59.元婚約者、後悔から学びを得る
リーフの元婚約者、ドクオーナは奈落の森でのサバイバル試験を受けている。
片腕と片足が動かなくなった彼女は、それでも、ふらつきながら素材を集めた。
「よ、よし……これで、炎症止めが作れるわ……」
道具は、石。薬草やキノコなどは集められた。
時間をかけて調合すればこれでも炎症止めが作れる。
「よ、よし……いくわよ……」
がさっ!
「ひ! も、モンスター……じゃ、ない……?」
そこにいたのは、角の生えた小さなウサギだった。
だが……。
「……あんたも、怪我してるのね」
うさぎの片足に木の枝がささっていた。出血しており、足を引きずっている。
「…………」
いつものドクオーナだったら、こんな小動物よりも、自分を優先していただろう。
だが、今は違った。
「……あんた、こんな暗い森で怪我して、誰も助けてくれないのね……」
ウサギと、自分の境遇を重ねてしまう。
今自分が苦痛を感じてるのと同様、目の前で苦しんでいるうさぎもまた、痛みに耐えているのだ。
「…………」
痛みを知らず、誰かに何かをしてもらうことに対して感謝もせず、何もしなくても誰かが助けてくれていた、かつての自分は、もういない。
リーフにひどいことをして、しっぺ返しを受けて、いろいろあって……今がある。
そのドクオーナには、目の前で辛そうにしてるウサギの気持ちが、いたいほどわかった。
「……おまえ、そんな震えてるだけじゃ、誰も助けてくれないわよ」
そう、誰も助けてくれない。それでも、助けてくれた人がいた。
……脳裏によぎったのは、リーフの姿。そして……。
遠い日の、祖父との思い出。
……そうだ。祖父は、自分が怪我して泣いていたとき、いつだって薬を作ってくれた。
無償の愛。他者に無条件で優しくする心。……それが、師匠から弟子であるリーフに受け継がれていった、薬師の魂。
自分には……ないもの。いや、ないからといって、目の前のこの、かわいそうな命を放っておくべきだろうか。
「…………」
ドクオーナなら、そんな偽善的なことしない。だって自分が一番大事だから。……でも、その自分を大事にしてくれた人たちなら、どうしてただろう。
リーフも、祖父アスクレピオスも、迷わず手を差し伸べていた。
……そんななか、いつまでも、自分のことばかり。
自分を優先してばかりいる自分が……なんだか、とてつもない、子供じみて見えて、ださかった。
それに今の状況。誰も助けてくれないこの状況こそが、普通なんだ。
そう、世界は冷たくて残酷だ。そんな当たり前を、ドクオーナは理解していなかった。
困っていたら誰かが手を差し伸べてくれる。そんなの当然じゃん?
……いや、当然じゃ無かった。奈落の森のサバイバルで、よく、よく、痛感させられたじゃ無いか。
世界は優しくないんだ。優しいのは……力のある、彼らだから。
もう一度己に問いかける。ドクオーナ、あなたはどうするの?
……でもやっぱり、彼女は自分を、そう簡単に変えられない。
だから、彼女は。
自分ではなく、自分に手を差し伸べてくれたあの人達なら、どうするか、考え……行動することにした。
「ちょっと待ってなさいよ」
腕が痛む。でも……後回しだ。
ドクオーナは左手で臭い薬草やキノコをにぎりつぶし、汗をかきながら、石を使ってごりごりと混ぜていく。
……不思議なことに、薬草を作る手を止めることは無かった。
怠け者で屑の自分だ。きっとすぐにやーめたと投げ出すかと思った。
でも……。
「ううん、だめよ。人間サイズで薬を作ったら過剰投与になっちゃうわ。投与量は体重から導き出す……ウサギの体重ってどれくらい?」
……ただ薬を適当に作って、ぽいっと出すのではない。
目の前の命と真剣に向き合い、その子にちゃんと作用して、その子がもういたい思いをしないようにと、祈りを込めながら薬を作っていく。
やがて、ウサギに投与する炎症止めを作り終えた。
「ほら、こっちきなさい。って、言ってもこないか……」
ウサギが逃げようとする。ドクオーナは申し訳ないと思いつつも、ウサギの傷口に炎症止めを塗る。
がりっ、とウサギに指をかまれた。
「っつう……」
ウサギは自分に感謝の言葉一つ言わず、ぴょんぴょんと元気に飛び去っていった。
「…………ったく、なんて、恩知らずなウサギなのかしら」
そうやってつく悪態に、しかし、ウサギに対する恨みは無かった。
悪態を向けた先にいるのは、自分だった。
あのウサギは、昔の自分だ。
誰かに助けてもらうのが当然で、助けてもらっても感謝一つ言わず、治してくれたひとにつばを吐いていく。なんて、自分勝手な女だったんだろう。
「そっか……あんなんだったんだ……アタシ……」
ぽた……と涙がこぼれ落ちる。
自分を、やっと客観的に見えたことで……もう一つ、見えてきたものがあった。
「リーフ……あんた、なんて……お人好しなのよ……」
こんなゴミ屑な自分を長い間、リーフは自分を見捨てることはしなかったのだ。
ウサギに自分を重ねて、己の身勝手な行為に対して……やっと、自覚的になれた。
己を恥じる気持ちよりも、馬鹿で身勝手な自分をずっと支えてくれていたリーフに対する、申し訳なさが湧いて出てきた。
「ごめん……ごめんなさい……リーフ……本当に、ごめんねえ……」
……もう、リーフを縛る気持ちは、ドクオーナには無かった。
もう十分すぎるくらい、彼は面倒を見てくれた。こんなのに、人生を縛り付けてしまった。
……もう十分だ。もう、彼は自由になるべきだ。
試験が終わったら、ちゃんと謝ろう。今までのこと。
そして彼に誓おう。彼が出て行った後の、村人達のことは、自分がきちんとやるって。