私の思い出〜望郷、私の海〜
私の故郷は源平最後の合戦で有名な下関。
そこで生まれ育った長州娘が今は立派な大阪人。
生まれ育った軌跡、ここに記します。
注)この話はフィクションです。
私の故郷は、山口の吉見と言うところでね。
吉見って、ほら、幕末の志士、久坂玄瑞とか山縣有朋らを輩出した松下村塾がある所で有名な萩とか仙崎に近い田舎町でね。
昔はイワシやら、トビウオやらがようけ獲れた。
そういう魚は足が速いから、頭やらワタやらをとってすり身にしてね。
それを少量の油で揚げて、練り天にする。
今ではそれをオランダ揚げって言うんかね。
旨かよ。
あんたも長門に来て食べてごらん?
今、福岡の方言が出よったけど、私は九州の暮らしも長くてね。
主人は隣のお父さんの親戚だったの。
それで紹介してもらえた。
もともと福岡はいとこの姉の嫁ぎ先でね、炒った大豆の入った飴玉、豆玉がよく手紙と一緒に送られてきた。
子供心にそれが嬉しくてね。
よく文通をしてました。
主人は豊前小倉の生まれやけど、戦時中は水巻の叔母宅に疎開しとった。
漁網の修繕やら焼き玉エンジンの修理やら叩き込まれたてよく言うてましたね。
油まみれになってね。
中学から働かされました。
大工や漁師に学歴なんか必要ないと言われてね。
変な学が付いたら困ると言われていたみたいです。
主人の家は高祖父から漁師で終戦直後から再び海に出て漁をしたと言ってましたね。
一度釜山のほうに仲間が流されて、あの時ばかりは肝を冷やしたと言ってました。
糸島の漁連に応援に行ったこともあります。
イワシの糠味噌や練り物を小倉の市場で売って生計を立てたこともありましたね。
亡くなってもう10年はなります。
大酒飲みな所と多少喧嘩っぱやところを除いてはいい人でした。
漁師に酒はつきものですからね。
遠賀川に散骨してくれて言われて多少は撒きましたよ。
涙を拭きながら。
享年75 。
肝硬変で逝きました。
あっけない最期でした。
私の話に戻るけど、練り天を作るときに出来損ないとか形の悪い物とかが出るとハネてそれが私たちのおやつになるの。
揚げたて熱々のを食べるとほっぺが落ちるほど美味しくてね。
カステラの切れ端と一緒。
不格好でも味は百点満点,
上等やったぁ。
でも、時々母や叔母とかの目を盗んで売りに出すのを失敬してあむって食べるの。
それが見つかったら、母親にパチンと手を叩かれてね。
いかんね、この子は。とか言われて叱られた。
母は若い頃大阪に出てて、弁天町のほうに住んでいたことがあるの。
すごく都会で垢抜けたところだと聞いてました。
すごく華やいだところでね。
私はもっと南の敷津のほうに家を借りて一人暮らしをしてました。
案外気楽なもんですよ、こういう生活も。
最近おいしいうどん屋を見つけましてね。
今度友人と行くんですよ。
すごく楽しみです。
欲を言えば、時折甘口の醤油と練り天が恋しくなることですね。
揚げたては向こうでしか食べられないし、もう向こうでもあげ揚げたてはないかもしれない。
もう何十年と行ってないもんね。
それに最近、だんだん足が悪うなってきてね。
遠出もできんから、娘に萩の醤油を取り寄せてもらうんよ。
長州の醤油はやっぱり口に合う。
関西の人からすれば、なんでそんな甘いんが口に合うんみたいな感じで言われるやろうけどね。
えぇ、子供は男が1人女が2人です。
孫は4人います。
1人は30過ぎても結婚せんで、特定の異性はおるみたいやけど、相手が難しい性格の人でね。
すぐヒスを起こす。
このまま一生独身なんやないかと思い心配します。
ねぇ、あんた嫁にもうてくれん?