21:親と子と愛と未練
ニコラ・フレヴァンが住むフレヴァン家屋敷の一室。
ソファとローテーブルのみが置かれたその一室はあまりに簡素過ぎて、ここに身分ある者を通せば失礼と思われかねないほどだ。
この部屋は来客が連れてきた使いや御者を通す部屋である。本来ならば勝手に時間を潰せと言いたいところだが、見栄で一室用意しているだけに過ぎない。
そんな部屋の中、キールはなんとも言えない気持ちで正面に座る男を見つめていた。
ニコラ・フレヴァン。フレヴァン家当主であり、キールの父親である。
最後に顔を合わせたのはキールが国境警備に着く直前だ。だがその時さえも会話は無く、淡々と命じられて終わりだった。
鼓舞も無ければ「達者でな」の一言すら無い。言い終えるやさっさと部屋を後にしてしまい、それ以降は向こうから探りを入れこそすれども連絡はなく、手紙一つ寄越してこなかった。
そんな男と簡素な部屋で向かい合っている。
数年ぶりの再会。こうやって彼が自分のために場と時間を設けてくれたことなど今まであっただろうか。
だというのにキールの胸中は落ち着いていた。腹を割って話せるのではと微かな期待を抱くこともなければ、こんな状況でなければ話し合えないのかと落胆することもない。
目の前にしても尚、ニコラの事は思考の片隅でしかなかった。
なにせ考えるのはシャーロットのことばかり。
今もまだ待っているだろうか。心配しているだろうか。
せめて一言「遅くなる」と伝えられれば良かった。直接伝えられずとも、せめて言伝でも出来れば良かった。
だがこの男はそんな僅かな時間も言伝すらも許してくれなかった。
今も友好的な態度一つ見せることなく、しばらく黙り込んでおり、ようやく口を開いたかと思えば、
「アランス公爵家に取り入るとはうまくやったな」
これである。
不躾にも程があるこの言葉にキールが改めてニコラを見つめた。自分の表情が険しくなるのが分かる。
「取り入る等と失礼な物言いは控えてください。シャーロットと結婚した、それだけです。それに貴方には関係ないはずだ」
「関係ない等と馬鹿な事を言うな。お前は俺の息子だろう」
ニコラの言葉にキールが眉根を寄せた。
今この男は『自分の息子』と告げてきた。今まで一度として口にしなかった言葉だ。
この言葉をどれほど望んだだろうか。
フレヴァン家に見合う人間になれば、立派な騎士になれば、国境警備を勤め上げれば、きっと父上は自分を認めてくれるだろう……。そんな淡い期待を抱いていた頃を思い出す。
「……息子ですか。」
「あぁ、息子だ。それはもちろんシャーロット様も、アランス家の方々も知っているだろう。それで母親のことは……」
途中で話を止めてニコラがじっとキールを見据えてくる。
あえて明確な事は言わず、そして言わない事で相手に先を察しろと強いているのだ。
この態度にもキールは苛立ちすら抱かず、達観した気持ちで「話しました」とだけ返した。
ニコラの眉根がピクリと揺れる。己の過去の行いを他者に話された事が不快なのだろう。
「まぁ良い。それならそれで考えがある。アランス家にはまだ未婚の令嬢がいただろう。キール、その令嬢との縁談をもってこい」
「……アナスタシア嬢との? だが兄上達は既に結婚し子供までいるではありませんか」
「それぐらいはどうとでもなる」
平然とニコラが言いのけ、それどころか「どちらが公爵家の娘と結婚するかで言い争っている」とまで言ってのけた。
これにはキールも唖然としてしまう。それを表情から見て取ったのかニコラが嘲笑うような笑みを浮かべた。
「信じられないとでも言うのか? 所詮あいつらの結婚も家のためものだ」
「家のため……。ですが、兄上達は家族のことを」
「まさか愛だの何だのと宣うわけじゃないだろう」
キールの話を途中で遮り、ニコラが鼻で笑う。そんな男の口から出る『愛』という言葉のなんと薄っぺらい事か。
こんな男に、そして公爵家との繋がりのためなら容易に妻子を捨てる男達に、家族として受け入れて欲しかったのか……。
そう考えれば過去の自分の必死さすら笑えてきて、キールは落胆で項垂れかけ……、
次の瞬間、ニコラの背後にある窓からゆっくりと姿を現し、そろりそろりと窓枠を乗り越えて部屋に入ってくるシャーロットの姿にぎょっと目を見張った。
「……っ!」
思わず名前を呼びかけすんでのところで息を呑む。
そんなキールの様子を、図星を突かれて言葉を詰まらせたと勘違いしたのか、ニコラの笑みがより強まった。
「お前が愛だのと薄っぺらいことを考えていたとはな。誰からも愛されずに育ったくせに、どこまでも馬鹿な男だ」
ニコラの言葉は嘲笑う色が強く、同時に、息子であっても情の欠片も抱いていないことが分かる。
かつてのキールであったならばショックを受けていただろう。今だって、そうと分かっていても正面からはっきりと断言されれば多少なり傷付いたかもしれない。
だが今のキールの心境はそれどころではない。
窓枠を超えて入室しそろりそろりと近付いてくるシャーロットと、彼女がしかと握っているクッション。そしてシャーロットに気付かず嘲笑うニコラ。
目の前の光景にどう対応して良いのか分からず傷ついている余裕も無いのだ。
シャーロット、ついに気配を消す技術を得たんだな。
その手に持っている柔らかなクッションは武器なのか?
と、そんな事を考えてしまう。
だが次の瞬間、呆然としていては駄目だとはっと我に返った。
今自分がすべきはニコラの気を引き、シャーロットが近付いている事を気付かせないことだ。
「お、俺は、貴方から……、いえ、フレヴァン家から、家族として愛されたいと思っていました」
「幼い頃のお前は私達の気を引こうと必死だったな。思い出しても笑えてくる。だが公爵家の娘との縁談を持ってくればお前のことを少しは見直してやろう」
「家族としていつか受け入れてもらえると考え、国境警備も務めてきた。……貴方が俺の死を望んで国境警備に追いやったと分かっていても、それでも。だけど……」
キールが僅かに言葉を詰まらせ、じっとニコラを見据える。
今まで抱いていた胸の内を語る。いつかこの時をと望み、同時に、胸の内を語ってどうなると諦めさえ抱いていた。
それをまさかこんな状況で迎えるとは……。
足音と気配を消して近付いてくるシャーロットはすでにニコラの背後まで迫り、窓からはロジェとアナスタシアが顔を出して無言ながらにシャーロットを応援している。その隣には何とも言い難い表情のグランドまで居るではないか。
もはや己の胸の内さえもどうでも良くなり、キールはニコラを睨みつけた。
今まで抱いていた未練に決別をしなければ。
……シャーロットが高々と掲げるクッションの一撃が繰り出される前に。
「俺はもう貴方達に縋らない。俺を愛してくれるのは、そして俺が愛すべきはシャーロットだ」
はっきりとキールが告げれば、自分が切り捨てられる側だとは思っていなかったのかニコラが僅かに言葉を詰まらせ……、
次の瞬間、嘲笑の顔を険しい怒りのものへと変えた。
歪んだ口元がキールを罵倒するために開かれる。
……だがその口から言葉が発せられることは無かった。
代わりに部屋の中に響いたのは、
「私のキール様に失礼なことをしたら許しません!!」
という勇ましい宣言と、バフッ!という柔らかくも威力のある打撃の音だった。
言わずもがな、シャーロットが手にしていたクッションでニコラを叩いたからだ。
たかがクッション、されどもクッション。不意打ちで背後から叩かれたニコラは衝撃と痛みで大きくバランスを崩し、驚愕の表情で背後を振り返った。
そして更に驚愕するのは、そこに居たのがシャーロットだからだ。それもクッションを構えて怒りの表情である。
※タイトルを
『それなら私が溺愛します!~愛を知らない騎士隊長と愛溢れる令嬢の結婚~』から『それなら私が溺愛します!~愛を知らない騎士隊長と愛があふれる令嬢の結婚~』に変更しました。
ちょっと漢字が違うだけですが。




