60.元婚約者は、土下座する
リーフの婚約者、ドクオーナ。彼女は森でのサバイバルを通して、完全に自分の間違いに気づいた。
怪我を治療し、身を潜めて……そして朝。
「…………」
彼女は木の根っこの影に隠れて過ごしていた。
ゆっくりと体を起こす。
「……朝、ね」
ドクオーナは木の根の近くに生えている植物を見てつぶやく。
それは朝にだけ地面から顔を出す、【アサダケ】という茸。
怪我を治し、冷静になったことで、ドクオーナは周りを見渡せるほどの冷静さを取り戻していた。
「…………帰るか」
彼女はリーフの力で、一億年分の修行を数回行っている。そう、下地はもう十分できていたのだ。
彼女は立ち上がり、近くに生えている薬草やらキノコやらを見る。
初めてここに来たときにはわからなかったけど、知識を蓄えた今なら、どれも薬の材料になることがわかった。
「……もってこ」
自分はこれから、あの村の薬師になるのだから。薬の素材は多くて困ることはない。
ドクオーナは枯れ木の枝を集め、それをあんで篭にする。
生えている素材を集めながら、ゆっくりと、しかし着実に森の出口を目指した。
と、そのときである。
「BUGIII……」
「豚人……」
自分がこの森にはじめてきたとき、襲ってきた豚人だ。
周囲を見渡しながら、餌を探している。
「…………」
逃げなきゃ……と一歩下がる。
そのときだ。
「BUGI……!」
豚人が餌を見つける。
だが……それは、ドクオーナではない。
「! あいつ……あの角の生えた、ウサギ……!」
先日ドクオーナが助けたウサギが、豚人に見付かってしまったのだ。
逃げようとするウサギの足をつかんで、豚人がにやりと笑う。
「…………」
あのままじゃ、あのウサギが死んでしまう。食われてしまう。
そう思ったとき……ドクオーナは自然と動いていた。
もうこないだみたいに迷ったりしない。 彼女は背負ってた篭の中から、毒になる薬草を取り出す。
手早くすりつぶして毒を作り、木の枝にそれを塗りたくる。
また、乾いたキノコと薬草をこすり合わせる。
「よし……! おい豚ぁ……! こっち見なさいよぉ!」
豚人がドクオーナに気づいてこちらを見る。
調剤したしびれ薬を思い切り、豚人にぶっかける。
「うらああああああああああ!」
ひるんでいる隙にドクオーナは、豚人の手に、毒を塗った枝をぶっさす。
「BUGIIIIIIIIIIII!」
痛みでウサギを取り落とす豚人。
ドクオーナは素早くウサギを回収すると、そのまま走り出す。
「はっ! はっ! もうすぐだっ、もうすぐで森の外……!」
ドクオーナは走る。ウサギを抱えて。前の彼女なら自分の命だけを優先して、ウサギを見捨てて逃げただろう。
だがもう、彼女は考えを改めたのだ。
自分は、この村の治癒の使い手になるのだ。
弱者を助け、いたわる存在。そうなるのだから、か弱い小動物の命を、見捨てることはできなかった。
「アタシは……なるんだ! おじいちゃんや、リーフみたいな! 立派な薬師に……!」
彼女の口から出た言葉は、真の言葉だった。何も偽らない本音。
そうであることは、彼女の澄んだ瞳を見れば明らかだった。
「もうすぐよ! もうすぐ……きゃあ!」
そのとき、ドクオーナが転んでしまったのだ。
ウサギが彼女の手から落ちる。
「うぐ……いた……こんな……時に……!」
転んだ際に、膝の皿を地面の石で割ってしまったようだ。
足が痛くて立てない。
どすどすどす……! と背後から豚人が追いかけてくる。
ドクオーナは覚悟を決めていた。
「逃げなさい……! あんた……!」
ウサギがこちらを見ている。逃げようとしていないウサギに声を荒らげる。
「早く……! あんただけでも……!」
ウサギは多少躊躇した物の、ものすごい早さで消えた。
多分ただのウサギじゃなかったのだろう。尋常じゃない逃げ足だった。
「はは……ったく……アタシの介入とか、いらなかったかもね……」
逃げるだけの足があるんだから、あそこで自分がしゃしゃり出なくても、逃げられたかも知れない。
だが……不思議とドクオーナの胸には後悔はなかった。
豚人が自分の目の前に経つ。
怒り心頭の表情をしていた。多分なぶられることはせず、ただ殺されるだけだろう。
ドクオーナは目を閉じる。
「ごめんね、おじいちゃん……リーフ……ありがとう……」
自分が死の間際になってつぶやいたのは、自分を育ててくれた祖父と、面倒を見てくれた彼への感謝の言葉だった。
もうこの言葉が届かない。でも……それでも、いい。
自分の間違いに気づいて、彼らの偉大さを理解してから、死ねるのだから。
「BUGIIIIIIIII!」
「……さよなら、リーフ」
と、そのときだ。
どがん……!
「え?」
ぽかん……とするドクオーナの前に、いた。
黒髪の、小柄な男……。
「リーフ……」
そう、リーフ・ケミストが、ドクオーナを助けたのだ。
「なんで……あんたここに……」
「……この子が、助けを求めてきたんだ」
彼の手の中にはあの角の生えたウサギが居た。
ぴょん、とリーフの腕から降りると、ドクオーナの顔に飛びつく。
ウサギはぺろぺろとドクオーナの頬を、まるでいたわるようになめる。
「その子は【幸運ウサギ】っていって、絶対に人にはなつかないモンスターなんだ。でも……」
ドクオーナにはなついている。
「君は、この子を助けてあげたんだね? だから……助けてくれたんだよ、この子は……」
「そん……な……アタシを……?」
リーフはしゃがみ込んで、ドクオーナの目を見る。
森の中へ入ったときとは異なる目の色をしていることに、リーフは気づく。
「師匠はいつも言っていたよ。情けは人のためならずって。それが、人として生きていくうえで一番大事なんだって。……意味、もう理解できるよね」
人に優しくすることは、めぐりめぐって、自分に返ってくる。
それが……祖父の、治癒神の教え。
「……うん、できたよ。リーフ……ごめんね……」
ドクオーナはウサギを地面に置くと、深々と……リーフに土下座する。
「リーフ……今まで、本当に、ごめんなさい」
もう、浅ましい考えはなかった。ただ……謝りたかった。
今までずぅっと優しくしてもらっていたのに、何も……返せていなくて。自分勝手なことばかりで。
「アタシに……今まで優しくしてくれて、ありがとう。なんにも返せなくて、あなたを裏切って傷つけて……本当に……ごめんなさい」
心からの謝罪。相手の許しなんてもとめていなかった。けど……。
ふわり、とリーフがドクオーナの頭をなでる。
顔を上げると、彼は笑っていた。
「もう……いいよ。水に流すよ」
……やっと、許しを得た。ドクオーナは、うれしくて泣いた。
絶対に許してもらえないと思っていたから。
だから……許してくれたことが、本当の本当に、うれしくて……泣いてしまったのだった。