17:フレヴァン家の動き
中庭の一角にティーセットを用意し、グランドとディムを通す。
グランドはこの扱いにどうにも居心地悪そうだが、それでもディムが居るからか幾分は落ち着いたようだ。
そうしてしばらく話をしているとキールが戻ってきた。
シャーロットが彼の帰宅を迎えると共にグランドの訪問を告げれば、彼は僅かに逡巡した後「そうか」と呟くように答えた。
真剣みを帯びた声色。心なしか緊張の色合いも感じさせる。
シャーロットはその変化を感じ取り、中庭へと向かおうとするキールの服の裾を咄嗟に掴んだ。くいと引っ張っぱればキールが不思議そうな表情で振り返る。
「どうした?」
「……なんでもありません。ただ、キール様が緊張しているように見えて、それで」
「緊張……。確かにそうかもな。やっぱりシャーロットは俺より俺の変化に敏感だな」
「やはり緊張しているんですね。何か心配事が?」
「いや、平気だ。貴女が案じるほどの事じゃない」
気にしないでくれ、と告げてキールが再び歩き出す。
そんな彼の背中をシャーロットは不安交じりに見送った。
◆◆◆
キールが席に着くのと同時に、ディムが仕事に戻るために去っていった。
給仕のために控えていたメイドのティニーも空気を読み「何かあればお呼びください」と頭を下げて場を離れていった。
残されたのはキールとグランド。
周囲は美しい花が咲き誇り、テーブルにはお洒落なティーセットとクッキー。それを挟んで座るのは体躯の良い騎士二人……。それも、キールは真面目な顔をしており、グランドに至っては傷跡の残る厳つい顔を更に険しくしている。
「……キール隊長、今、俺達だいぶ場違いなことになってませんか」
「気にするな。気にしたら負けだ」
キールとて自覚はあるが、かといって気にして場所を変えたところで話の内容が変わるわけでもなし。
それに確かに自分達には似合っていないが景色が悪いわけでもない。むしろディムが毎日手入れをしているだけあって庭は美しく、並べられているティーセットも品良く茶菓子も美味しそうだ。
ここは開き直るべきだろう。そうはっきりとキールが告げれば、グランドが居心地悪そうにしながらも頷いて返した。
「それで本題なんだが……。わざわざ足を運ばせてすまなかった。探し回っていたんだろう?」
「俺の方こそ直接訪問してしまい申し訳ありません。詰め所や訓練場は見たんですが、他に思い当たる場所が無くて……。今日は図書館にいらしてたんですね」
「あぁ、最近は書類作成や調べもので何かと図書館に行くことが多くてな。国境警備に勤めていた時は読書なんて二の次以下だったが、そのツケがまわってきたかのように今は文字や数字を相手にしてる。おかげで肩が凝って参ってるよ」
「キール隊長が肩凝りですか」
図書館で肩こりなどと、かつての自分達には考えられない事だった。その変化にどちらともなく笑う。
だがそんなやりとりで空気が和んだのも僅かな時間だ。グランドが今までの平穏な時間を惜しむように、そしてこれからが本題だと言いたげに、深く息度息を吐いた。
「それで……」と話題を変えようとするも、続く言葉に悩んでいるのか口を閉じてしまう。
察してキールもまた表情を硬くさせる。途端に場の空気が重く苦しいものに変わり、キールはシャーロットが居合わせなくて良かったと心の中で呟いた。明るく朗らかな彼女はきっとこの空気に息苦しさを覚えるだろう、そんな苦労はさせたくない。
「……フレヴァン家か」
重い空気の中で口火を落としたのはキールだ。
呟きとも唸りとも聞こえる彼の言葉にグランドが首肯する。
「キール隊長について随分と広範囲に探りを入れているようです。元国境警備の奴等はもちろんですが、他の騎士隊や、今日はついにキール隊長が昼時によく使う食堂の店員にまで声を掛けていたらしいです。……それも、金を渡して聞き出そうとしていたとか」
「そうか……」
グランドの話を聞いたキールが盛大な溜息を吐いた。
片手で額を押さえるのはこの話に頭痛を覚えかねないからだ。
「アランス家との繋がりがよっぽど欲しいんだろうな」
「ですが、それならどうしてキール隊長に直接声を掛けないんですか?」
「俺の出自が厄介だからだろう」
隠す事もなく卑下する事もなくキールが言い捨てる。
キールの父親はフレヴァン家当主だが母親は夫人ではない。それどころか貴族ですらない娼婦。それもキールを押し付けてどこかへ消えてしまった。
これが世間に知られたらどうなるか……。フレヴァン家からしてみれば何としても隠し通したい内容である。
キールを国境警備の更に一番苛酷な現場に追いやったのも、キールの存在を世間の目から隠し、あわよくばそこで命を落として……、という考えがあっての事である。
そんなキールを今更フレヴァン家に招けるわけがない。
「屋敷内からの情報が途絶えて、向こうも俺とシャーロットがどう過ごしているか分からないんだろう。だからどう行動すべきか悩んでいるんだろうな」
「俺は爵位とかそういうのは分かりませんが、身勝手な話ですね」
グランドの口調は吐き捨てるような色があり、フレヴァン家に対しての嫌悪が見て取れる。
それに対してキールは一応「他所では口にするなよ」と釘を刺しておいた。……もっとも、胸中では同意しかないのだが。
◆◆◆
こちらからの接触は控える事にし、向こうの出方を窺う。そう結論付けてキールとグランドが同時に立ちあがった。
少し離れた場所で待っていたティニーに声を掛け、グランドの帰宅と、シャーロットへの伝言を頼む。
だがその最中に道の先からシャーロットが現れた。手には小さな紙袋を二つ持っている。
「話し合いは終わりましたか?」
「あぁ、だが時間が掛かってしまった。すまないがこのままグランドを送りがてら仕事に戻ろうと思う。せっかく待っていてくれたのに申し訳ない」
元々はシャーロットとお茶をする時間だった。
だがその時間でグランドと話し合いをし、気付けばそろそろ戻らねばならない時間だ。
それを詫びればシャーロットが品良く笑い「気になさらないでください」と優しい声で宥めてきた。
「お仕事ですもの、仕方ありません。ですがせめてこれを持って行ってください」
シャーロットが手にしていた紙袋の一つをキールに差し出す。
「これは?」
「本日一緒に食べようと思っていたお茶菓子です。お仕事の合間に食べてください」
「そうか、わざわざありがとう」
「グランド様にはこちらを」
シャーロットが続いてグランドに紙袋を手渡せば、グランドが「俺にも?」と驚いたような表情を浮かべた。
「お忙しいところをキール様のためにお越し頂きありがとうございました。心ばかりですが、受け取ってください」
「いえ、そんな……。部下として報告に来ただけですので」
「たいしたものではありません。お待ちいただいていた間、クッキーを良く食べていらしたのでお包みしただけです」
だから、とシャーロットが食い下がれば、グランドの表情に驚きの色が強まる。
クッキーを良く食べていた自覚はあるのかむぐと一度言い淀んだのち、素直に「ありがとうございます」と紙袋を受け取った。
そうしてシャーロットに見送られ、キールはグランドと共に屋敷を後にした。
手渡された紙袋を覗いていたグランドがポツリと「よく見ていらっしゃる方ですね」と呟いたのは、袋の中に詰められている菓子が彼の好みのものばかりだったからだろう。シャーロットはグランドと共にお茶をしていた僅かな時間で、彼が何を好んでいるかを把握し、それを中心に菓子を詰めたのだ。
その観察眼を褒めるグランドに、キールは擽ったいような気分の良さを覚えた。もちろん自分が褒められているわけではないのは分かっているが、それと同じくらい、否、むしろそれ以上に、自分の伴侶が褒められるのは嬉しくなる。
「それはきっと……、多分、愛だな」
「愛?」
らしからぬ発言にグランドが目を丸くさせてキールを見る。『氷壁とまで呼ばれた男が愛だって!?』とでも言いたげな顔である。
キールとて、自分で言っておきながらもらしくない発言だとは分かっていた。以前の自分であればこんな発言はせず、ましてや思う事すらしなかっただろう。
だが今ははっきりと口に出来る。キールの頭の中ではシャーロットが得意げに胸を張り、『そうです、これも愛ですよ』と断言しているのだ。
……もっとも、
「愛とは言ったが、シャーロットから俺への愛だからな」
という忠告は忘れない。
グランドがシャーロットから己への愛かと勘違いしないためである。
ちなみにこれにもグランドが目を丸くさせたのは、国境の氷壁と呼ばれたキールが『愛』と口にしたうえに、その愛は嫁から自分に対してだと誇示してきたからだ。
この代わりようにグランドが数度瞬きをし……、そして声をあげて笑いだした。




