7.王都へ、母の治療
俺、リーフ・ケミストは辺境で薬師をやっていた。
だが婚約者の裏切りをきっかけに、村を出ることになる。
途中で助けた少女、公爵令嬢のプリシラの大事な人が病気になったことを聞く。
同情した俺は、その大事な人の治療をするため、彼女の実家……王都の屋敷へやってきた。
「す、すげえ……なんだこりゃ……」
馬車に乗ること数日、俺は王都に到着した。
……はじめての都会の町並みに圧倒されてしまう。
まず、隣同士の建物が密着していることに驚いた。
俺の村、デッドエンドではお隣さんといえば、普通に歩いて数十分とかざらだったからな。
次に、人が多すぎることに驚く。
視界いっぱいに人間がいるなんて田舎じゃ考えられない。みんなぶつからないのだろうか。さらに、多様な人種が行き交っている。
「都会なんだなぁ……」
「あの、リーフさん。これからのこと、少し説明しておきたいのですが」
正面に座っているプリシラが思い詰めた様子で言う。
そうだ、観光気分になってる場合じゃなかったな。
「これからリーフさんは、わたくしと一緒にグラハム公爵邸に来てもらいます」
「了解。それで、誰を治せば良いんだ?」
「わたくしの……母です」
「母親ね。了解。どんな病気なんだ?」
一呼吸置いて、プリシラが病名を告げる。
「【イマンシ病】……です」
「イマンシ病……ああ。あれか」
「ご存じなのですかっ?」
「ああ。心臓と肺の病気だろ? 徐々に臓器の機能が弱っていって、手を打たないと死に至る病って」
「すごい……すごくマイナーな病気で、医師でも知ってる方がほとんどいなかったのに……」
「師匠からある程度の医学知識は習ってるんだよ」
アスクレピオス師匠は治癒のスペシャリスト。
あらゆる怪我、病気の治し方を教えてくれたのだ。
「なんだ、イマンシ病だったのか。心配して損したよ」
「な、何を言ってるのだリーフ! 宮廷医師さまは、治療方法不明の難病だと言っていたんだぞ!」
「え? 何言ってるんだよリリス。イマンシ病が、治療方法不明? どこのヤブ医師だよ」
やばい病気っていうから、アスクレピオス師匠から習ってないような病気かと思ってたんだが……。
杞憂だったようだ。良かった。
「にわかには信じられんのだが……」
「リリス。わたくしは彼を信じます」
「お嬢様……」
プリシラは居住まいを正して、俺に深々と頭を下げてくる。
「どうか、母を治してくださいまし。なにとぞ……なにとぞ!」
プリシラは俺を信じてくれるようだ。
リリスが言うとおり、得体の知れない男に、大事な母を任せることは、大変リスクの高いことだろうと思う。
そりゃそうだ。数日前にあったばかりの、田舎者なのだから。
けれど、それでも俺の腕を信じてくれると彼女は言った。
……責任、重大だ。だがきちんと仕事はこなしてみせる。
失敗すれば、プリシラの信頼を裏切ることになる。
それに何より、俺に無償で技術と知識を教授してくれた師匠の名前を汚すことになる。
「任せてくれ」
がんばろうって、そう思った。
★
俺たちを乗せた馬車は、王都の中心近くにある、どでかいお屋敷の前で止まった。
ここがプリシラの家、グラハム公爵邸か。
白くて立派なお屋敷で、思わず美術館ですかと聞きたくなった。
でもあんまりじっくり見ている時間はない。
イマンシ病の治療は、スピードが要求される。
いつ罹患したのか不明だが、貴族の娘っ子が危険を承知で奈落の森まで来るあたり、状況は切迫していることがうかがえる。
馬車を降りて、俺は屋敷の中へ入る。
そして母親の寝室へやってきた。
「お母様……!」
「ぷり……しら……」
ベッドの上には、ものすごい美女が青い顔をして横たわっていた。
額に脂汗、そして、顔面は蒼白。呼吸も浅い……まずい。
「おお、プリシラ! 帰ってきた!!!」
「お父様!」
40くらいのおっさんが、娘に駆け足でよってくる。
ぎゅっ、と正面からハグしてる。
「無事で何よりだ」
「お父様……お母様の様態は?」
「……見ての通り、芳しくない。宮廷医師が言うには、今日が山だと……」
「そんな……」
俺の見立てもそんなところだ。
「プリシラ、無事帰ってきたということは、そこの少年がアスクレピオス様……?」
「いいえ、そのお弟子様ですわ。とても腕の良い薬師様です」
「薬師……? 治癒術師や、医師ではなく?」
治癒魔法を使って人を治すのを、治癒術師。
医師は医術、薬術を使って治す人たちのこと。
薬師は、文字どおり薬の処方を使って体調管理を行う者をいう。
どっちかというと、病気を治す人ってイメージではないのだろう。
だから、プリシラの父ちゃんは俺に疑いのまなざしを向けてくる。
「お父様、彼を信じて。本当にすごい人なんです」
「……そうだな。おまえがそういうのであれば、信じよう」
父ちゃんは俺の前までやってきて言う。
「私はサイファー=フォン=グラハムだ。頼む、少年。妻……ディアンヌを助けてくれ」
プリシラ父ちゃん……サイファーさんは、平民のガキである俺に深く頭を下げてきた。
……プリシラといい、この父ちゃんといい、人が良すぎるだろ。
「お任せください」
俺はうなずいて、プリシラの母ちゃん……ディアンヌさんのもとへ行く。
意識が朦朧としているようで、俺にも気づいていない様子だ。
「……? これは……まさか」
俺は魔法バッグから注射針を取り出す。
つぷ……と血管に針を刺して、微量の血を採取。
ルーペを取り出して、採った血を調べる……。
「これは……」
「どうしたのだ? 少年」
「……奥さんは、イマンシ病じゃありません」
「なっ!? なんだと!? じゃあ宮廷医師が誤診していたということか!?」
「はい。このままイマンシ病の治療をしていたら、奥さんは死んでました」
「そんな……で、では……妻は何の病気なのだ!?」
俺は、グラハム親子に向けていう。
「【エムジープレス症候群】です」
「えむじーぷれす……症候群……?」
「はい。呪毒によって、強制的に体内の魔力を欠乏させる病気です」
よく似てはいるが、イマンシ病には意識朦朧の症状は見られない。
血液の成分を調べて、そこに魔力が全くないことがわかった。
だから、俺はエムジープレス症候群だと診断したのだ。
「そ、それで妻は治るのか!?」
「ご安心ください。治ります。こっちのほうが、治すのが難しいですが……」
今は、マーリンばーちゃんからもらった、杖がある。
師匠から習った技がある。
俺は魔法バッグから、薬師の神杖を取り出す。
さらに、天目薬壺を取り出した。
「【調剤】」
天目薬壺の中に保存してある、種々の薬草を、俺のスキルで調剤……つまり薬を作る。
普通ならすごい時間のかかる作業。
しかしこの薬壺には、作業時間短縮の特殊な魔法が付与されている。
「薬は出来ました。続いて、投与を開始します」
薬壺のなかの薬を、薬師の神杖の先端についてる、宝玉の中に装填する。
そして杖先をディアンヌさんに向ける。
「【投薬】」
薬には適切な投与方法という物が存在する。経口、経皮、静脈内注射など。
適した方法で体の中にいれないと、正しく効果を発揮しない。
しかしこの薬師の神杖は、他者の身体の中に、薬を最適な方法で投与することができるのだ。
すぅ……と宝玉の中の薬が減ると同時に、ディアンヌさんの身体が光り輝く……。
そして……。
「う、うう……ここは……?」
「お母様!」「ディアンヌー!」
目ざめたディアンヌさんに、二人が抱きつく。
わんわんと、まるで子供みたいに泣きじゃくる二人に、ディアンヌさんは戸惑っているようだ。
「……身体が……とても楽。いったいどうなってるのです?」
「ディアンヌ! この少年が、君を治してくれたのだ!」
「……まあ、あなたが」
俺がうなずくと、ディアンヌさんは立ち上がった。
そして、俺の手を握ると、またも深くお辞儀した。
「……心から、感謝申し上げます。あなたは命の恩人です」
「ありがとうございますわ!」
親子で涙を流しながら俺に感謝してくる。
じーちゃんばーちゃんも、こうして感謝してくれたっけ。
でも……良かった。師匠から教わったことを、ちゃんと実践できて。
命を助けることが出来て。
「ありがとう少年! 君には感謝してもしきれない! 是非お礼を……」
「いや、サイファーさん。それは後で。それより、緊急に調べないといけないことがあります」
「緊急に……調べる? 何を調べるというのだい?」
俺は、彼の目を見ていう。
「奥さんに毒を盛った犯人です」
「なっ!? ど、毒!? 馬鹿な、いったいなぜ!?」
この反応……やっぱり気づいていないのか。
俺は説明する。
「エムジープレス症候群の原因は、呪毒といいましたよね。そうなんです、この病気は自然に発生する病気じゃないんです。悪意ある第三者が、毒を飲ませないと……起こらない病気なんです」
「そんな……! では……私の妻に、毒を盛った犯人が……」
「はい。だから……俺に任せてもらえないですか?」
「なに? どういうことだ……?」
俺の仕事は、ディアンヌさんの治療。それはもう完遂した。
しかし犯人を見つけ出さないと、また同じことが起きるに決まってる。
なぜなら……。
「このお屋敷に居る犯人を、俺が、捕まえて見せます」
犯人は、この屋敷の中にいるからだ。