10:優雅な屋敷の由々しき問題
シャーロットがキールと共に生活をはじめて三ヵ月が過ぎた。
寝室こそまだ別だが、食事を共にし、時間があればお茶をしている。――いまだキールは休みであっても書類仕事に没頭する事が多く、見兼ねたシャーロットが「お茶をして愛を深めるのです」と彼を執務室から引っ張り出す事もしばしば――
夫婦仲は良好と言えるだろう。
だがシャーロットには一つ気になる事があった。
それは屋敷に仕える者達の態度だ。
主人であるキールはもちろん、妻のシャーロットにも彼等は敬意を持って従うべきである。これは驕りや傲慢ではなく互いの立場を考えれば至極当然の事と言える。
だがどうにも、一部の者達はキールを軽んじているように思えるのだ。
「一部の者達は元々フレヴァン家に仕えており、ニコラ様の命令を受けてこちらの屋敷に移ってきたからでしょう」
「ニコラ……、ニコラ・フレヴァン。キール様のお父様ね」
シャーロットが尋ねれば、老年の庭師ディムが首肯した。
キールが国境からこの屋敷へと住まいを移すのとほぼ同時に、フレヴァン家から数人の給仕がこの屋敷で働き出した。
キールが選んだわけではない、むしろ彼の意見など一つとして聞かぬ人選。給仕達は頭を下げこそするものの「ニコラ様のご命令です」と言い切ったという。その裏に『貴方に拒否権はない』という意思が込められているのは誰だって分かるだろう。
そういった者達がキールに対してぞんざいな態度を取っているのだという。
もっとも、露骨な態度を取ったり指示に背いたりするわけではない。屋敷を保つために必要な仕事はこなし、必要とあらばキールの指示を仰ぎ彼に従っている。
だが時折、彼を軽んじる態度を見せるのだ。
指示されたことを忘れたり後回しにする。それを指摘されてもお座成りな謝罪の言葉と「うっかりしていました」等という言い訳を悪びれず口にする。キールが多忙だからと屋敷内の事を勝手に決め、先日は「これが最近の主流ですから」と相談も無しに屋敷内のカーテンと玄関飾りを変えてしまった。
これは由々しき問題である。そうシャーロットが憤れば、ディムが困ったような表情を浮かべた。
ちなみにディムはニコラ・フレヴァンの命令のもと働いているわけではない。彼はキールが直接雇ったのだ。曰く、知人繋がりで縁があったらしく、花の植え替えもきちんとキールに確認し、今はシャーロットの意見も聞いてくれる。
温和な見た目と口調だが屋敷内の情報に長けており、見た目こそ老年とはいえ鋭い男だ。
「キール様への態度が悪い者達は把握してるし、私からもそれとなく指摘しているんだけど、なんだかのらりくらりと躱されてしまうの。本当はキール様からきつく叱って頂くのが一番なんだけど」
「旦那様は根からの騎士で屋敷の細部にはあまり拘らない質ですから、猶のこと好きにされてしまうんでしょう。なによりあのお方はご自身の出生に負い目を感じているようで、フレヴァン家に関する者に対しては強く出られないところがあります」
「だからってこのままでは……。あら」
ふと、シャーロットが一角へと視線をやった。
こちらに歩いてくるのはキールだ。手には封筒らしき物を持っている。
シャーロットが見つめていると視線に気付いて進路を変えて近付いてきた。
「キール様、どこかへ出かけるんですか?」
「あぁ、ちょっと手紙を出そうと思って」
「手紙? それは先日メイド長に出しておくよう渡した物ではありませんか」
「そうなんだが、広間の棚に置いてあったんだ。忙しくて出し忘れていたらしい。まぁ急ぎでもないし、散歩がてら出しに行ってくる」
平然と話すキールに、シャーロットは思わずディムと顔を見合わせてしまった。
今まさに話し合っていた事ではないか。
だが当のキールにはメイド長に対して怒りを抱いている様子はなく、むしろ蔑ろにされたという自覚すらないのだろう。挙句にシャーロットに「一緒に行かないか?」と誘ってくるではないか。
これにはシャーロットも「えぇ、もちろんです!」と二人きりの散歩に胸を弾ませ……、はっと息を呑んで己を律した。危ない危ない、とフルフルと首を横に振り、溢れかけた愛を押さえておく。今は愛より屋敷内の問題事だ。
「行かないのか?」
「行きます。二人の散歩はもちろん行きます。ですがその前に解決しなければならない問題があります」
シャーロットがキールをじっと見つめる。いつだって彼には笑顔を向けたいが、今だけは眉根を寄せてキリリと表情を引き締める。
そんなシャーロットの表情と口調から真剣な内容だと察したのか、キールが僅かに背筋を伸ばした。
そうして先程ディムと話していた事を伝えれば、キールが困ったように頭を掻いた。
彼も己の扱いがぞんざいであることに気付いてはいるらしいが、どうすべきかも、何が正解なのかも、そもそも己がどう扱われるべきかもよくも分からないため、今日まで対応出来ずに居たのだという。
果てには「シャーロットに対して失礼な態度を取らなければいいかと考えていた」とまで言い出すではないか。
「国境に居た時はメイドや給仕なんて当然だが居なかったし、そもそもフレヴァン家に居た時だって良い扱いは受けてこなかった。だから今の扱いも別に不満に感じるものじゃないんだ。そんな状態だと何をどう改善すべきかもピンとこない」
「それなら、私から屋敷の者達に苦言を呈してもよろしいですか?」
「シャーロットが?」
意外な提案だったのだろうキールが驚いたような表情で見つめてくるが、シャーロットはそれに対して「はい!」と威勢よく答えた。
「私、公爵家の娘として正しい扱いを受けてまいりました。上に立つ者のあるべき姿、屋敷の者達をどう導いていくべきか、屋敷の者達にどう扱われるべきか、きちんと把握しております。それに屋敷の秩序を守るのは貴族の夫人の務めですから!」
「そうか、それは心強い。それなら頼まれてくれるか?」
「お任せください!」
キールから託され、シャーロットの胸に気合いが満ちる。
その気合いに後押しされるように「いざ!」と屋敷へと向かった。
◆◆◆
力強い足取りで屋敷へと戻っていくシャーロットの背を見届け、キールが「大丈夫だろうか」と小さく呟いた。
隣に立つディムが一度キールへと視線をやり、再びシャーロットへと視線を戻す。次いで「心配ないでしょう」という声は穏やかだがはっきりとしている。
「奥様は公爵家のお方です。屋敷の主人がどう扱われるべきか、学ばずとも分かっていらっしゃるんでしょう」
「だがシャーロットはあの通り穏やかで優しくて愛らしい女性だ。メイド長や給仕に強く出られるかどうか……。もしかしたら言い負かされて傷ついてしまうかもしれない」
シャーロットは小柄で愛らしく、言葉遣いや性格も穏やかの一言に尽きる。争い事はもちろん、誰かを咎めたり苦言を呈するような性格とは思えない。ーー兄を嗾けて一騎打ちをさせたが、それは愛ゆえのことであるーー
なにより、キールが「愛する事が出来ない」と打ち明けた時でさえ、彼女は失礼なと怒ることも嘆くこともしなかったのだ。愛する事が出来ないなら自分が愛を教えると改善案を提示し、そして今も常に愛を示してくれている。
そんな彼女が、ニコラ・フレヴァンから命じられて内通者として働く者達を相手に強く出られるわけがない。
キールの想像の中で小さなシャーロットが愛らしくプンプンと怒り、だが屋敷の者達に反論されるやしょんぼりと落ち込んでしまった。その光景は想像といえどもキールの胸を痛める。
だが心配するキールを他所にディムは落ち着いたもので、それどころかキールを宥めだした。
「ひとまず奥様にお任せしましょう」
「そ、そうだな。……駄目だ、やっぱり気になるから様子を見てくる」
慌ててキールがシャーロットを追うように屋敷へと戻っていく。
その背をディムが見届け「仲が宜しいようで」と肩を竦めながら笑った。




