05:家族とのわかれ
先日の話し合いを終えて数日後、シャーロットは住まいを生家アランス家からキールが暮らす屋敷へと移すことにした。
式こそ日取りの関係で先延ばしになったが結婚の手続きは既に終えている。夫婦なのだから一緒に暮らすのは普通の事だ。
むしろ普通なら正式な手続きを終えたらすぐにでも共に生活するのだが、キールの仕事があまりに多忙なため今日まで延びてしまった。曰く、彼も仕事が山のようにあって碌に屋敷に帰って来られなかったらしい。
「先延ばしになってすまない」
真摯に謝罪をするキールに、シャーロットは気にしないようにと彼を宥めた。
「お仕事ですもの仕方ありません。それにこれから長い時間を夫婦として共に暮らしていくんです、たった数日どうという事ではありません」
「そうか、ありがとう」
「これからよろしくお願い致しますね。キール様」
「あぁ、よろしく頼む。不便なく過ごせるように揃えたつもりだが、必要なものや欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」
「お心遣いありがとうございます」
キールの言葉にシャーロットは品良くお辞儀をして返し、彼の後ろに控えていた庭師にも挨拶をした。
彼の名前はディム。老年の穏やかな男性だ。キールと親しいようで二人が話しているところをよく見かける。今日もキールはシャーロットの到着を待つ間、彼と庭を眺めながら話していたらしい。
ディムから「よろしくお願いいたします、奥様」と告げられ、『奥様』の響きにシャーロットはポッと頬を赤らめた。
「そ、そんな、奥様なんて……」
照れてしまう、と赤くなった頬を押さえた。
だが事実、今までは『アランス家のお嬢様』だったが、これからキールの妻として『フレヴァン家の奥様』になるのだ。
だけどやっぱり奥様呼びは照れてしまう。
気恥ずかしさで頬を押さえていると、隣に立つ妹のアナスタシアがクスクスと笑いだした。
その後ろでは兄のロジェが荷物の運び入れを手伝っている。一番大きな荷物を平然と運んでいるあたり、ぬくぬくしていてもやはり騎士だ。そんなロジェを、アランス家からシャーロットと共に移り住んでくれるメイドのティニーが「私に運ばせてください」と追いかけていた。
「ロジェ殿もアナスタシア嬢も、わざわざお時間を取らせてしまって申し訳ない。本来なら俺が迎えに行くべきなんだが」
「気になさらないでください。シャーロットお姉様とギリギリまで一緒に居たいと思い、見送りしたいと言い出したのはこちらの方ですもの」
アナスタシアが優雅に微笑み、次いでシャーロットにそっと寄り添うと腕を取ってきた。
可愛い妹からの愛を感じ、シャーロットもまたアナスタシアに身を寄せる。
だがそんなやりとりも直ぐに終わりの時間を迎えた。荷物を運び入れ終えたロジェが戻って来て、「そろそろ帰ろう」とアナスタシアに声をかけてきのだ。
その言葉を皮切りに別れの空気が漂う。
シャーロットが「アナスタシア、ロジェお兄様……」と二人を呼んだ。その声は自分の声ながらに随分と儚く切ない。
「シャーロットお姉様、晴れの門出にそんなに悲しい顔をしないでください。『家族は離れていても心で繋がっている』、そうお母様とお父様が仰っていたじゃありませんか」
「アナスタシア……。そうね、どれだけ離れても心は繋がっているわ」
「そうだぞ、シャーロット。それにいつだって、何の理由もなくたってアランス家に帰ってきて良いんだ。たとえ住まいを移してもアランス家がお前の家である事に変わりは無いからな」
「ロジェお兄様、ありがとうございます……」
二人から別れの言葉を告げられ、シャーロットの胸に寂しさが湧き上がる。
確かに晴れの門出だ。だが別れでもある。兄と妹と別れを告げ合えば、同時に両親やアランス家の者達の顔まで脳裏に蘇った。
両親や屋敷の者達は敷地の門まで見送りに出てくれた。非番の者までシャーロットを送り出すためにと顔を見せてくれたのだ。馬車が走り出してからも彼等はずっと手を振っていて、その姿が小さくなり見えなくなるまで一人として屋敷に戻ろうとはしなかったほど。
それを思い出せば鼻の奥が痛くなり、じわりと視界が滲む。
察したロジェが頭を撫でてきた。アナスタシアもハンカチを出してそっと目元を拭ってくれる。
「可愛いシャーロット、そんなに悲しまないでくれ。家族なんだからいつだって会えるだろう?」
「そうですよ、シャーロットお姉様。お姉様が呼んでくれるなら私いつだって会いに来ます。もちろんシャーロットお姉様も、私が呼んだら会いに来てくださいますでしょう」
悲しむ必要は無いと必死に宥めてくれるロジェとアナスタシアに、寂しさを覚えていたシャーロットの胸が次第に宥められていく。
確かに別れの寂しさはある。だがいつまでも悲しんでいては門出を祝って同行してくれた二人に失礼だ。ここは笑って彼等と別れなくては。それにこれから一人ぼっちになるわけではない、キールと一緒に生活をしていくのだ。
なにを悲しむ必要がある。
家族との愛に溢れた生活から、キールとの愛に溢れた新たな生活が始まるだけだ。
そう自分に言い聞かせ、シャーロットは一度顔を伏せると深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
「ロジェお兄様、アナスタシア、心配させてごめんなさい。もう大丈夫」
明るい声で告げれば、ロジェとアナスタシアがほっと安堵した。
次いでロジェが視線をやるのはキールだ。
家族の別れに口を挟むまいと考えていたのか、彼はシャーロットの隣から離れこそしないが静かにやりとりを見守っていた。
「キール殿は気が利かないな。ここはシャーロットの肩を優しく抱いて『俺が居るから悲しまないでくれ』と囁くところだろう?」
「えっ、そ、そうなのですか……。申し訳ありません」
ロジェに指摘され、キールが慌ててシャーロットの肩へと手を伸ばそうとし……、だが指摘された後では今更と考えたのか「まだ間に合うか?」と直接尋ねてきた。
シャーロットが思わず目をパチンと瞬かせる。ロジェはキールの言動が面白かったのか声をあげて笑い、対してアナスタシアは兄の悪戯癖を「お兄様ってば」と咎めている。これには涙ぐんでいたシャーロットもクスリと苦笑してしまう。
「キール様、気になさらないでください。お兄様はからかっているだけですよ」
「からかって……。そうか、すまない真に受けてしまった。俺はどうにもこういうやりとりも苦手で……」
キールは不遇な環境で愛を知らずに育ち、そして苛酷な国境で命を懸けて戦い続けてきた。きっとこんな穏やかで少し意地悪なやりとりも慣れていないのだろう。
シャーロットはそんな彼の胸中を察し、「大丈夫ですよ」と宥めると同時に自ら彼へと身を寄せた。当てもなく中途半端なところで止まっていたキールの手がようやく行き場を見つけたとシャーロットの肩に触れる。
大きな手だ。乗せるでも掴むでもなく僅かに触れる程度なのはシャーロットを気遣っているからだろうか。
そのくすぐったさにシャーロットが笑むと、見ていたアナスタシアが「ほらご覧ください」とロジェを肘で突いた。
「キール様は気が利かないのではなく不器用なんです。シャーロットお姉様はキール様のそんな不器用なところを愛しているんですよ」
自分は姉の胸の内を理解しているからか、話すアナスタシアの口調はどことなく得意げだ。
話を聞いたロジェが「なるほど」と頷く。次いで「可愛い妹は不器用な男が好みか」とニヤと笑った。
この冷やかしにアナスタシアが「もう、お兄様ってば!」と咎めて再び彼の脇腹を肘で突いた。先程より威力が強まっており、これにはロジェはが「うぐっ」と小さな呻き声をあげる。
「か、可愛い妹アナスタシアよ。ちょっと威力が強すぎるんじゃないか?」
「自業自得です。それに、デリカシーの無い茶化しをするような方はアランス家にあらず。では、シャーロットお姉様、キール様、ごきげんよう」
ツンと澄ました態度を取りながらアナスタシアが馬車へと乗り込む。……ロジェを残して。
更に乗り込むやすぐさま扉を閉めてしまうことから随分とご立腹と察し、慌ててロジェが窓辺に張り付いた。「可愛いアナスタシア、機嫌を直してくれ」という声には騎士の勇ましさも、ましてや兄の威厳もない。
シャーロットは彼等らしいやりとりに笑みを零しながら走り出す馬車を見送った。
ロジェとアナスタシアが窓から身を乗り出して手を振ってくれる。もちろんシャーロットも彼等の姿が見えなくなるまでいつまでも手を振った。
そうして二人取り残され、シャーロットが憂いを帯びた表情で息を吐いた。
押し留めていた寂しさが胸に舞い戻り、「ロジェお兄様、アナスタシア……」と小さな声が自分の口から漏れる。数分前まで目の前にいた二人はもう既に遠い、それを実感すると視界が揺らぎ、潤んだ目元を指先でそっと拭った。
晴れの門出。
だが悲しい別れでもある。
そんなシャーロットに対して、隣に立っていたキールはといえば……、
怪訝な表情で首を傾げていた。
「アランス家はそう遠いようには感じなかったが」
「はい。今日も馬車で五分程でした」
「……ロジェ殿ともアナスタシア嬢とも、五日後に招待されてるパーティーで会うよな?」
「はい。お父様もお母様もいらっしゃいますよ。それに、」
シャーロットの表情が明るくなる。
「アナスタシアとは、明後日お茶をする予定です!」
満面の笑みでシャーロットが答えれば、キールが何か言いたげに口を開き……、
「それにしては随分と悲しんで……いや、これも愛なのか」
アランス家の大仰な別れ際を思い出して何かを言いかけ、それでも納得するように頷く。
シャーロットが得意げに「愛ですよ!」と念を押した。




