診察1人目 その5
「がああああっ、腕があああっ! 脚があああっ!」
胴体だけとなってしまったカニ怪物は、食品サンプルみたいに地に転がって、断末魔の叫び声を上げる。
「うるさいカニだなぁ」
雷火の鞭を鋭い剣に変えて、シュガーローフがカニ怪物の胴体を水平に刎ね上げ、ぶった切る!
「フリヤンディーズ、後はお願い」
「相変わらずの無慈悲ね」
「ガキは容赦ないのだよー」
「自分で言うか」
臓物をばら撒きながら、宙に舞い上がったカニ怪物の上体に、フリヤンディーズはすっと近寄って。
優しく手をあてがうと。
「汗を拭いて終わりましょうね」
空間が何重にも歪んで揺らいだと思いきや。
ゼロインチからとてつもない消滅魔法が放たれて。
カニ怪物はか弱い悲鳴と共に、跡形もなく消し飛んでしまったのだった。
「ワール様、おつかれさま!」
「すべては順調でしたわね!」
シュガーローフとフリヤンディーズが背を向けた、そのとき。
残存していたカニ怪物の下体から、腕が幾つも生えて飛び出した。
鈍色に輝くそれはゴムでできた縄のように伸張し、ワールたちの目に巻き付いて視界を奪った。
そして猿ぐつわのように口を封じ、頸部を縛りながら手首と下肢の自由を奪う。
全身を拘束されたシュガーローフとフリヤンディーズは為す術もなく宙に吊され、生っ白い柔肌を真綿のように締め上げられて苦しんだ。
「しまった……本体は下かっ……!」
「ワール様……申しわけあっ……!」
「心配には及ばぬぞ。不測の事態はいつも心得ておる!」
ワールはふたつに分身し、片割れワールが高速に身動きしながら、金属メスで束縛の腕を断ち切ってゆく。
「むきーっ、お前、何者だ!」
「余の顔を見忘れたとは言わせぬぞ!」
ワールが自身の顔を撫で下ろすと、顔に施していたアイマスクの特殊メイクが消え失せた。
ワールの素顔を目の当たりにした途端。
「ま、まさかっ、魔王さまーーーっ?」
「ひれ伏せい! ワール・D・ワールディとは、余のことだ!」
「ひっ、ひええっ……!」
カニ怪物が恐怖で声を震わせる。
「あなた様ほどの方が、どうして闇医者まがいなことをっ?」
「なぁに、ただの道楽よぉ!」
分身したふたりのワールが、ドクターコートの内側に手を突っ込むと。
全長27.25インチの銃火器をヌッと取り出した。
それは着脱式ボックスマガジンに12ゲージショットシェルを使用し、9.25インチバレルを装備する短銃身で。
マズルジャンプを押さえるピストル用スタビライザーを腕に固定して。
手足を失い、下体だけとなった無残なカニ怪物に狙いを定める。
「おっ、おたすけ~~~~っ!」
「安心せい! これは最期の脳内麻薬みたいなもので、痛みは少しも感じまい。だが……」
ワールは火炎がほとばしる銃口を下げ、銃の狙いを地面へそらした。
「できることなら余はそなたを救いたい! なぜなら、そなたがこのような事を好き好んで起こしたとは思えぬからだ!」
それを聞いたカニ怪物は。
「魔王さまとて、わかった風な口を利くな! ボクが受けた苦しみは、言葉で言い表せないほど残酷なんだぞ!」
逆上の語気を荒らげる。
「暗闇が支配する冷凍庫の中で、手足を縛られ、身動きひとつできぬまま、寒さに凍えて独り寂しく死んでいった……。それはさぞかし辛かったことだろう。そしてストレイシープに取り憑いた今も、その苦しみが永遠と続いておる。だからそなたは助けを求めて牙を剥いた! そうであろうっ?」
「…………」
「余が終わりにしてやろう。そなたの心はもはやズタズタだ。もう楽になれ」
「……本当に、本当に終りなんて来るのかな……」
「かならず余が終わらせてみせる! そなたが受け続けてきた苦しみは、この余が重々、理解しておるぞ。心を開いて恩情に報いぬか」
ワールが優しくおもんばかると。
「魔王さまっ……」
カニ怪物は、心の奥に押さえつけていたわだかまりを吐き出すように――、大きな大きな涙を流した。
「わかってくれる人が来るのを、ずっと待っていたんだ。こんなはずじゃなかったのにねって、言ってくれる人がほしかったんだ……。もしもこの苦しみから解放されるなら、ここで終わりにしてください。魔王さま、悪いことばかりしてきたこんなボクだけど、……ひとつくらい良いことある……かなっ……」
それは、救われることへの希望の光と、命が絶たれることへの恐怖の闇とが入り混じった、灰色がかった声色だった。
シュガーローフとフリヤンディーズが、ワールの傍に物悲しそうにすがり寄る。
「これまでよくぞ耐えてきたな。解き放たれる時はもうすぐぞ。言い残すことはあるか? つまり、最期の望みを申すが良い」
しばしの沈黙を経たのちに――。
カニ怪物は口を開いた。
「ボクを大事に食べてほしいな!」
ワールには、カニ怪物が泣き止んで、にっこり笑ったように見えた。
「このワールがしかと聞き入れた!」
カニ怪物の恨みで満ちていた重い気配が、すーっと和らぎ、薄らいでいく…………。
そしてカニ怪物は身体を銃に差し向けた。
ワールはしかと狙いを合わせて。
連続の闇の業火を噴き出しながら。
交互左右に散弾を発射した。
カニ怪物の犯した罪を、貫き、破壊し、木っ端微塵に粉砕してゆく――。
カニ怪物を跡形もなく消し去ったとき。
「これにてオペラチオンを終了する!」
分身したワールがすっとひとりに合わさって、腕を掲げて天を仰ぐと。
「輪廻転食!」
バラバラに飛び散ったカニ怪物の残片が、互いに引き寄せ合って幾つかの塊になってゆく!