20:公爵家のお出かけ
ロジェの口調は断言するほどの力強さはなく、さりとて自信の無さが垣間見えるような弱々しいものでもない。まるで普段の会話のような軽い口調。
当人は考えを巡らせているのか視線を他所に向けているが、シャーロット達の視線に気付くとパッとこちらを向いた。その表情もまた普段通りのものだ。
「ロジェお兄様、それはキール様を攫ったのがニコラ・フレヴァンだと……、キール様のお父様ということですか?」
「俺も別に確証があるわけじゃないよ。ただまぁ、考えられるのはフレヴァン家の面々しかないだろうなと思って。君も同じ考えだろう?」
ロジェがグランドに問えば、グランドが険しい表情のままに一度首肯した。
「俺は元々、キール隊長からフレヴァン家の動向を見張る様に頼まれていたんです。ですがそれは、先にフレヴァン家がキール隊長に見張りをつけていたから。あの家は自ら隊長に接触することはなく、それでいて、常に隊長の動向を監視していました」
キールが国境警備を終えて王都に戻るなり息の掛かった者を彼の部下や屋敷に着け、不審な動きはないかを見張らせていた。自ら接触する事はせず、更にはキールが会おうとしても拒否をしたうえでこの行動なのだから呆れてしまう。
だがそれ自体はキールもさして気にせず、己の行動が逐一報告されていると分かっていてもなお「こちらに疚しい事が無ければ良いんだ」と考えていたという。グランドへの指示も初期は簡素なもので「なにか問題があれば報告してくれ」程度だったという。
見張り、見張られていると分かっても何もしない。
そんな到底家族とは言えない距離であったが、それでもしばらくは一定の距離を保っていたという。
「ですが、シャーロット様とキール隊長の結婚が決まった事を機に、ニコラ・フレヴァン様やそのご家族は自ら周囲に話を聞くようになり、最近ではキール隊長に関わる者には片っ端から金を渡してまで話を聞き出すようになったんです」
「そんな、どうして……。キール様の事が気になるのなら直接話をすればいいのに」
「そうもいかないのでしょう。キール隊長は……、その……フレヴァン家の出自ではあるんですが……」
グランドが言葉を濁す。随分と気まずそうな表情だ。
キールが正式なフレヴァン家夫妻の息子ではなく、当主であるニコラ・フレヴァンと娼婦の息子である事を気にしているのだろう。
それを口にして良いのか、それとも黙っていた方が良いのか、黙っておくならばどう誤魔化すか……、と、気まずそうにしている。
そんなグランドに対してシャーロットは「気にしないで」とあっさりと告げた。
「私も、それにロジェお兄様もアナスタシアも、キール様については知っています」
「……ご存知なのですか」
少し意外そうに、それと安堵の色を交え、グランドが小さく息を吐く。
そんな彼に対してロジェが「真面目だなぁ」と肩を竦め、「それで」と今度は自分が話し手を担うと話を続けた。
「ニコラ・フレヴァンからしたらキール殿の出自があって接触するのは躊躇われる。だがキール殿がうちと繋がった今、そのパイプをみすみす逃すのは惜しい……。それで動向を探っていたんだろうな」
「ですがお兄様、どうして接触を控えて探る必要があるんですか?」
「多分、キール殿がどこまでシャーロットに話しているのかが分からないからだろう。仮に自らキール殿に接触を図ってうちと繋がれたとしても、後々に彼の出自がバレた場合『公爵家の令嬢に娼婦の息子を宛がって騙していた』と思われかねない。それなら知らぬ存ぜぬを貫いた方がマシだろう」
キールが全てを話し、それでもシャーロットが受け入れているのならその恩恵にあやかりたい。
だがキールが出自を隠しているのであればバレた時のリスクを考えて距離を取っておきたい。
ニコラ・フレヴァンはこう考え、そして現状が分からないからこそ直接的には動けず嗅ぎ回っているのだ。
ロジェの話にグランドが頷く。
これに対してシャーロットはあまりの非情な対応に「そんな」と小さく声を漏らし、そしてアナスタシアはふんと不満を露わに「品のない」と吐き捨てた。
「それで痺れを切らしてキール様を誘拐したのね……」
「その可能性は高いですね。最近キール隊長はフレヴァン家の方々に対し未練のないような素振りをしていました。俺に探らせていたのも、シャーロット様やアランス家の皆様に迷惑を掛けまいとしてです。それが彼等を焦らせたのかもしれません」
キールはシャーロットと出会い、フレヴァン家への未練を絶つ様子を見せていた。
それを感じたニコラは焦り、そしてついに自らキールに接触を図ったのだろう。正式に会いにくるのではなく帰路を狙い半ば攫うようにしたところが彼等の焦りと、そしてここまで来てなお保身を考える浅はかさを感じさせる。
「……キール様」
一連の話を聞き、シャーロットは俯いたまま呟くようにキールの名を口にした。
グランドが気を遣って声を掛けてくる。だが今のシャーロットは彼の気遣いに応える余裕は無く、静かに考えを巡らせていた。
キールは何も悪くない。悪いのは打算で彼の動向を探り、そして打算で攫ったニコラ・フレヴァンだ。
正面からキールに会いに来て今までの非礼を詫びるならまだしも攫うなんて……。
あまりの身勝手さにシャーロットの中で怒りがふつふつと湧き上がる。
これは侮辱だ。
キールへの侮辱。そしてキールへの侮辱は、彼の妻である自分への侮辱でもある。
ならば取るべき行動はただ一つ。
「ニコラ・フレヴァンのもとへ参りましょう」
顔を上げるや告げたシャーロットの言葉に、ぎょっとしたのはグランドだけだ。
「シャーロット様、それはさすがに」
「一時も離れがたい新婚夫婦から夫を奪う、それもこの私から。それがどういう事か知って頂かなければなりません」
言葉遣いこそ丁寧ではあるが、これは『夫を攫った落とし前はつけさせねば』という事だ。
察したグランドが今度はロジェとアナスタシアを交互に見る。止めてくれという願いを込めて。
もっともグランドの視線を受けても、そして先程のシャーロットの言葉を聞いてもロジェもアナスタシアも動じている様子はない。落ち着き払った態度で二人ともゆっくりと口を開いた。
「生憎と今父上は出払っていて数日は戻りそうにない。アランス家の事は俺が全面的に任されている」
「お母様も出ているため、屋敷内の事、そしてアランス家夫人としての判断は私に任されています」
「だから……」
「つまり……」
勿体ぶった口調で話し、ロジェとアナスタシアが揃えたように立ちあがった。
「公爵家の名に懸けて全面戦争だ!」
「品のない家を潰しますのよ!」
高らかに二人が宣言する。
なんとも物騒な話ではないか。これにはグランドの中で焦りが募り、もはや誰に誰を止めさせるべきなのか分からずに三人を交互に見た。
だというのにグランドの焦りを他所にシャーロットはいそいそと出かける準備に取り掛かるし、ロジェとアナスタシアに至っては「公爵家の名に懸けて完膚なきまでに潰そう」「貴族の夫人たるもの徹底的に潰さなければ」と上品に闘志を燃やしている。
「あ、あの、落ち着いてください。ひとまずキール隊長と合流し、話し合いをするべきでは……」
この面々の中で一番物騒な印象を受ける見目のグランドが、その見目に反して唯一平和的解決を求めている。
そんな彼の肩をポンと叩く手があった。メイドのティニーだ。
彼女はグランドに対してゆっくりと首を横に振った。これは彼を宥めるのと同時に諦めた方が良いと促しているのだ。なにせ……。
「これがアランス公爵家です」
そんなティニーの言葉とほぼ同時に、
「さぁ参りましょう。お夕飯には間に合わずとも、お夜食の時間には戻って来ないと」
「父上ならきっと『生半可な事はするな』と仰るはずだからな。家を任された身として、未熟なところは見せられないぞ」
「品のない真似をする家に、貴族とはなんたるかを教えてあげねばなりませんね。まぁ思い知ったところで遅いんですけれど」
和気藹々と話し合いながらシャーロット達が部屋から出て行く。
その際にシャーロットがピタと立ち止まり、ティニーに対しては先に戻っているように、そして用意していた夕食を夜食用に残しておくよう頼む。次いでグランドを見て「一緒に参りますか?」と小首を傾げて尋ねた。
その仕草はまるで庭の散歩にでも誘うかのようだ。
だが事は誘拐騒ぎ。それもシャーロット達はキール奪還に留まらず、ニコラ・フレヴァンに報復まで考えている。
物騒どころではない荒事を前にそれでも優雅に誘ってくるシャーロットに、グランドはなんと返して良いのか分からず、それでもぎこちないながらに頷いた。
グランドの返事を受け、シャーロットが優雅に麗しくニコリと微笑んだ。




