58.元婚約者は彼の偉大さを知る
リーフの元婚約者ドクオーナ。
彼女は薬師となる最終試験のため、奈落の森でのサバイバルを体験していた。
「う……うぐぅ……」
ふと目を覚ます。それで朝がきていたら、どれだけ良かったろう。
しかしまだ夜は始まったばかり……というか。
「今が夜なのか、昼なのか、わからないじゃないの……!」
奈落の森は鬱蒼と生い茂る木々に日の光を遮られ、今が朝なのか、夜なのか判然としないで居る。
「くらい……こわい……さむい……」
がたがた……とドクオーナの身体は震え出す。
「とにかく食料……あと火を……あいたっ!」
豚人による攻撃で、彼女の右腕と、左足を負傷していた。
完全に骨が折れており、負傷箇所がパンパンに膨れ上がり、熱を帯びている。
「と、とりあえず炎症抑えないと……ああでも、魔法カバンがない、素材も、機材も、ないわ……」
こんな状態で薬なんて作れるはずもない。
しかし痛みはどんどんと増していく。アドレナリンによる痛みの緩和ステージはとうの昔に過ぎていたのだろう。
ただただ、痛かった。苦しかった……。
「いたいよぉ……くるしいよぉ……だれかたすけてよぉ……」
だがこの場には治癒術師もいなければ、薬師すらいない。
いや、自分は薬師だが……負傷していて、まともに薬も作れない。
「こんな集中できない状態で、繊細な薬の調合なんてできない……あ」
思い出した。
……それは昔、まだドクオーナとリーフが一緒に暮らしていたときのこと。
その日は朝から村人の間で食中毒がはやり、リーフはそれを治すために薬を作っていた。
そんな忙しいときに、ドクオーナは言ったのだ。
『ねえ、アタシのご飯はまだ?』
……どう見てもそんな状況でないのに、彼女は自分のご飯をリーフに作らせようとしたのだ。
『ごめん、今薬作ってて……』
『じゃあ薬作りながら料理作ってよ。そんな薬なんて、片手間で作れるでしょ?』
……作れるわけがないのだ。
実際に自分で作るようになってわかった。
薬は、人を治す都合の良いアイテムじゃ、ない。
薬と毒は表裏一体という。それは薬も人体にとって有害物質であるからだ。
それを人の身体に上手く作用するよう、薬師には繊細な調合が必要とされる。
そう、片手間で作れるような物ではないのだ。薬というものは。
自分がつくるようになり、また、自分がこんな状況になってようやくわかった。
「薬って……片手間で、集中力欠いた状態じゃ、作れない……わ」
現に今、調合できないでいる。自分は、なんて馬鹿なことをしたのだろう。
……そして、同時に。
「リーフって、すごかったんだわ……」
なんとあのとき、リーフはドクオーナの注文通り、料理と薬を同時並行で作って見せたのだ。
しかも、完璧な薬を大量に作っていた。それでいてご飯までおいしかった。
「……化け物、よ」
力が入らない。こんな状態、かつ利き腕じゃないほうの手で、ミリグラム単位の微妙な薬草の配合なんてできるわけがない。
でも……あいつはできた。
「リーフ……あいつ、本当に……すごい薬師だったわ……」
ドクオーナはゆっくり立ち上がり、身体を引きずりながら、薬草を探す。
嘆いていても状況は好転しない。
片腕だろうと、集中力を欠いていようと、身体を走る激痛を鎮めないといけない。
またモンスターが襲ってきたときに、逃げられない。
「はあ……はあ……全然見つからない……炎症止めの素材……」
身体を引きずりながら、暗い森の中を歩く。そもそも、こんな光の届かない場所で、薬草なんて見つかるはずがない。
「あ……」
またしても、ドクオーナは過去を思い出す。
それはまだ同棲していたときのこと。
リーフが夕食の時間に、少し遅れたときがあった。
『なにやってんのよクズ! ご飯の時間過ぎてるじゃないの!』
『ご、ごめん……最近雨降らなくて、ショウエンキノコがいつもより生えてなくて、探すのに苦労しちゃって……』
『は~~~~!? いいわけすんなし! あんたがのろまなだけでしょ! キノコくらい簡単に、見つけられるでしょ!?』
……馬鹿すぎた。
簡単に見つかる? そんなわけがない。
「こんな……暗い森で、捜し物なんて……みつかるわけないっての……」
それでも、リーフは必ず目当ての素材を見つけてきた。
こんな見通しのつかない場所、どこにどんな薬草が生えてるかなんて、わからない森の中で。
ドクオーナが延々探し回っても見つからない物を見つけてきたのだ。
「……うぐ……ぐす……」
こうして薬師としての視点に立って、はじめてわかった。
リーフ・ケミストは、ものすごい……薬師だったのだ。
「アタシのワガママに耐えながら……こうして毎日森に入って、薬草をひろって、薬作ってたんだ……うぐ……うぅう……うぇええ……」
耐えがたい、激務だったろう。
よくもリーフは長年怒らなかったものだ。
「あたし……ほんと……ばかだった……なにも……わかっちゃいなかった……あいつの苦労も、薬師のことも……なにもかも……」
リーフが出て行って彼のすごさがわかった、気がしていた、だけだった。
彼の持つ本当の価値は、薬師じゃないとわからないものだった。
……いや。
たとえ薬師じゃなかったとしても、毎日汗水垂らして働く彼に、ほんのすこし想像力を働かせてあげていれば。
一言でも、いつも大変ね、ありがとうと、言ってあげていれば……。
今、ここで、こんな辛い思いをしなくてすんだのに……。
彼を失わずにすんだのに……。
「ごめんなさい……リーフ……ごめんなさい……」
だがいくら謝ったところで、無駄なのだ。
彼の苦労を知って、理解しても、もう彼は村を離れ、新しい生活を送っている。
もしこの試験に合格したとしても、もう彼の心は、永遠に自分の元には……帰ってこないのだ。
あんな優しくて、優秀な薬師を、捨ててしまった。
自分が、愚かで、しょうがなかった。