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魔の鴉がやってくる。SS

魔の鴉がやってくる。SS『ジョッタル・ハーカーが見ている』

作者: 安田景壹

 廃病院、というものは古今東西、怪談の生まれる場所である。

 ある調査によれば、現存する廃病院は全国でおよそ二百ヶ所はあり、それらは土地の所有者が不明であったり、取り壊し資金の不足であったりといった理由から、今も残されたままなのだ。

 手入れする者もなく、藪の中、ひっそりと佇む廃病院は、肝試しをする者や廃墟巡りを趣味とする者たちが訪れる、闇のテーマパークである。無論、廃墟への立ち入りは不法侵入に当たる事もあるので推奨されるものではないが、もしうっかり入ってしまったとしたら、降りかかる困難は法的なものだけではないかもしれない。何故なら、人が立ち入らなくなった建物には、往々にして恐るべきものが宿るからだ。

 ここで、先に進む前に自己紹介をしておこう。

 私の名前は、(かささぎ)八代(やしろ)。副業で怪奇ライターをやっている。縁があってこの連載を持たせてもらい、読者の皆さんに、あるテーマに沿った怪談を紹介させてもらっている。

 そのテーマとは、『魔女』である。

 私が紹介する怪談は、年齢も職業も性別も様々な取材対象から蒐集ものであるが、千差万別であろうはずの怪談の中に、共通した特徴を持つ一人の人物が現れるのだ。

 黒いとんがり帽に、黒マント。そして黒い長髪。少女のような顔立ちだが、年齢は不明。場所を問わず、日本全国どこにでも現れる。退魔屋と呼ばれるこの魔女の足跡を追うのが、本連載のテーマだ。

 今回紹介するのは、ある廃病院に現れた怪異と魔女のお話である。毎度の事ながら、人物名や場所には今回も仮称を用いさせていただくが、その内容は実話である。

 そう、どうやら実在するのだ。魔女も、ジョッタル・ハーカーも。


 (りき)()さんは、東北の出身である。大学進学の折、希望の学部に通うために故郷を離れ、K県O市で一人暮らしを始めた。

 初めての大学、初めての一人暮らしにも不安はあったが、一番の不安は友人ができるかどうかだった。高校まではほとんど幼馴染に囲まれてきたようなものだったが、大学ではゼロから友人を作らなければならない。

一念発起して髪を金に染め、持ち前の陽気なキャラクターを意識して表出させるように振る舞ったところ、すぐに数人の友人ができた。

いわゆる、陽キャのグループに入った力哉さんは、仲間たちと一緒にレポートや課題に取り組んだ。当然、勉強だけではなく、遊びに行くのも一緒だ。たちまち一年が過ぎ、二年が過ぎた。力哉さんは無事大学三年生になり、見知らぬ土地も人も、今や慣れたものだった。長期休暇前の提出課題と試験を終えた仲間たちの間で、旅行の話が持ち上がるのは、自然な流れだった。

 誰が最初に言い出したのか。旅行先は同じK県にある温泉地に決まった。大学からはさほど離れていないが、有名な温泉地だ。交通費を浮かす代わりに宿は多少豪勢にできる。せっかくだから女子も誘おう。力哉さんが話の進行速度に戸惑っているうちに、あっという間に約束が取り付けられ、同学年の女性陣を交えた八名のグループで、力哉さんたちは温泉地に出かけた。

「肝試ししようぜ」

 お決まりの文句が出たのは、温泉を出たあとの事だった。

「ここから少し行ったところに、でかい廃病院がある。かなりやばいってSNSで見たんだ」

 すでに缶ビールで気分が高揚していた面々は、この提案に大いに賛同した。力哉さんは若干の不安を感じたものの、ここで及び腰になっては場が冷えると考えて、無理矢理缶ビールを呷り、酔いで不安を吹っ飛ばした。

 K県の温泉地にある曰くつきの廃病院。ネットでは《ロス病院》の名で呼ばれている。ロスは、ロサンゼルスのロスだろうか。こちらで調べたところ、病棟の一部が海外から移築されたものであるらしく、どうやらそれが由来のようだった。

「ロス病院は、元は精神病院なんだ。昭和の頃に建てられて、当時としては先進的な治療をしていたんだけど、中には手に負えない患者もいて、そういった人達を閉じ込める隔離病棟があったり、あるいは、薬で安楽死させていたりしたらしい」

 仲間の一人が饒舌にそう語った。

 ちなみにだが、記録を見る限りロス病院は精神病院ではなく総合病院で、昭和の頃に建てられたとはいっても、それは昭和の終わり、平成の手前の話だ。隔離病棟はあったのかもしれないが、それはあくまで治療を目的とした施設であり、安楽死云々にいたっては根も葉もない噂である。

 だが、少なくとも当時肝試しに向かっていた力哉さんにそれらの事実を知る事は叶わず、夜の山中で実際に目の当たりにした廃病院は、噂話相応の忌まわしさを(まと)っていた。

「やば」

「だいぶ雰囲気あんじゃーん」

「よっしゃ。入ってみようぜ」

 ほろ酔い気分も相まって、仲間たちは特に躊躇う事もなく正門の脇にある出入口の扉を開けて、敷地へと入っていく。

 こういうところって、出入りできないように施錠されていたり、鉄線が張り巡らせてあったりするんじゃないのか、と力哉さんは疑問に思ったが、朽ちた廃病院の正門にも出入口にも、人の出入りを妨げるような細工はされていなかった。

 正面玄関の扉にも、鍵は掛かっていない。力哉さんたちは難なくロス病院の中に足を踏み入れた。

 あとで知った事だが、この時、仲間の一人はすでに、誰かに見られているような、そんな気がしていたという。


 当たり前の事だが院内は暗く、通路もゴミや落ち葉がところどころ散らばっており、力哉さんたちの歩みもそれなりにゆっくりにならざるを得なかった。スマートフォンや懐中電灯の明かりを頼りに進む廃病院の中は、最初こそ不気味だったが、十分も探索すればそれなりに雰囲気には慣れてしまった。そもそも一階フロアはすでにほかの誰かが肝試しや悪戯をしにきていたらしく、『お母さん、助けて!』というスプレー缶で描いたような、わざとらしいラクガキがあって、興醒めのような気分にさえなったりした。

「あ、何だよ。二階行けねえじゃん」

 仲間の一人が声を上げた。見れば、二階への階段は、踊り場の辺りにソファや冷蔵庫などが積み上げられていて、道が塞がれている。廃墟なので、不法投棄なのかもしれない。

 仲間たちの間に、一気に肝試しに飽きたような空気が流れた。誰かが、帰ろうぜと言った。

 その時だった。

「……ねえ、あれ誰」

 女子の一人が、異様に緊張した声で言った。

「えー何、雰囲気あんじゃん!」

「何か見ちゃった~~?」

 仲間たちは即座に囃し立てたが、

「違うって! あっち! 誰かいる!」

 必死な声とともに、スマートフォンのライトが廊下の向こうを照らした。

 誰かが、いた。

 頭は廊下の天井に近く、帽子でも被っているのか、UFОみたいなシルエットだと、力哉さんは思った。肩幅はそれなりに広かったので、男性のように見えた。異様なのは、ライトで照らしているはずなのに、その恰好は暗がりに溶け込んではっきりとは見えず、反対に、その人物の両目が、スマートフォンのライトに照らされて、白く反射しているところだ。

 皆の空気が、一気に冷えたのがわかった。内臓に氷を当てられたかのような気味の悪さ。

「え、誰――」

 仲間の一人がそう言いかけた瞬間、謎の人物が一気に力哉さんたちのほうに向かって走り出した。

「うわあああああっ!?」

 パニックになった力哉さんたちは全力で逃げた。一階は探索していたが、詳しく構造を調べたわけではない。だが、謎の異様な人物から逃げたい一心で、とにかく走り回った。

「すぐそこまできてる!」

 その声に力哉さんは思わず振り返ってしまった。謎の人物の足は速く、窓から差し込んだ月明りで一瞬その顔が見えた。

 わけもわからず、力哉さんは絶叫しながら走った。

 廃病院の裏手にあたる出入口から飛び出し、一目散に逃げた。仲間は皆いたが、謎の人物がまだついてきているような気がしてとにかく走り続けた。

 どこをどう走ったのかも覚えていないが、街の明かりが見えて、気が付けば温泉街の端まで、力哉さんたちは戻っていた。恐る恐る振り返ったが、謎の人物はどこにもいなかった。

「……あいつの顔、見た?」

 仲間の声に対して、大半の者は首を横に振った。逃げるのに必死だったからだ。

「俺、見た」

 力哉さんは手を挙げた。

 質問をした仲間が、青い顔で言った。

「あれさ、ピエロだったよね」

 胸のあたりに嫌な感じを抱えながら、力哉さんは頷いた。

 逃走の最中、一瞬だけ見えた謎の人物の顔。

 白塗りの化粧に、帽子。ボリュームのある毛玉のような髪型。派手な色遣いの服。

 間違いない。謎の人物はピエロだった。


 異変が起き出したのは、旅行から帰ってきたあとの事だ。

 一緒に行った者のうち、女子の一人が顔を見せなくなった。連絡を入れても、返信がない。

 数日して、女子仲間がその子の自宅を見に行ったところ、鍵は開いていて、家の中には誰もいなかった。

 が。

「え、何これ……」

 フローリングの床には、赤い液体が大量にぶち撒けられていた。

 警察沙汰になり、仲間たちの間にも嫌な緊張が漂い始めた。

 いなくなった子は、廃病院で最初に謎のピエロの姿を見つけた子だった。

 数日後に、今度は男子の一人が姿を消した。友人と夕飯を食べに行って、ちょっと席を外したあと、そのまま戻ってこなかった。彼のスマートフォンが道端に落ちていて、割れた画面から赤い液体が流れ出していたという。

「……あれ、《ジョッタル・ハーカー》だわ」

 力哉さんと一緒に昼食を摂っていた男子が、そんな事を言った。ロス病院の噂についてよく知っていた友人である。

「ジョッタル……何?」

「ジョッタル・ハーカー。マイナーな都市伝説なんだけどさ」

 友人は続けた。

「殺人ピエロだよ」

 いわく――

 ジョッタル・ハーカーは知る人ぞ知る都市伝説の怪物である。その外見はピエロのようで、瞳のない、真っ白い目をしているという。

 ジョッタル・ハーカーに出くわす条件はよくわかっていない。知られている限りでは、夜道で急に現れてつけられる、昼間、遠くのほうから自分を見ている人物がいるので、よく見てみるとピエロの恰好をした不気味な人影だった、など決まったパターンがない。追われた人物がぎりぎりで逃げ切る事もあれば、一緒に逃げていた人間が捕まってしまって、二度と戻らなかったというオチもある。ジョッタル・ハーカーが誰かを捕まえた時、そこには必ず、攫われた人物の血や、持ち物、あるいは肉体の一部といったものが落ちているのだという。

「所詮、都市伝説だろ」

 力哉さんはそう言ったが、あの日、自分たちを追ってきたピエロの顔が頭から離れない。

「でも、今起きている事は似てるだろ。俺たち、ジョッタル・ハーカーに目をつけられたんだよ」

 怯えた様子でそんな事を言った友人も、三日後に連絡がつかなくなった。真っ赤に濡れた友人のリュックサックが、後日見つかった。

 次は自分なのではないか、そんな予感を力哉さんは抱いた。家を出るのが怖くなっていた。食料や生活に必要なものを買い込み、大学を休んでアパートに引きこもった。戸締りをして、カーテンも閉め切る。友人たちから何度も連絡が入ったが、全て体調不良で長めに休むと返した。こんな事をするのは嫌だったが、言い知れぬ恐怖のほうが勝っていた。

 一日、一日と時間が過ぎていく。暗闇も恐ろしくなり、家中の電気を二十四時間つけっぱなしにした。睡眠時間は短く、眠ってもすぐに起きてしまう。換気のために窓を開けるも怖い。そのうち、本当に体調がおかしくなった。熱があるのか、頭がぼーっとするし、悪寒もひどい。

 ずっとピエロの事が頭を離れない。いつの間にか、家の中にピエロがいるのではないか、すぐ後ろに立っているのではないか、そんな悪い予感がついて回る。

 スマートフォンが震動した。画面を見たくなかったが、結局力哉さんは見た。また友人からの連絡かと思ったが違った。母親からだった。心配して様子を見にくるとの事で、もう駅からアパートまで向かっているという。

 まずいんじゃないか、と熱に浮かされながらも力哉さんは身支度をした。もし、母親がここへくるまでの間にピエロに出くわしたら? そう思うと、無理矢理にでも家を出るしかなかった。

 時刻には気を配っていなかったが、外は夕暮れ時だった。髪もぼさぼさ、よれたTシャツと半ズボンで、ふらふらになりながら駅までの道を急ぐ。ぎりぎり、家の鍵を掛ける事は忘れなかった。

 熱はどんどんひどくなっていく。普段なら何てことはない駅までの道のりが長い。空は夕焼けがやけに赤く、道中ほかに人影は見当たらない。

 またスマートフォンがぶるぶると震えた。熱で朦朧としながら、画面を見る。

 メッセージが入っている。ひと言だけ。


『うしろ』


 一瞬、思考が止まる。後方は自宅アパートのある方角である。メッセージの差出人を確かめなければならなかったが、恐怖で脳が支配されていて、余計な動きができない。

 ああ、駄目だ、と思いながら、力哉さんは後ろを振り返った。

 十メートルほどの距離のところに、それはいた。異様に背の高いピエロ。両目は、あの晩見たのと同じく真っ白で、手には、農具のような赤茶色に汚れた鎌を持っている。

 ジョッタル・ハーカー。

 殺人ピエロが目の前に、いる。

 動けない。金縛りにでもあったかのように、筋肉が動かない。

 ピエロの口が、動いた。顎が外れたかのように、大きく口が開く。

「じょおぉおおおぉっとぉおおおおぉるぁあああああ」

 ピエロの口からお経のような奇妙な声が聞こえた瞬間、力哉さんは叫んでいた。同時に金縛りが解け、駅に向かって走り出した。

「じょおぉおおおぉっとぉおおおおぉるぁあああああ」

 ペースの早い靴音ともに、ピエロの奇怪な声がすぐ後ろにまで迫っている。追い付かれる! ふらふらになりながら咄嗟に脇へよけると、間一髪、赤茶色に汚れた鎌が空を切った。

「はあ、はあ、はあ――!」

 足がもつれる。ピエロの鎌が、力哉さんの鼻先を掠めそうになる。視界がぐるぐると回る。ああ、駄目だ。殺される。殺され――

 突然、頭上から空気を裂くような音が聞こえたかと思うと、ジョッタル・ハーカーの真上に黒い影が落下してきた。布のような何かが風を受けて翻る。マントだ。それに帽子。真っ黒な髪。

「逃げて!」

 落下してきた人物が叫んだ。女の子の声だったように思う。殺人ピエロの背中のあたりには、何か長い棒のようなものが突き刺さっていて、ピエロの全身は骨が折れてしまったかのように、グロテスクに曲がっている。だが、それも一瞬の事で、バキバキと音を立てながら、殺人ピエロは瞬く間に元の直立した、不気味な姿勢へと戻った。

「こいつ!」

 黒マントの人物がピエロの頭部に蹴りを見舞う。突き刺さったままの棒が地面に当たって、こん、と音を立てた。

「何してるの、逃げて!」

 黒マントの人物が再度言った。力哉さんはその言葉で弾かれたように逃げた。走って、走って、気が付けば駅のほうではなく、全く違う方向にある公園の中で倒れていた。見つけた人が救急車を呼んだらしく、力哉さんはそのまま病院に運び込まれた。


 事件は、その後急速に終わりを迎える。いなくなったはずの三人が戻ってきたのだ。とはいえ、皆、姿を消してから戻るまでの間の記憶がなかった。三人とも怪我らしい怪我はなく、あの大量に残されていた赤い液体の正体も不明のままだ。

 力哉さんが元の生活に戻るまで、結局あの旅行からひと月ほどはかかった。あの日、あの殺人ピエロに襲われた日。母親からの連絡がスマートフォンにあったはずだが、見直してみると、そんなメッセージはどこにも残っていなかった。母親本人にも確認したが、あの日は連絡などしていなかったという。


『うしろ』


 あのひと言だけのメッセージも、当然残っていなかった。ジョッタル・ハーカーという殺人ピエロについても、噂や怪談以上の事はわからない。友人たちは何故姿を消し、そしてまた何故戻ってきたのか。力哉さんたちを追い回していたであろう、あのピエロの正体は何だったのか。それに、あの黒マントの人物は――

 全ては謎のまま、事件は終わった。

 ロス病院と呼ばれる廃病院は、その後、取り壊しが決まったらしく、今頃はもう跡形も残っていないらしい。


                                  了


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