第1話
「真鞘兄さま・・・」
私は、燃え上がる実家の門前に立ち、こちらを一顧にせず裏口の方向に立ち去って行く兄『真鞘』を眼で追いながら呟いていた。
私が、我が里で鍛えられた刀を始めとする鍛冶製品の納品を終え戻ってきた時には、里のあちこちから火の手が上がっていた。
私は、同行していた者の制止を振り切って、我が家に息を切らしながらも走った。
門前に着いたときに見たのは、遠目だったが間違いなく兄の真鞘が去っていく姿だった。
真鞘の手には、我が一族の宝刀『黒刀夜露』があったのをはっきり見た。
その時の私は、どうすればいいのか考えが纏まらずに、真鞘の後ろ姿が見えなくなってもただ立ち尽くしているだけだった。
どの位経ったのだろう?
「鍔姫さまっ! 鍔姫さまっ!!」
誰かが私の肩と腕を掴み、大声で私の名を叫んでいる。
私は、ゆっくりと振り返りその人の顔をぼんやりと見る。
「多恵さん・・・?」
声の主は、近くに住む多恵さんだった。煤で汚れた多恵さんの必死な形相を見ているうちに、段々と私の頭もはっきりしてきた。
「多恵さん!なにが・・なにが起こったのですか?」
「鍔姫さま! まずはここから離れてくださいませ!! もう里中火の海です!!」
「あぁっ! 父さまと母上さまは!? それに未沙柄は? みんな無事なのですか!?それに、兄さまは何でっ!?」
「話は後で!! まずはここから離れてください!!」
「・・・・」
多恵さんは、返事を返さない私の袖を引くが、私は動けないでいた。
やがて、遅れて到着した旅の同行者たちに引きずられるようにして、私は里の外に連れ出された。
里から少し離れた高台には、着の身着のままで逃げてきた里の住民たちが集まっていた。
「鍔姫さま、ご無事でしたか。」
「お怪我はございませんか?」
里から避難してきた人たちが私に声を掛けてくれる。
「はい。 私は大丈夫です。」
私は、燃える里から眼を離さずに、そう答える。
「何が・・・あったのですか?」
「わかりません。 突然里のそこかしこから火の手が上がったのです。」
「そう・・・ですか・・・」
「鍔姫さま。 未沙柄さまは、ご無事なはずでございます。」
また、ボーっとしていた私に、多恵さんが溜まりかねて妹の無事を伝える。
「多恵さん! 本当ですか?」
私は、宝物のように大事に思っている妹『未沙柄』が無事だと聞かされて、安心すると同時に一気に覚醒した。
「ええ、未沙柄さまは、今朝早くから泊りがけで鉄芯さまの山小屋に向かわれましたので。」
「そうですか、鉄芯叔父さまの所へ・・・それなら・・・。」
私の叔父『鉄芯』は、里には住まずに山奥に鍛冶工房を造って、1人きりで鍛冶を行っている変わり者だ。工房の正確な場所は、父の他に数名が知る程度で、私も含め里の殆どの者は知らない。未沙柄は、まだ小さいながらも工房の場所を知る数少ない1人だ。
「父さまや母上さまはご無事なのですか?」
「いえ、それは・・・。」
多恵さんが口ごもる。周りの人々も一様に口を閉じ、目を合わせようとしない。
(2人とももう・・・)皆の態度で分かってしまう。
「真鞘さまも行方が分かりません。」
(父さまと母上さまの最後若しくはご遺体を確認した者はいるが、兄さまは誰も見た者がいないという事ね。)
兄真鞘が宝刀を持って立ち去るところを私は見たのだが、今は黙っておこう。
「そうですか・・・。」
それから皆、燃える里をただ見ていることしかできなかった。
しばらくすると雨が降ってきた。
雨が止むころには里は燃え尽き、残っているものは殆ど無いように見えた。
「皆さん。 申し訳ありませんが、里に下りて生存者の捜索に手を貸していただけませんか?」
里は絶望的だと思われたが、もしかしたらまだ生き残っている人がいるかもしれない。
私は、里の長の娘としてやるべきことだと思い皆にお願いした。
「わかりました・・・鍔姫さま。」
「男衆は、鍔姫さまと里に! 女子供は、しばらくここで待っていてくれ!」
私は、高台に避難していた男性数人とともに里に向かった。
里に下りてあちこち見てみたが、高台から見ていた通り、殆どが燃えてしまっており生き残りなどいるとは思えなかった。
「鍔姫さま~!! ご無事でしたか!!」
私たちとは、別の一団が里の入り口につながる坂を上がって来るのが見えた。
私たちのいた高台とは別の場所に避難していたのだろう。
しばらく里に留まっていたが、集まってきた避難民は全部で10人ほど、高台に逃げていた人は20人ほどだったので、里の住民は30人ちょっとになってしまったようだ。
「皆さん。 お疲れのところ申し訳ありませんが、どこか屋根のある場所は残っていないでしょうか?」
「鍔姫さま、里はご覧のとおりですが、畑の方にある建物は無事でしたので、そちらに参りましょう。 それから、焼け残った木材でなんとか小屋を建てます。」
「そうだな。 後は足の速い者を近くの村に行かせて助力を乞いましょう。」
「そうですね。 申し訳ありませんが、村への連絡お願いできますか? 高台の皆も畑の方に呼びましょう。」
「はい。」
「お任せください。 鍔姫さま。」
「あとは・・・お墓を作らないとなりませんね。」
「・・・はい・・・。」
高台に向かう者、近隣の町に行く者、燃え残った資材を集めに行く者・・皆がそれぞれの方向に散っていく中、私は自分の家があった場所に戻る。
「真鞘兄さま・・・。 いったい何があったの・・・?」
私は、遠ざかっていく兄の後ろ姿を思い出して、1人そんなことを口にしていた。




