01:シャーロットの結婚
アランス公爵家次女、シャーロット・アランスの結婚が決まった。
相手は長く国境警備に勤めて、その強さから『国境の氷壁』とまで呼ばれた騎士隊長キール・フレヴァン。フレヴァン伯爵家の三男である。
隣国とは長く冷戦状態にありキールは入隊するや苛酷な国境警備を任されていたが、隣国王女の輿入れを機に国家間で正式な和解を結ぶことになり国境も落ち着きを得た。それが一昨年のこと。
キールはその後も国境に留まり細かな仕事をこなし、そして今年春ようやく王都に戻ってくることになった。
そんなキールとの縁談にシャーロットは驚いたが、この話を持ってきたのが信頼できる人物であること、そして両親も良い話だと頷いていたので応じる事にした。
話に聞くキールは善良で真摯な男で悪い噂も無い。父と兄が調べたところ、先に王都に戻ってきた騎士達から話を聞いてもあれほど出来た人物はいないと皆が口々に褒めるのだという。
それほど素敵な人物ならきっと幸せな夫婦になれるだろう。
そうシャーロットは考えていた。
なにより肖像画の彼はとても素敵で、シャーロットは会ってもいないのにすっかり一目惚れしてしまったのだ。
◆◆◆
正式に婚約を結び諸々の手続きも終えたある日、シャーロットはキールに誘われ彼が暮らす屋敷でお茶をする事になった。
婚約を結んだ男女がお茶をしながら語り合う。至って普通の事だ。
数日前からそわそわとこの日を心待ちにし、当日は予定していた起床時間よりも二時間も早く起きてしまった。綺麗なオフホワイトとピンクの色合いが美しいワンピースに身を包み、親譲りの赤髪は綺麗に編み込んでリボンも着ける。
ドレスというほどではないが華やかな装いだ。今日のために仕立ててもらった一張羅である。
それを纏いアランス家の馬車に乗り込む。見送りのために出てきてくれた母に「行ってきます」と声を掛ければ愛おしそうに微笑んでくれた。
「王都に来たばかりでお仕事も忙しいでしょうに、式の前に仲を深める場を設けてくださるなんて優しい方だわ」
うっとりとシャーロットが話せば、護衛をかねて同行を買って出てくれた兄のロジェが微笑まし気に頷いて返してきた。
「キール殿と二人きりで話をするのは今日が初めてだったな」
「えぇ、今まではお父様やお母様が一緒だったから、二人きりは初めてなの。キール様から『二人きりで話がしたい』と仰ってくださったのよ」
キールとは何度も顔を合わせている。
婚約の手続き、式の日取りや内容・招待客についての話し合い……。
だがその場には必ず父や母が居た。貴族の結婚ゆえに決め事やしきたりが多く、当事者ではなく親の方が率先して話を進めるのはよくある話だ。そのうえ兄妹までもが「ご挨拶を」と同席する事もあった。
対してキールの両親であるフレヴァン夫妻は一度として来なかったが、アランス家側はいつだって誰かが居たのだ。
更にはキールが多忙なためあまり時間を取れず、二言三言の挨拶を交わしてすぐに話し合いに入り、時間がくるや慌ただしく別れて終わりだった。
ゆえに落ち着いて彼と語り合う時間は今まで無かった。
今日の誘いはきっとそれを気遣ってだろう。
「なんの話をしようかしら。キール様の事を知りたいけれど、私のことも知ってほしいし。でもお喋りで煩い女だと思われたくないわ。でも黙っていたら面白くない女だと思われてしまうかも」
「シャーロット、少し落ち着いたらどうだ。まだ着いても居ないのにそれじゃぁ持たないだろ」
「でもロジェお兄様、私、殿方と二人きりで話をするなんて今まで無かったのよ」
「俺は男じゃないのか?」
「お兄様はお兄様であって殿方とは違うわ。お兄様は特別だもの」
「特別……、うん、良い響きだ。よし話を続けてくれ」
「そんな私が、キール様と初めて二人きりになってうまく話せるかしら……。緊張して変な事を言ってしまったらどうしましょう」
逸る気持ちのままシャーロットが困惑を口にする。
いっそ話したい事と聞きたい事をリストにして書いてくればよかった。それを参考にしてキールと話を……と想像し、シャーロットは慌てて首を振り「これは駄目ね」と自分の考えを却下した。
リストに沿って会話など味気なさすぎるし、想像した光景は到底婚前の二人が過ごす一時とは言い難い。何かの通達だ。
そうシャーロットが自問自答していると、そのさまが面白かったのだろうロジェが笑みを強めた。
「悩める妹は可愛いが、そろそろ時間切れだな。シャーロット、アランス家らしく潔く覚悟を決めろ。ほら着いたぞ」
ロジェの言葉にシャーロットはパッと顔を上げて窓の外を見た。
そこに見えるのはフレヴァン家の屋敷。嫁入りまで家族と暮らすシャーロットと違い、彼は国境警備から戻って以降はこの屋敷で一人で――メイドや庭師はいるだろうが――暮らしているという。
キールの屋敷。そして結婚後はシャーロットも住まいを移す予定である。
シャーロットの胸が高鳴る。先程湧いたばかりの不安と困惑は今はもう期待に上塗りされてしまった。
「キール様、今あなたのシャーロットが会いに行きます」
胸を押さえてここには居ないキールへと告げれば、聞こえていたのだろうロジェが苦笑を浮かべたのが横目に見えた。
出迎えてくれたキールを見て、シャーロットはポッと頬を赤らめてしまった。
今までの話し合いの場でのキールはいつも騎士隊の制服を着ていた。紺色を基調とした制服は清廉としたと凛々しさを感じさせ、体躯の良い彼をより勇ましく見せていた。彼の黒髪にもよく合っていた。
だが今日の彼の服装は濃い色合いのスーツを纏っており今までとは雰囲気が違う。それもまた様になって落ち着いた空気を纏っており、黒髪は今回もまた映えている。
なんて素敵、とシャーロットは胸の高鳴りを覚えた。だがすぐさまはっと我に返り、スカートの裾を摘まんで優雅に挨拶をする。
「キール様、お待たせして申し訳ありません」
「いや、定刻通りだ。俺の方こそわざわざ来てもらって申し訳ない。二人きりで話をしようと思って……」
言葉の途中でキールの視線がシャーロットの隣へと向かう。
そこに居るのはロジェだ。彼の同行は聞いていなかったのだろう、さりとてそれを言及するのも躊躇われるのか、キールの視線には疑問の色が宿っている。
「婚約関係にあるとはいえ、正式な嫁入りはまだだ。嫁入り前の可愛い妹を一人で男の元へやるわけにはいかないだろう」
「そういうものなのですか。申し訳ありません、俺はどうにも疎くて……」
まるで厳格な兄といったロジェの言葉にキールが慌てて謝罪をする。
頭を下げようとまでする彼を見て、ロジェが慌てて制止した。
「おいおい本気で謝ってくれるな。冗談だよ、冗談」
「冗談、ですか?」
「あぁ、可愛い妹を持つ兄の冗談だ。本当はメイドが同行する予定だったが、非番で暇だから俺が付いてきただけだ。馬車にでもいるから気にしないでくれ」
「いえ、客室をご用意しますのでそちらでお待ちください」
一室にお茶と軽食の準備、それとなにか時間を潰せるものを……、とキールがメイドに指示を出すが、それを聞いたロジェが「暇潰しは持ってきている」と鞄から一冊の本を取り出した。
「待たされるのは覚悟の上で本を用意してきた」
「お兄様が本を? ……枕も用意してもらった方が良さそうですね」
「シャーロット、未来の旦那さんに兄に対して意地悪を言う女だと思われたいのか?」
ロジェに咎められ、シャーロットが慌ててパタと口元を押さえた。
この仕草にロジェが愛おしそうに微笑み、シャーロットの頭を優しく撫でる。顔を見合わせて微笑み合う様を見れば、シャーロットの言い分も、それに対するロジェの反論も、どちらも本気ではないと誰だって分かるだろう。
「それじゃぁ、俺の事は気にせず二人の時間を過ごしてくれ」
ごゆっくり、と一言残し、ロジェがメイドに声を掛けて一足先にフレヴァン家の屋敷へと入っていった。こちらを振り返ることなくひらひらと片手を振っていく様は随分と軽い。
残されたのはシャーロットとキール。仕切り直すようにキールがコホンと咳払いをした。
「では、俺達も部屋に入りましょうか」
「は、はい!!」
キールに促され、シャーロットはいよいよ二人きりの時間だと緊張と期待を胸に答えた。
どんなことを話そうか、彼のどんなことを聞こうか。もしかしたら手を繋いだり、抱きしめたりするのかもしれない……。
(キスまでなら平気よ。さすがにその先は婚前だし控えておかなくてはいけないけれど、キスまでなら……!)
そんな事を考えつつシャーロットはいそいそとキールの隣を歩いた。
だが一室に移り話を始めるなり、キールは申し訳なさそうに、それでもはっきりと、
「シャーロット嬢、俺は貴女を愛する事は出来ない」
そう告げてきた。




