08:肩凝りと果たし状
以前までは国境の警備に勤めていたが、現在のキールの仕事は書類仕事である。
王宮敷地内にある騎士隊の詰め所、そこに設けられた執務室が主な仕事場だ。国境警備中に起こった事件や今後の方針について、国境付近の住民からの報告書に目を通し、今後の動向や配置を見直し……。
国境警備の任に着いていた時は一日たりとて手放す事の無かった長剣も、今は机の傍らに置かれている時間の方が長い。
むしろ帯刀こそするものの剣を抜いた記憶も、ましてや訓練用の剣を振った記憶もここ最近は無い。
理由はキールが国境問題の第一人者であり、尚且つ座り仕事も真面目にこなす姿勢を買われたからだ。
これは光栄なことである。ゆえに不満を訴えるつもりはない。
なにより書類仕事もまた立派な勤めであり、任された仕事は全力で勤めるのがキールの信念だ。
……だけど。
「……肩が凝ったな」
手にしていたペンをペン刺しに戻し、軽く肩を回す。
だがその程度の動きでは到底凝りは解れず、再びペンを取って書類へと視線を落とせば肩どころか首まで不快感を訴え始めた。首を動かし、それだけでは足りないと軽く手で揉んでみる。
運動すれば楽になるだろうか。
だがその前にこの書類を仕上げなければ。いや、その後にもまだやるべき書類はある。
期日はまだ先だが早く終わらせるに越した事はないだろう。余裕を持って出せば他の者達も助かるはずだ。
座り仕事で体は凝っているが、自分が我慢すれば良いだけの話。全てやり終えたら騎士隊の訓練にも戻れるだろうし、そうなったら思う存分に動けるのだから……。
そう考え、体のあちこちからあがる凝りの訴えを無視して書類へと意識をやった直後……、
「キール隊長、大変です! 果たし状です!」
と、一人の部下が執務室に駆け込んできた。
「果たし状?」
「はい。先程届いた書類を確認していたところ、いつの間にか紛れ込んでいたんです」
部下が一通の封筒をキールの執務机にそっと置いた。
真白な封筒には達筆な文字で『果たし状』と書かれている。ご丁寧にキールの名前も添えて。
誰がどう見ても一目で分かる果たし状だ。これ以上ない程に果たし状である。
これがキール宛ての書類の中に紛れており、不審に思った部下が中を一読し、キールの元へ持ってきたのだという。
「俺に果たし状か……。国境帰りの成り上がりがデカい顔をしてと恨まれたのかもな」
自虐的な言葉を口にしながらキールが便箋を取り出し、書かれた『果たし状』の文字を見つめる。
随分と達筆だ。品の良さを感じさせる。だが書かれている文字はどれだけ品が良かろうと『果たし状』、キールとの戦いを望んでいる。
だが元々フレヴァン家からすらも煙たがられているのだ、今更果たし状ごときで傷つくわけがない。
「それにしても果たし状とは、こうも潔く敵意を当てられると逆に好感を持ちそうだ」
「キール隊長、ですが……」
「あぁ、すまないがこの事は周囲には言わないでくれ。出来るだけ内々で済ませたい。……シャーロットやアランス家の方々にも、全てが終わってから俺から報告させてもらう」
シャーロットが知ればきっと心配するだろう。彼女にそんな負担はかけたくないし、アランス家の者達にも同様。
全てが終わった後に報告すればいい。
そうキールが説明すれば、部下が何か言い淀みながらも「それが……」と告げた。
「……果たし状を出したのは、ロジェ・アランス様です」
そう部下が言い難そうに告げるのと、文面の最後に書かれたロジェの名前をキールが見つけるのはほぼ同時だった。
◆◆◆
「ロジェ殿、これはどういう事でしょうか……」
果たし状には騎士隊の屋外訓練場に来るようにと指示されていた。
それに従い訓練場へと向かえば既にロジェの姿があった。それどころか観戦目的なのか他の騎士まで集まっており、果てにはシャーロットまでいる。
随分と賑やかな集団はキールの姿を見ると一部はさっと道を開け、一部は「いよいよか」と沸き立った。
ちなみにシャーロットは最前列に用意された簡易テーブルセットに座っており、向かいには妹のアナスタシアまでいる。訓練場には似つかわしくない白いパラソルが風を受けて優雅にひらひらと揺れており、その一角だけは妙に優雅だ。
どう見ても果たし状での一騎打ちという雰囲気ではない。
「どういう事って、果たし状を読んだから来たんだろう?」
「……そうですが、そもそもなぜ果たし状を」
「お互い騎士らしく剣を交えるのも悪くないだろう。それに、キール殿が勝てばシャーロットとの結婚を認めよう」
「ロジェ殿、それは……」
ロジェの発言を聞き、キールが言葉を詰まらせる。
彼は勝負に勝てば結婚を認めると言った。つまり今は認めていないのか、そして勝敗で認めるかを決めようということか。
もちろん勝負を仕掛けてくる以上、ロジェは勝利するつもりなのだろう。それはつまり……。
「ロジェ殿、もしも貴殿が勝った場合は……」
真剣な声色でキールが尋ねる。
それに対してロジェもまた真剣な眼差しでじっと見つめ返し……、
「それは有りえない!!」
と、力強く断言して返してきた。
迷いも躊躇いも無い、力強さすら感じさせる断言。
キールが虚を突かれたのは言うまでもない。
「あ、有りえない……? 有り得ないとは……、どういう事でしょうか」
「そのままの言葉の通り、俺がキール殿に勝つなんて有りえないという事だ。どう考えたって有りえないだろう」
ロジェの口調は己の敗北を断言しているとは思えないほどにあっさりとしている。謙遜や駆け引きではない、心から己の勝利は無いと思っており、そしてそれが当然だと考えているのだ。ちなみに悲観の色合いも自虐の色もない。
己の力量を把握していると言えば聞こえは良いが、騎士としてこの潔さはどうなのか。もはや潔いといって良いのかも分からない。
「いや、ですが有り得ないと断言する事は……」
「出来る。断言出来る。俺がキール殿に勝つなんて事は絶対にありえない。だけど万が一に俺が勝ったなら……」
その可能性を考えたのか、ロジェがふいに視線を落とした。
真剣な表情だ。そうしてゆっくりと「もしもそうなったら……」と呟き、次いで顔を上げてじっとキールを見つめてきた。
「俺はすぐに君を病院に連れて行こう」
またもやはっきりとした断言。
これはつまり、ロジェがキールに勝つということは、よっぽどキールが不調という事だ。




