属たちの生まれ変わる場所であった。
金属を打つ音があちらこちらで聞こえる。僕が見てきた作業用の機械などは少ないが、そこいら中に原始的な工具が見える。材料は恐らく、周囲の山から取ってきたもの。なるほどこれだけのものがあれば、単純なロボット位は造れるだろう。
圧倒されている僕を催促するように彼女は腕をつかむ。
「ちょ、ちょっと?」
完全に無視し、彼女はどこかへと歩き出す。……僕を引きずりながら。
辺りには作業をしている同年代の人がいる。年上よりも、多分年下の方が比率は多いだろう。そしてまた驚いた事に、僕の知る工房では男性が専らの働き手であったが、ここでは女性も普通に見受けられる。またこの人数で施設全体の3割ならば、総勢はなかなかの人数になるのではないだろうか。
サクラは一番奥の壁の前で立ち止まった。
「ここになにかあるの?」
僕の疑問には見向きもせず、彼女はしゃがみ込んで床の辺りを探り始めた。いや、探すというのは間違っているのかもしれない。サクラはそこに、確固として何かがあることを知っているように、床に手を走らせていた。
「これだ」
そう言いながら、レンガ造りの床の1箇所を押し込む。するとどういう仕掛けなのかはわからないが、壁が横に滑るように開き、鉄製の扉が姿を現したのだ。彼女は臆する事もなくその扉のノブに手をかけ開く。嫌な金切り声が響いた。そこには……。
「おう、サクラ。なんの呼び出しだったんだ?」
大柄な男が真っ先に気付き、彼女に声をかける。続いて、機械の中から顔を出したのは白衣姿の女性だった。
どうやら数人がこの空間で、巨大な機械を製作しているようだ。
その大きさたるや先ほどのスーという人間が連れていた(と思われる)人形の数倍。用途はまったく不明。新東京の工房で働いていたのだが、まったくお目にかかったことのない造形だ。
光景に見とれていると、突然に背中を押される。驚いて振り向くとそこには、穏やかに笑う悪魔がいた。
「サクラ、早かったねぇ」
「大した用事でもなかったから。ほらほら! みんな集合!」
サクラとスーはその巨大な機械のそばに歩いていく。と同時に、それに気付いた面々が姿を見せ、その周りに集った。サクラは集った彼らに説明するように言った。
「彼が、新しくわたし達の仲間になるの」
そして入り口で棒立ちをする僕に、サクラは1歩踏み出した。
「ここが、わたし達の秘密の工房」
凛とした声は狭い工房の中に響き渡る。そして彼女は、僕に向かって手を伸ばして言った。
「わたし達と一緒に、空を飛ばない?」
……それは、幼い日の僕の夢だった。




