57.元婚約者は森で恐怖体験する
リーフ・ケミストの元婚約者ドクオーナ。
彼女はリーフから、薬師になるための修行を受けている。
彼の命令で、薬師になる最終試験として、奈落の森でサバイバル訓練をすることになったのだった。
「…………」
森に入って数分後。
ドクオーナは震えていた。ぎゃあぎゃあ、ごあごあ、と森の中からは獣のような鳴き声が響いてる。
光の届かない森の中は、まるで化け物の口の中のようで、奥に進むのにとても躊躇してしまった。
「……なん、で。こんな……ことに……」
思えばリーフに不義理を働かなければ、こんなことをしなくてすんだのに。
だが……もうそれは終わったこと。自分はもう彼に嫌われた、浮気してしまった。もう元の関係には戻れない。
ドクオーナは現在、祖父の家にあった金と食料で食いつないでいる状況。
しかし早晩蓄えはなくなってしまう。となれば、村の中か、村を出て働く必要がある。
……田舎娘である自分に、外で生活ができるとは到底思えない。
ならば村の中で薬師としてやってくしかないが、リーフから絶縁されてる状況下では、村の連中は、自分の薬を買ってくれないだろう。
これが最後のチャンスだ。
この試練を乗り越え、リーフに許しをもらい、そしてまた村で暮らせるようになるのだ……!
「…………」
……一瞬、このまま逃げて、村の外で、適当な薬を売って生きていけば、楽なんじゃね? という邪念がよぎる。
その瞬間だった。
「BUGIIIIIIIIIIIIIIIII!」
茂みからできたのは、豚人。
見上げるほどの巨体と、醜い豚の顔を持つ恐ろしいモンスターだ。
豚人はC~Dランク程度のモンスターだが、奈落の森という厳しい環境で育ったこの個体は、Aランク相当の強さを持っている。
……もっとも、Aでこの森最弱だったりするのだが。
「ひ……!」
敵の登場におびえ、動けなくなる。だが容赦なく豚人は襲いかかってきた。
その大きな手でドクオーナの腕を握る。
ぱきっ!
「い、ぎゃぁああああああああああああああああああ!」
握られただけでドクオーナの細腕は、簡単に折れてしまったのだ。
「あ、あが……ひ、ひぎ……いだ、いだいよぉお……!」
はじめて感じる、肉体的な苦痛。
「いだ……いだい……く、くすり……ぽ、ぽーしょんはやく……」
だが魔法カバンからポーションを取ろうとしたのだが……。
「BUGI!!!!」
豚人が魔法カバンを奪うと、そのまま握りつぶしてしまう。
「そ、そんな……! それがないんじゃ……ポーション作れないじゃないのよぉ!」
あのカバンの中には薬剤作成に使う素材と道具が入っていたのだ。
それを失えば薬なんて作れない。この痛みを、治すことができない。
「BIGYAAAAAAAAAAAAAAAA!」
豚人が襲いかかってくる。
今は、痛みをなおすより、逃げることが先決だ!
ドクオーナは折れた腕をかばいながら、必死になってその場から逃げる。
だが豚人は後ろから追いかけてきた。
「はあ! はあ! はあ! はあ!」
腕が折れたことによる痛み、後ろから追いかけてくる恐ろしい化け物への恐怖。
それらが渾然一体となって、ドクオーナに激しい精神的な負荷をかける。
「いや……! もういや! いやぁあ……!」
泣きわめきながら走り続け、なんとか、ドクオーナは木の陰にかけることに成功。
豚人はそのまま通り過ぎていった。
「うぐ……ぐす……いだい……こわい……もうやだぁ……」
まだ始まって数分も経っていないのに、森から出たくてしょうが無かった。
おうちに帰りたい……。
「でも……このまま帰ったら……試験は不合格で……」
もう、あの村では完全に暮らせなくなる。自分の居場所がなくなる。
リーフに、見放されてしまう。
「…………」
もう、全て投げ出したくなった。なんで自分がこんな痛い目に、怖い目に遭わないといけないんだ。
ドクオーナは衝動的に、森や、故郷や、リーフや、そのほかの全てを投げ出してしまおうとしてしまった。だが……。
「BUGIGIII……」
豚人に、見つかってしまった。逃げようとするが足を捕まれる。
ばきぃ! と今度は足の骨が折れる音がした。
「あぎ……! ひぃ……!」
そのまま引きずられ、すぐ近くまでたぐり寄せられる。
豚人はドクオーナの身体を見て舌なめずりをした。
……犯される。本気で、恐怖した。こんな知らない場所で、モンスターに身体をめちゃくちゃにされる。そんなのいやだ、いや!
「い、いやぁああああああああああああああ!」
ドクオーナは近くに生えていた薬草を手に取る。
素早く調剤する。
「こんのぉお!」
彼女が作ったのは魔除けのお香。とっさに、近くに生えていた草とコケをつかって、粉末状のそれを作ったのだ。
お香を豚人の顔に投げつける。
「BUGIIIIIIIIIIIIII……!」
豚人は泣き叫びながら去って行く。
しばし、ドクオーナはその場から動けなかった。
身体の痛みもモンスターからの恐怖からも解放され……。
しょわぁああ……。
と、みっともなく失禁してしまった。
「…………」
そして、そのまま気を失う。もう……何もかもが、いやだった。