54.後継者を育てよう
俺は村を出る前に、薬師不在問題を、解決することにした。
アーサーじーちゃんの家にて。
朝ご飯を食べ終わり、じーちゃんたちが外出した頃合いを見計らい、俺はマーキュリーさんとタイちゃんに相談する。
「ということで、王都に戻る前に、薬師がいない問題をどうにかしたいんです」
「ううーん……難しいんじゃない?」
マーキュリーさんが腕を組んで渋い顔で意見を述べる。
「難しいでしょうか?」
「そりゃそうでしょ。薬師って、一朝一夕でなれるものじゃないわ。人の病気を治す薬を作るためには、生理学、薬学……そのほかたっくさんの知識が必要になるわ」
そんなに難しいかな……。
「リーフ君は、あの治癒神アスクレピオス様から直々に、英才教育を受けているから、簡単かもしれない。でも一般人が薬師になるためには、大変な苦労が必要よ。ましてや、リーフ君レベルの卓越した凄い薬師には、常人じゃなれないし」
「え、俺普通の薬師ですよ?」
びきっ、とマーキュリーさんの額に血管が浮かんだので、俺はすかさず頭痛薬を差し出す。
マーキュリーさんはそれを一気飲みして、ふぅ……と息をつく。
「とにかく、薬師を急に用意するなんて不可能だわ。にわか仕込みの薬師なんて置いておけないでしょ、危なくて」
「それは当然ですよ!」
薬は人を治す素晴らしいアイテムであると同時に、一歩間違えれば、人を死に至らしめる毒にもなりえる。
だからこそ、薬は慎重に作らないといけないし、いい加減な人に調剤作業を、村のみんなを、任せたくない。
「ではどうするのだ、我が主よ。ゼロから薬師を育てたのでは、王都にいつ帰るかわからんぞ?」
人間姿のタイちゃんが、尻尾を【?】の字にしながら言う。
そんなほんわかした光景をまえにしても、今から俺が提案しようとすることを思うと、ちょっと心がささくれ立つ。
できれば、使いたくない手だった。
もう、関わらないって決めていた相手だったから。
「リーフ君、なにか、当てがあるのね?」
唐突に、マーキュリーさんがそう言ってくる。え、え?
「な、なんでわかるんですか?」
やっぱりか、とマーキュリーさんが苦笑した後に微笑む。
「わかるわよ。いちおうほら、短くない時間、一緒に居たわけだし」
「マーキュリーさん……」
とくん、と胸が少し弾んだ。……? なんだろう、これは。
わからない。けど、マーキュリーさんに理解してもらえたって事実は、師匠から褒めてもらったときと同じくらい、俺を幸せな気分にしてくれた。
「で、当ては?」
「……あいつを、使おうかなって」
「あいつ……ああ、あれ」
「そう……あれ」
いちおう、下地がないわけじゃないし。
いくら素人同然とはいえ、ゼロではない。
「なんだ、あれとは?」
「この村に一人、いるんだ。薬師」
「なんと好都合。ならすぐにそのものを登用すればよいのでは?」
……それができたら苦労しない。
俺と【彼女】の間には、少なからず因縁があるから。
思いついたアイディアを素直に実行できなかったのは、その因縁が邪魔してきたからだ。
「いろいろあるのよ、リーフ君にも。でも、私はリーフ君のアイディアを押すわ。さっきもいったけど、素養のある人間を探すところから始めてるよりは、1の才能を100に伸ばすほうが楽だと思う」
……マーキュリーさんの言うとおりだ。
才能の有無をたしかめ、選別する時間をショートカットできるなら、それにこしたことはない。
「あの子に話しかけることで、嫌な思いをしたら……そのときは、次の手を考えれば良い。それだけよ、でしょ?」
「マーキュリーさん……」
「大丈夫、うまくいくわよ。リーフ君がやってきたことで、上手くいかなかったことってないじゃない? 大丈夫、自信もって」
……正直まだ完全納得したわけじゃないけど、マーキュリーさんがそういうなら、やってみよう。
俺は立ち上がって、マーキュリーさん、そしてタイちゃんとともに、アーサーじーちゃんの家を出る。
向かった先は、懐かしい小屋。
それはかつて、長い時間過ごしてきた家。
「ここから、主の匂いがするぞ? なんだここは」
「俺が、前に住んでいた家だよ」
アスクレピオス師匠のもとで、内弟子をやっていたときに、使っていた小屋だ。
俺は扉を開ける。
中は、ひどいもんだった。
荒れ放題で、まったく掃除がされていない。
でも懐かしい薬の匂いがする。……師匠の、匂いもする。
そして、二度と会いたくないと思っていた女の匂いも。
湧き上がる黒い感情を押し殺しながら、俺は小屋の奥へと向かう。
そこには……。
「なんだ、この幽鬼みたいな、女は?」
タイちゃんが不快そうに顔をしかめる。
ゴミ屋敷と化した部屋の中に彼女がいた。
死んだ魚のように、うつろな目で虚空を見据えている、その女は……。
「ドクオーナ」
俺の元婚約者で、アスクレピオス師匠の孫娘、ドクオーナだった。
「! り、リーフ!?」
ドクオーナは飛び起きると、俺の前まで急いでやってくる。
何度も転びそうになりながらも、俺の足下までやってきて、頭を下げる。
「ごめんなさい! リーフ! ごめんなさい!!!!!!」
「……急に、なに?」
「あ、アタシに報復しにきたんでしょ!? あんたに散々ひどいことしたから!」
「まあ、確かに、ね。散々ひどいことされたよ」
奴隷のように働かされたり、俺が頑張ってる裏で、貴族と浮気したり。
さぁ……とドクオーナが青い顔となり、何度も土下座する。
「ごめんなさいリーフ! 許して! あたしが馬鹿だった! 愚かだった! もう二度とひどいことしない! だから! お願い! 何でもするから! ゆるして!」
「……今、何でもするって、言ったね?」
「ええ!」
俺は、気乗りしなかった。でもこうするのが、最善だと思ったから。
「じゃあ、俺の奴隷になって」
「ど、奴隷……!?」
「うん。一時的な奴隷契約。君はすぐ裏切るから」
これからドクオーナにやらせることは、大切な仕事だ。
軽々しく放り投げて欲しくない。
だから、任せるのだったら、奴隷の契約くらい結ばないと無理だ。
「な、なる! なるわ! リーフの奴隷になる!」
「うん、わかった。じゃあ君に、一つ任せたい仕事がある」
「なんなりと!」
俺は、彼女に言う。
「今から俺が教えるから、この村の、本当の薬師になって」