5.愚かな婚約者は客に見放される
リーフ・ケミストが王都へ向けて出発した一方。
彼の元婚約者ドクオーナは、大変憤っていた。
場所は祖父アスクレピオスが残した薬屋。
レジカウンターに肘をついてぶーたれていた。
「なによリーフのあほっ! 間抜け! どうしてこのアタシの【優しさ】を、理解できないのかしら!」
ドクオーナの中では、リーフは【幼なじみのよしみ】で、貴族の下で働かせて【やろうと】した。
それなのに、彼が愚かにもそれを拒んだ、という解釈が成り立っている。
「ふん! ばかリーフ。あんな田舎者の薬ばかが、どこへ行っても活躍できるわけないってのよ! きっとすぐ泣きついて帰ってくるわ! ま、そのときは土下座してくれるなら、考えてあげてもいいわね~」
と、そのときだった。
「リーフちゃん、いるかい?」
入ってきたのは、細くて背の高い老人だ。
腰に1本の【ぼろっちい】剣をぶら下げてるだけの、貧相な老人だ。
「なんだ、【アーサー】のジジイか」
……大賢者マーリンの伴侶にして、救国の英雄剣士、アーサーであることを、この女は知らない。
「リーフならいないわよ」
「薬草でも摘みにいってるのかの?」
「違うわよ。あいつはもうここに帰ってこないの」
「な、なんだとっ!? 一体全体どうして!?」
ドクオーナは自慢げに、さっきまであったことを話す。
自分が貴族の妻となること。
この薬屋はその貴族の物になること。
だから、邪魔者は追い出したと。
「…………」
アーサーは、あまりのドクオーナの身勝手な振る舞いに絶句するしかなかった。
一方でドクオーナが言う。
「ここ、デッドエンドの村はオロカン様がおさめるヴォツラーク領のお隣……つまり、オロカン様の管理から外れる場所よ」
地理的に言うと、
デッドエンド(最北端)→奈落の森→ヴォツラーク領→王都など……。
という配置だ。魔物うろつく奈落の森は、デッドエンドとヴォツラーク領のどちらにもかかっている(半々くらい)。
「でも、お優しいオロカン様は、ここにいるジジババどもにも、薬を提供してあげなさいってことで、アタシがここに残ってあんたらの薬の面倒を見てやるのよ。光栄に思いなさいな」
ドクオーナは知らないことだ……。
別に、オロカンはこの地に住む老人どもに対して、優しさなど持ち合わせていなかった。
この村の老人達を相手に、薬を高く売りつけて、もうけを得ようとしているだけだった。
老人どもは足が悪いから、遠くまで行って薬を買うことが出来ない【だろう】。
だから、この薬屋を残しておけば、彼らはここを頼らざるを得ない。
「あ、そうそう。オロカン様のご命令でぇ、今日から全品40割増しだから。つまり、5倍の値段だから。そのつもりでよろしく~」
オロカンの考えでは、老人どもは他に頼れるところがないだろうから、いくら薬を高く売っても買わざるを得ないだろうと思ってる。
だから、値段を5倍などという、馬鹿みたいなことをしたのだ。
「…………」
アーサーはドクオーナを、ほんの一瞬だけ、不憫そうな目で見た。
彼ら老人は、ドクオーナの祖父、アスクレピオスに非常にお世話になったからだ。
祖父、そして聡明な婚約者なき今、ドクオーナをいさめてあげられるのは、自分たちだけ。
だが……もう手遅れだ。
40割増しなんて言う法外な値段をつけて売ることに対して、何の罪悪感も覚えていないような、こんな女のことを……。
もう気にかけてやる必要はない。
なぜならもう、彼らの恩人は死に……そして、彼らが溺愛していたリーフは、いないのだから。
「わかった。5倍の値段だな。高いが……しかたないのぉ」
にやりとドクオーナが嗤う。
やはりオロカンの言うことは正しかった。5倍の値段をつけても、この足の悪いボケ老人どもは、買ってくれるだろうと。他に、買える場所がないから。
「(オロカン様ぁん♡ あなたのご命令通り、薬を売りましたわぁん♡ ほめてくれるかしらぁ~♡)」
……だが、ドクオーナが有頂天で居られたのは、ここまでだった。
「では……【いつもの】をもらおうかの」
……一瞬、ドクオーナがフリーズする。 いつもの……? そう言われても、わからない。
薬の調合から接客まで、全部、リーフ一人でやっていたからだ。
いきなり常連から、普段買っているものをくれと言われても、わからない。
「早くしてくれないかのぉ。痛くてなぁ」
「あ、痛い……痛い……だから……えっと……」
相手は、客だ。しかし客である以上、商品はきちんと提供しないといけない。
オロカンから、薬屋は自分に任せてくれ! と啖呵を切ってしまった以上、やるしかない。
「これね! ほらジジイ、頭痛薬よ!」
「はぁ~~~~~~~~~~~~~」
アーサーは思いきり、ため息をついた。そこにはあきれ……相手を馬鹿にするニュアンスが含まれている。
「頭痛薬など、老人がほしがるわけがないだろう?」
「なっ! なによ! そんなの知らないわよ! て、てゆーか! いつものとか曖昧な言い方をするからいけないんじゃないのよ!」
「なるほど、一理あるの。ならば【サロンパース】をもらおうか」
「さ、サロ……わ、わかったわ。待ってなさい!」
おそらくは商品名だろう。
具体的な名前で要求し、それが来た以上、ここで失敗するわけにはいかない。
自らの無知をさらす羽目になる……。
再び、ドクオーナが薬棚をひっくり返す。
……だが、どこに何の薬がおいてあるのか、さっぱりわからない。
それはそうだ、在庫の管理もリーフの仕事だったのだから。
「なんじゃ小娘、生まれたときからこの店で過ごしていたのに、薬の場所もまともにわからんのか? ん?」
「は、はぁ!? そ、そんなわけないじゃないのよジジイ!!!!」
図星を突かれて大慌てのドクオーナ。
どったんばったんと棚をひっくり返して、サロンパースを探す……。
だが、そもそもその薬が、なんの薬かわからないのだ……。
「リーフちゃんはすぐに、出してくれたのにのぉ。商品名なんて出さなくても、というか、すでに用意してくれてたものなのになぁ……」
「やかまっしいのよ!」
焦って商品を探す。だが、焦ると視野が狭くなる。
……だから、足下に落ちてる、紙のペラペラが、湿布であることに気づいていない。
そこへ……。
「リーフちゃん、おはよー」「今日も良い天気ねぇ」「おんやぁ? リーフちゃん?」
続々と、村の老人(もちろん全員が英雄)が薬屋にやってきたのだ。
ドクオーナは、焦る。大いに、焦る。
ただでさえ、一人目の薬が見付かっていないのに……。
「まあいいや、いつものちょうだいねえ」「あれなくなっちゃってねえ、悪いけど1セットちょうだいな」「こないだのあれよく効いたわぁ。同じの欲しいのう」
……いつもの、あれ、こないだの。
そう言われても、全く薬屋の仕事をしてこなかったドクオーナに、わかるわけがない。
というか、客の顔と名前すら一致しない。
どうしよう……と焦っていると、アーサーはあきれたようにため息をつく。
「……もうよい。遅すぎる。いつまで待たせておるのだ」
ふんっ、とアーサーは鼻を鳴らして、きびすを返す。
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 金置いてきなさいよ!」
「商品と引き換えに決まっておるじゃろ? え? どこにあるのか?」
「さ、探すわよ! 探してやるから、金だけは置いてきなさいよ!」
「……はぁ~~~~~~」
大きく、深くため息をつくアーサー。
「リーフちゃんなら、信用できるから、やるよ。けど小娘、あんたは信用が出来ない」
「なんですって!?」
「当たり前だろう? あんなにこの村の、この店のために働いてくれていた、リーフちゃんを追い出しちまったんだから」
それを聞いた、買い物客の老人達は……。
「なんですって!? リーフちゃんを追い出した!」
「なんて……なんて馬鹿なことしてくれたんだい!」
「前から馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、ここまで愚かとは思わなかったよ!」
老人たちから、罵倒を浴びせられる。
いきなり馬鹿にされて……ついかっとなったドクオーナは反論する。
「な、なによバカバカって! うるさいのよジジイババア! あいつが……あいつが出てったのよ! 勝手に!」
「「「そんなわけないだろ」」」
そう、村の老人たちはリーフの人となりを熟知している。
彼が自発的に、村を出て行くような子ではないとわかっているのだ。
「リーフちゃんはあんたと違って優しい子だから」
「何が勝手に出ていっただい、このうそつき」
「リーフちゃんもこんな馬鹿女と結婚しなくてよかったよ」
「な、なによなによ! 何よ何よ!」
馬鹿にされまくって、地団駄を踏むドクオーナ。
自分は馬鹿でリーフが賢いと、言われてるようで腹が立ったのだ。
ようで、じゃなくて事実なのだが……ドクオーナは自分の方が賢いと思っている。
「おしゃべりしてないで薬を売っておくれよ」
「わ、わかってるわよぉ……! うるさいのよジジババアどもぉ!」
……この期に及んでも、客に対して態度を改めない。
結局この日は、まともに薬を売ることは出来なかった。
だが、これで終わりではない。
むしろ、これからさらに、ドクオーナは苦労することになる……。
そして。
この村にいる老人は、全員が英雄や、隠居した権力者たち。
彼らは引退したとはいえ、その影響力はいまだ衰えていない。
彼らに恩義を感じてる、今の権力者たちの何と多いことか。
……つまり、老人(英雄や権力者)に、今回ドクオーナは酷い扱いをしてしまった結果、さらなる悲劇となって自分、そして新しい結婚相手のオロカンにも、ふりかかることとなる。