04:僅かな二人だけの時間
その後は他愛もない会話を……、となるはずだったが、キールに急用の仕事が舞い込んでしまい早々にフレヴァン家を発つことになってしまった。
「わざわざ来て頂いたのに申し訳ない」
「そんなに謝らないでください。お仕事ですもの仕方ありません。キール様は長く国境の警備をしており、王都に戻ってもその件での仕事が残っていると聞きます。多忙なんですね」
シャーロットの労いに対してキールが何とも言えない表情を浮かべた。あえて疲労を訴える気はないが、さりとて「そんな事はない」と誤魔化せるものでもないのだろう。
曰く、王都に戻って来てからは報告書や資料の作成といった仕事が山積みになっており、今日がようやく丸一日取れた休みだったという。
だが一日休みと言えどもゴロゴロしているわけにはいかない。普段は後回しにしてしまう屋敷内の事を纏めて……、と過ごしていた。
そんな彼の多忙さを知り、シャーロットは思わず息を呑んだ。
……そして隣に立つ兄のロジェを見上げた。
今朝ロジェは随分と遅い時間にふわふわと欠伸をしながら起きてきて、ロジェにとっては遅い朝食を、シャーロットにとっては読書の合間のお茶を共にしようとテーブルに着いたのだ。
そこでシャーロットが午後はフレヴァン家に向かうと話をしたところ、一日暇だからと彼が同行を買って出て今に至る。
思い返せば数日前も兄は非番で昼過ぎまで寝ており、その後はシャーロットがドレスを仕立てて貰うのに同席していた。シャーロットと妹との散歩に付いてきたこともあったし、珍しく部屋に居ると思ったら昼寝をしていた事もあった……。
騎士として仕事に出ている日はきちんと働いているだろうが、そういった日々でさえ大変そうな様子は見られない。
「……お兄様?」
「言いたいことは分かるぞ可愛いシャーロット。そうだな、お前も騎士の妻になるのなら事実を知った方が良いだろうな……」
ふとロジェが視線を他所に向けた。何も無い場所を見つめる彼の横顔は珍しく真剣で、これから重要な話をすると言いたげだ。
兄から漂う空気に当てられてシャーロットがゴクリと生唾を飲む。キールも同様、ロジェに視線を向けて続く言葉を待っている。
「お兄様……、騎士の妻が知るべき事実とは……?」
「良いか、騎士には二種類いるんだ。一つはキール殿のように剣を手に国のために戦う者。そしてもう一つは……、俺のように剣を手にぬくぬくしてる者だ!」
「剣を手にぬくぬく……!?」
突きつけられた事実にシャーロットが息を呑み、キールは唖然とする。
だというのに原因であるロジェは「それはさておき」とあっさりと話題を変えてしまった。先程一瞬だけ見せた真剣な空気も綺麗さっぱり消え去り、普段の軽いものに戻っている。表情も然り。
挙げ句、シャーロットの頭を軽く撫でてきた。
「今は俺の普段の働きを気にしている場合じゃないだろ。二人の時間を楽しみなさい」
出発の時間まではまだ少しあり、それを邪魔するまいと考えたのか、ロジェがひらひらと手を振って馬車に乗り込んでいく。小窓のカーテンを閉めるのは覗かないという意思表示か。御者もロジェを見習って馬の様子を窺うためにと馬車の影へ身を隠す。
残されたのはシャーロットとキール。気を遣われたことに居心地の悪さを抱いたのか、キールは何とも言えない表情をしている。
「えぇっと……。参ったな、どうにもこういう空気は慣れていないんだ」
愛を知らないキールは、どうやらこの擽ったい空気も経験したことがないらしい。
気まずさを隠し切れぬその表情や仕草は勇猛果敢な騎士とは思えず、愛おしいとシャーロットが笑みを零す。
「キール様には慣れて頂く事が多そうですね」
「そうだな、善処しよう」
「私もキール様に愛をお伝え出来るように頑張ります!」
意気込んでキールの手を取る。大きな手だ。指が太く節もしっかりとしている。指も長いが手のひらも大きく、そして硬く厚い。指の付け根や手のひらの一部が硬くなっているのは長く剣を握り続けていたからだろうか。
そんなキールの手を両手でぎゅっと握り、シャーロットは彼を見上げた。
「愛し合う素敵な夫婦になりましょうね」
「あぁ、善処する」
シャーロットの言葉に対して、キールは返事こそすれども表情はどこか硬い。
愛を知らないゆえシャーロットの期待にはっきりと答える事が出来ず、そしてはっきり返せないことを申し訳なく思っているのだろう。勇ましい顔付きながらに眉尻を下げている。
そんなキールの手を握ったまま、シャーロットは彼に「大丈夫ですよ」と告げた。
「きっとキール様は愛を知る事が出来ます。でも、もしも愛を知る事が出来なかったら、その時は……」
彼の手を握ったまま、シャーロットは穏やかに微笑んだ。
「その時は信頼し合う良きパートナーとなりましょう」
迷いも躊躇いも無いシャーロットの言葉に、キールが「パートナー……」と呟いた。
彼の言葉にシャーロットがこくりと頷いて返す。もちろん彼の手を両手で握ったまま。
「生きていくのに必ずしも男女の愛が必要とは限りません。互いを尊敬し、尊重し、支え合って生きていこうという気持ちがあれば、良きパートナーとして幸せな人生を歩んでいけます」
だから問題は無い。
そうシャーロットが断言すれば、キールが驚いたような表情を浮かべ……、そしてふっと表情を和らげた。
「そうか。俺が愛を理解出来なくても、良きパートナーとして生きてくれるのか」
「はい」
はっきりとシャーロットが応えれば、キールが目を細めて微笑んだ。
◆◆◆
馬車を走らせてからも窓の外に見える屋敷を眺め、屋敷が小さくなり、他の家屋に隠れて屋根だけになっても見つめ続けていた。
ようやく椅子に座り直したのは屋敷の屋根も見えなくなり更にしばらく経ってからだ。
「可愛い妹シャーロット、未来の夫とのひとときはどうだった?」
向かいに座るロジェが尋ねてくる。
それに対してシャーロットは胸元に手を当て「素敵な時間でした」と答えた。
つい先程見たばかりのキールの姿、聞いたばかりの彼の声、それらを思い出す。
肖像画通りの勇ましく凛々しい風貌。背は高く体躯も優れており、私服であっても鍛えられているのが分かる。一見すると威圧感すら与えかねない見目だが、驚いた時には目を丸くさせたり、シャーロットが語ると焦るように止めてきたりと、分かりやすい一面もあった。
声は低く、だが優しさと温かみを感じさせる。名前を呼んでくれる彼の声は耳から胸まで渡り、穏やかに胸の中に溶け込んでいくかのようだった。
「二人でどんな事を話したんだ?」
「それは……」
言いかけ、シャーロットは彼から告げられた言葉を思い返した。
『俺は貴女を愛する事は出来ない』
それは事実だろう。キールが嘘を吐くとは思えない。
彼は愛を知らず、ゆえに愛する事も愛される事も自分には出来ないと考えているのだ。つまりそこにシャーロットへの嫌悪も無く、他の女性への恋愛感情があるわけでもない。むしろシャーロットに対して愛こそないが真摯に対応してくれている。
ならば自分が彼に愛を教えればいい。
それにたとえ彼が愛を理解出来なくても、支え合って生きていくことは出来る。
シャーロットは愛情たっぷりに育てられたが、それと同じくらい、友情や尊敬、信頼といった尊い感情も与えられてきたのだ。
「キール様とはお互いを深く知り合い、これからについてを話し合いました」
「そうか、途中で切り上げることになったのは惜しいが、シャーロットが充実した時間を過ごせたなら十分だ。俺も警備で付いてきたかいがあった」
「ありがとうございます、お兄様。読書は進みましたか?」
「十ページは読んだよ。俺としては読み進めた方だ。それより客室にあったソファの寝心地の良さと言ったら無い。次にキール殿に会ったらどこで入手したのか聞いておこうかな」
寝ていたことを隠しもせず堂々と話すロジェにシャーロットが苦笑を返す。
騎士らしさの無い兄だが、妹可愛さに休日を潰して同行してくれた優しい兄だ。鞄から本を取り出し「三年かけて読むつもりだ」とおどけて話す姿もまたシャーロットの笑みを深めさせる。
そうしてしばらく他愛もない話をし、ロジェが改めるようにシャーロットを呼んできた。
目を細め、柔らかく微笑んでシャーロットを見つめてくる。
「幸せになりなさい」
そう告げてくるロジェの声は落ち着いており優しく、これもまたシャーロットの胸に溶け込んでいく。
これも愛だ。
男女の愛ではないが、同じくらいに尊い、家族の愛。




