15:キールの考え
「シャーロットのあの寝相は根強いからなぁ。俺も何枚巻き込むのか試した事があるが、最高で薄手のタオルケット五枚だった」
「お兄様そんなことしていたんですね。まったく、寝ている妹で遊ぶなんて酷い話だわ」
「私はタオルケットで六枚ですの」
「アナスタシア!?」
まさか愛する妹にまで試されていたなんて知らず、シャーロットがショックを受ける。
だがそんな姉を他所にアナスタシアはコロコロと品良く笑うだけだ。
「ロジェお兄様、ここは実験をしたのは私とお兄様だけと言う事にしましょう」
「そうだな、シャーロットに怒られるのは俺達だけで良い」
「二人だけじゃないの!?」
更に突きつけられる事実にシャーロットが悲鳴じみた声をあげる。――実は家族全員が試し、更にその結果が共有されているのだが、この事実をシャーロットはまだ知らない……――
「幼い頃からの寝相が治らないなんて恥ずかしい。まだまだ未熟な証だわ」
「小さい頃は夜になると俺のクッションやアナスタシアのぬいぐるみまで回収して、シャーロットのベッドにぬいぐるみを敷き詰めて寝てるのか、ぬいぐるみの敷き詰められたベッドにシャーロットが間借りして寝てるのか、分からなくなりそうな程だったな」
「お兄様はもう黙っていてください!」
ぴしゃりとシャーロットがロジェを叱咤すれば、妹に叱られたロジェが肩を竦めた。それを見たアナスタシアがまるで自分は無罪だと言いたげに意地悪く笑って兄を煽る。
そんな兄妹のやりとりを横目に眺め、次いでシャーロットはキールへと視線をやった。一連の会話を彼はのんびりと紅茶を飲みながら聞いている。
幼少時の寝相についてを話され、シャーロットは恥ずかしさでいっぱいになりながらもキールを見上げた。
「あの、キール様……、お恥ずかしい話を聞かせてしまい申し訳ありません」
「恥ずかしい? 俺はとても楽しく微笑ましい話だと思うけどな」
楽しいと話すキールに誤魔化しや嘘を吐いている様子はない。本当にこの会話が楽しいのだろう。
これを聞いてロジェとアナスタシアが「キール殿も記録に挑戦したらどうだ」だの「お勧めの薄いタオルケットがありますの」だのと彼を交えて話を続けてくる。
その光景は微笑ましく、ロジェとアナスタシアがキールを家族として受け入れてくれているのが分かる。
……が、この話題に関してはシャーロットは微笑ましさに浸る気にはなれず、眉間に皺を寄せてしまう。
「キール様、ロジェお兄様とアナスタシアの話に耳を貸してはいけません」
「アランス家は幼い頃のシャーロットの寝相を皆で愛でていたんだな。これもまた愛だろう」
「いいえ、これは愛ではありません。いたいけな少女が非道な家族に弄ばれていただけです」
この話を愛とするには些か不服でシャーロットが否定するも、キールは楽しそうな笑みを浮かべるだけだ。
それどころかもう一口紅茶を飲んで話を続ける姿勢まで見せてくる。もちろんシャーロットは話を続ける気にはならず、どうしたものかと窓の外を見て、そこにある光景にパッと表情を明るくさせた。
「見てくださいキール様、お父様がお戻りになりました!」
「あぁ、本当だ。なんだか急かしてしまったようで申し訳ないな」
「そんな事ありません。それよりロジェお兄様、アナスタシア、お父様が戻ってきたのだから二人は席を外してくれないかしら」
正当な理由からこの話題を終わらせ二人を退室出来るからか、シャーロットが得意げに言い渡す。
これには反論出来ないのかロジェとアナスタシアは顔を見合わせ「仕方ない」「昔話の続きはまた今度ですね」と口々に告げて去っていった。――「また今度?」と聞き捨てならない言葉にシャーロットは思わず眉根を寄せた――
だが今考えるべきは父の到着だ。今のシャーロットにとって父は救世主でもある。
元々今日はシャーロットの父親にキールが用事があると言うのでアランス家に来たのだ。
だが父は出掛けて戻りに時間が掛かっており、それまでお茶をする事になった。そこにロジェとアナスタシアが現れ、四人で他愛もない話をし、その流れでシャーロットの寝相の話題になったのである。
「これで私の寝相の話はお終いです」
そうシャーロットが結論付ければ、キールも無理に引き延ばす気は無いのだろう頷いて返してきた。
……もっとも、客室に現れた父はソファに腰掛けるなり、
「待たせている間、シャーロットの昔話で盛り上がっていたと聞いたよ」
と話題をぶり返させてくる。
更には隣に座る母までもが楽しそうな表情を浮かべ、
「シャーロットの寝相の話をしていたんでしょう? 兄妹の中でシャーロットが一番寝相が悪かったのよ」
と、この話に乗ってくる。
挙げ句にどこから話を聞きつけたのかロジェとアナスタシアまで戻ってくるではないか。
これにはシャーロットは不満な表情を浮かべ、微笑まし気に話を聞くキールの服の裾をちょんと引っ張って「これは愛ではありません、娘を陥れる非情な一族の蛮行ですよ」と訴えた。
◆◆◆
その晩の夜。
「今夜は俺に案がある」
そうキールに告げられ、シャーロットは疑うことも不安を抱くこともなく「はい」と返した。
ベッドの上で二人横になり、それでいて男女の逢瀬を予感させる雰囲気はない。それでもシャーロットにとっては心地良い時間で、そして自分の寝相という些か恥ずかしい話題ではあるもののキールが自分の事を考えてくれている事が嬉しくもあった。
「今夜はいったい何をするんですか?」
「シャーロットが布団を巻き出したら動きを止めてみようと思う。もちろん手荒な事はしないし、眠りを邪魔する事もしない。嫌そうな表情をしたらすぐにやめるよ」
心配はいらないと宥めるように話すキールに、シャーロットは「心配なんてしていませんよ」とはっきりと返した。
「では寝ましょう。おやすみなさいませ、キール様」
「あぁ、おやすみシャーロット」
互いに就寝の言葉を交わして眠りに就いた。
……のだが、キールは就寝の言葉こそ口にしたもののそのまま起きていた。
今日あった事や明日の予定、仕事の事、そういった諸々を考えながら時間を潰す。本でも読めれば良いのだが、そのためには明かりが必要でシャーロットの眠りを邪魔してしまう。それでは意味がない。
ゆえにあれこれと考えていると、隣でスヤスヤと眠っていたシャーロットがモゾリと動き出した。
「始まった」
キールが小さく呟く。
見ればシャーロットは女性らしい小さな手で布団をぎゅっと握り、覚束ない動きながらも自分の方へと引き寄せようとしている。このままだと彼女は引き寄せた布団を自分の周りに隙間なく詰め、寝返りという回転を活かして己に巻き付けていくのだ。
だが今夜は巻き付かせるまいと、キールはそっと腕を伸ばすとシャーロットの体に触れた。起こさないよう、それでも己の方へと引き寄せる。
そうして腕の中に入れて体を押さえれば、さすがにシャーロットも異変を感じたのかキールの腕の中で身動ぎしだした。寝顔ではあるものの動けないことに不思議そうだ。
「これで動けないはず。……だが、痛くはないか? 苦しくは?」
寝ているのだから答えようがない。そうと分かっていても聞かずにはいられない。尋ねながら腕の中のシャーロットの様子を窺う。
シャーロットはキールに体を押さえられながらもモゾモゾと数度動き……、
ふぅ、と深く息を吐くと満足そうな表情を浮かべた。
そうして再びスヤスヤと眠りに就く。その寝顔は穏やかで布団に包まっている時のようだ。
良かったとキールが安堵すれば、同時に緩やかな眠気がおとずれた。
まるで腕の中のシャーロットから眠気が染み込んでくるかのような感覚。触れた体からシャーロットの暖かさが伝わり、ゆっくりとした呼吸の動きがより眠りへと誘ってくる。
その感覚に促されるようにキールは「おやすみシャーロット」と腕の中に告げ、穏やかな眠気に意識を預けるように目を閉じた。
◆◆◆
「あれは拘束だったのですか?」
シャーロットが首を傾げたのは翌朝の事。
目を覚ますとキールの腕の中に居り、心地良く素晴らしい朝の目覚めだった。逞しい腕が体を抱きしめ、厚く逞しい胸板に身を寄せる。暖かく、そして胸の高鳴りを覚える、目覚めたのに夢心地のような感覚だった。
ちなみに布団もきちんと掛けていた。そう、『掛けていた』である。巻き取っていなかったのだ。
そんな目覚めを経て朝食の場で昨夜の事を聞かされ、シャーロットは自分が『抱擁』ではなく『拘束』されていたのだと知り、思わず出たのが先程の言葉である。
「昔から狭い所で眠るのを好んでいたなら多少体を押さえても苦ではないのかもと思って、試してみることにしたんだ」
「そうだったのですね……。私てっきり……、いえ、なんでもありません」
「てっきり、なんだ?」
「てっきり抱きしめてくださったのかと思っていました」
とんだ早とちり、とシャーロットがポッと頬を染めて恥じらう。
だがそれよりも顔を真っ赤にさせたのはキールだ。自分がした行動が世間的には『拘束』ではなく『抱擁』だとようやく気付いたのだろう。それも真夜中、ベッドの中で抱きしめたのだ。
まだデザートの前だが慌てて立ちあがり、「あれは!」だの「その!」だのと的を射ない声をあげる。慌て過ぎるあまり適した言葉が出てこないのか。
そんな彼の態度にシャーロットはきょとんと目を丸くさせた。
慌てふためくキールをひとまず「落ち着いてください」と宥めて椅子に座らせる。
「すまない、確かに俺は抱きしめていた。許可も無いのに……、申し訳ない」
「夫婦なんですもの、抱擁に謝罪なんて必要ありません。なんでしたら今ここで改めて抱きしめてくださっても良いんですよ?」
冗談めかしてシャーロットが告げれば、キールが参ったと言いたげに頭を掻いた。
デザートを運んでくるメイドに対して「俺の分はシャーロットに」と横流しさせるのは詫びの品ということだろうか。
彼の分かりやすさにシャーロットは笑みを零し、運ばれてくるデザートを受け取った。




