02:愛を知らない騎士隊長
「……え?」
告げられた言葉を理解出来ず、シャーロットは躊躇いの声を漏らした。
「……キール様、今……なんて……?」
「俺は貴女を愛することは出来ない。……申し訳ない」
謝罪をするキールの表情は随分と渋く眉間には皺が寄っている。
その表情には冗談めいた色は一切無く、彼が嘘偽りなく茶化す事もなく話し、そして心から謝罪をしていることが分かる。だがそれが分かってもシャーロットには告げられた言葉の意味はやはり分からなかった。
愛する事は出来ない、とは? なぜ。
「キール様……」
「もちろん貴女に不自由はさせない。望むものがあるなら何でも叶えよう。……だけど」
「だけど、愛してはくださらないのですか?」
彼の言葉続きを先回りするように告げれば、キールの表情がより渋くなり……、小さく一度頷いてきた。
シャーロットの言葉を肯定している。つまり、どれだけ望みを叶えようとも愛することは出来ないという意味だ。
その事実にシャーロットの胸は酷く痛んだ。
耐え切れず胸元を押さえ、掠れる声で「そんな」と呟く。
シャーロットの悲痛な様子にキールさえも痛々しそうな表情を浮かべ、「すまない」と改めて謝罪を口にしてきた。
歴戦の将と謳われ、その強さから『国境の氷壁』という二つ名まで付けられた男とは思えない弱々しい声だ。彼も苦しんでいるのが分かる。
だけど、どうして彼まで苦しんでいるのだろうか。
ふと疑問を抱き、シャーロットは先程告げられた言葉を思い出してみた。
『貴女を愛することは出来ない』
『出来ない』と言う事は、少なくとも彼には善処しようとする意思があり、それでも叶わないということか。だとすると愛せないことに何かしら理由があるのか。
「……キール様、もしかして他に想いを寄せた方がいるのですか?」
思い浮かんだのは理由あっての偽装結婚、そしてその理由とは『叶わぬ恋』だ。
キールはどれだけ愛しても実らぬ相手に想いを寄せていて、それを誤魔化すため、世間体と世継ぎのためにシャーロットと結婚する……。
なるほど、この線はありそうだ。
「たとえば他所のご婦人とか……。身を引くために結婚するのでしょうか」
「いや、俺は……」
「もしかして、ご婦人ではなく殿方……!?」
「いや、だから俺は」
「まさかお兄様のことを!? だから私に結婚を申し出て、少しでもお兄様の近くに居ようと! そうだったのですね!!」
「違う! ロジェ殿にそんな想いは一切抱いていない!」
「お父様はさすがに応援できませんよ!?」
「それも違う! 俺はただ、誰かを愛する事が出来ないんだ!!」
勘違いを加速させるシャーロットにつられたのか、キールも声を荒らげて返す。
その言葉にシャーロットはきょとんと目を丸くさせ「そう、でしたの……」と上擦った声で応えた。立ち上がりかけていたがストンとソファに座り直す。
唖然としていると、落ち着いたのかキールが深く息を吐いた。次いで紅茶を一口飲むとシャーロットにも飲むように促してくる。これは互いに一息ついて落ち着こうという意味だろうか。
応じてシャーロットもティーカップに口をつけた。淹れてもらったばかりでまだ温かく、コクリと飲めば熱が喉を伝って落ちていく。
その感覚のおかげで幾分か落ち着きを取り戻すことができ、シャーロットはチラと上目遣いでキールの様子を窺った。
「……愛する事が出来ない、とはどういう事でしょうか」
恐る恐ると言った口調でシャーロットが尋ねるも、話しにくいことなのかキールは僅かに言い淀んでいる。気まずそうにふいと視線をそらしてしまった。勇ましいと聞く彼らしからぬ態度だ。
次いで深く息を吐いた。これは覚悟を決めるためのものなのだろう。
言葉を選ぶように――それほど重い話なのか、もしくは、言葉を選ばないとシャーロットがまた勘違いをすると危惧しているのか……――ゆっくりと口を開いた。
「誰かを愛するという事も、誰かに愛されるという事も、俺は分からないんだ。経験もない」
「経験も? 恋愛はまだしも、ご両親は?」
「俺はフレヴァン家当主が戯れに手を出した娼婦の子供。フレヴァン家の汚点だ」
はっきりと告げるキールの言葉にシャーロットは息を呑んだ。
だが思い返してみれば、婚約を結んでから一度としてキールの両親や兄弟と会っていない。シャーロットの両親は話し合いの場にいつも同席し兄達だってキールが尋ねてくると挨拶をしているのに、キールはいつも一人だ。
普通ならば顔合わせとして挨拶をするはず。たとえ理由があって行き来できなくても手紙の一つぐらい寄越すべきだ。
愛していないから、キールの結婚に対しても何もしないという事なのか。
それを問えば、キールが肩を竦めることで肯定してきた。
「母と呼ぶべき女性は俺を産んですぐに行方を晦まし、フレヴァン家当主も俺を引き取ることに難色を示していたらしい。だが体裁もあり孤児院に出す事も出来ず、俺は情けでフレヴァン家に育ててもらったんだ」
「そんな……、ですが家を出てからは」
「騎士隊に入ってすぐに国境の警備に就いたんだ。一応表向きは冷戦とされているが国境は酷い有様だからな、愛だのと浮かれている状況じゃなかった。そもそも国境警備の任命だって、俺が争いの中で命を落とすことを期待してフレヴァン家が手を回していたんだろう」
キールが警備を任されていた地域はとりわけ治安が悪く、更には別の国とも近かったため常に争いが耐えなかった。
国家規模に広がりかねないほどの激しい争い事も稀ではなく、それを命からがら治めたかと思えばまた次の問題が……。と、気の休まる時は無いに等しかったという。
そんな状態なのだ、恋愛などもっての外。そもそも治安の悪い国境ゆえに近隣住民も少なく、同年代の女性は居なかった。
「幸い仲間には恵まれた。だから尊敬や友情は分かる。……だけど、愛というものが分からない」
「だから私に『愛する事が出来ない』と仰ったのですね」
「すまない……。本当は貴女との縁談も断ろうと思っていたんだ」
愛せないと分かっていて結婚をしようとは思わなかった。だが縁談を持ってきたのは長く世話になった恩人とさえ呼べる人物で、更には先方も乗り気だと上機嫌で話してくる。
断るタイミングを見失い婚約し、このまま結婚するにしてもせめて事前に話さなくてはと考えて今日この場を設けたのだという。
「ここまで黙っていて申し訳ない。今回の婚約、解消したいのであれば遠慮なく言ってくれ。非はすべて俺にあるのだから貴女の望むようにする」
あらかたの説明を終え、キールが深く頭を下げた。黒髪が揺れる。
そんな彼に対してシャーロットは何と答えて良いのか分からずにいた。うまく言葉が出てこない。
「気になさらないで」と宥めるべきか、それとも「頭を上げてください」と告げるのが先か。だがこうもはっきりと『愛する事が出来ない』と言われたのだから、「なんて酷い」と怒るべきなのかもしれない。それとも泣くのが正しいのか。
色々な感情がシャーロットの胸の中で湧き上がり渦巻く。
渦巻いて、渦巻いて……、そうして最後にポカンと浮かんだのは……、
「私、それでもキール様の事が好きです」
という、単純で、根強くて、激しい渦にも負けぬほどに強い感情だった。
「……シャーロット嬢?」
「キール様は『愛』を知らないから私を愛せない……。ですが私はキール様を愛しています。ということは!!」
「ということは?」
シャーロットがカッと目を見開けば、興味を抱いたのかキールが先を促してくる。
それに対してシャーロットは意気込むあまりにガタと立ち上がった。それだけでは足りないと拳を強く握りしめる。
「私がキール様に『愛』を教えて差し上げれば良いんです!」
これで全て解決します! とシャーロットが断言すれば、話を聞いたキールは唖然とし「俺に、愛を……?」と呟いた。
どうやら話の流れがうまく理解出来ないらしい。
そんな彼に、ソファに座り直したシャーロットはあっさりと落ち着きを取り戻し、それどころかまるで子供に言い聞かせるかのように「よろしいですか?」と前口上を置いた。気圧されているのかキールが言葉を失ったままコクコクと頷いている。
「私、男女の愛こそ未経験ですが、家族からの愛情はこれでもかと受けて育ってまいりました。溢れんばかりの愛。いえ、溢れんばかりどころか確実に溢れています。今この瞬間もきっとモコモコと私から愛が溢れ出ていることでしょう!」
「それほどまでか……」
「はい。それ程までです。ですから愛されて育った私がキール様に愛を教えて差し上げます。愛される事、愛する事、それを知り、私を愛してください」
そうすれば万事全てうまくいく。幸せな夫婦の完成だ。
シャーロットが瞳を輝かせて語るも、それを聞くキールはいまだ目を丸くさせている。凛々しさと麗しさをもつ彼の意外な表情だが、そんな表情にもシャーロットは「可愛らしくて素敵」と胸を高鳴らせた。
この胸の高鳴りもまた愛になり、その愛をキールに教え、そしていつか愛を理解した彼から愛を返してもらうのだ。
「そういう事ですので、これからもよろしくお願い致しますね、キール様」
何の迷いも不安もない笑顔でシャーロットが告げれば、キールはいまだ驚きを隠せぬ表情のまま、
「あ、あぁ……、こちらこそご教示お願い致します」
と、真面目な彼らしく恭しく頭を下げた。