35.愚かな貴族と愚かな婚約者は、謝罪しにくるがもう遅い
リーフ・ケミストのもとへやってきたのは、彼から女を奪った貴族のオロカン。そして……。
「ごめんなさい、リーフ!」
「ドクオーナ……」
さて、彼らがいるのはギルド、天与の原石。そのギルマスである、ヘンリエッタの部屋。
リーフが呼ばれて、ギルマスの部屋に入ると、そこには会いたくないトップ2がいて、突然頭を下げてきたのだった……。
「あたしが悪かった! 本当にごめんなさい……!」
「ちょ、話が見えてこないんだけど……」
ヘンリエッタはため息をついて、落ち着くように言う。
そして、事情を説明。
「先日おぬしが断ったSランクの依頼は、そこのヴォツラーク男爵家からのものじゃったのだ」
「我が領地は今! 類を見ないほどの危機を迎えてるのであるぅ! お願いします、リーフ様! なにとぞぉ!」
……オロカンは一度、リーフから依頼を断られた。
部下のエイリーン曰く、それほどまでにお冠なのだろうと。
だから、こうして直接頭を下げに来たのだ。【お土産】を連れて。
「リーフ様。どうか、戻ってきてほしいのである。あの村に……そして、ドクオーナとともに暮らしてください」
オロカンの腹の内では、ここでリーフに謝罪、そして、ドクオーナをリーフに押しつける。
そうすることでゴミ(※ドクオーナ)を手放し、代わりにリーフを手に入れよう……と。
村に彼がいれば、また前みたいに魔除けのお香を焚いてくれる。村を守るために。
そうすれば、隣の領地であるヴォツラークは助かる……と。
……そう。
ここに謝罪に来たというのに、オロカンは今もなお、自分の利益のことしか考えていなかった。
リーフを、そして用済みになったドクオーナを利用して、再び領地の安寧を、ただで手に入れようとしていたのだ……。
「お願いよリーフ! 戻ってきて! あなたがあたしには必要だったのよ!」
一方でドクオーナの胸中はというと……。
現在、オロカンからは毎日のように、大量のポーションを作るよう強制されている。
このままでは早晩、自分は潰れてしまう。だから、リーフに戻ってきて欲しいと。
リーフの有用性は、もう骨身にしみて痛感させられた。彼はすごかったのだ。
自分一人では、もうどうしようもない。だから帰ってきて欲しい……。
……しかしそこには、【自分が楽したいから】という浅ましい思いが込められていた。
クズは、どこまで行ってもクズなのである。
いくら彼がいなくなって反省したとしても、根っこの部分、性根は変わらないのである。
「ドクオーナが毎日おまえが恋しい恋しいというのでな、不憫に思って。そちが望むのならば、彼女を帰してあげてもよい」
「だって! ねえリーフ! よりを戻しましょう! ね!」
さて……。
二人から、【戻ってきて欲しい】と頼まれて、リーフはというと……。
「嫌だ」
と、一言。
そう言って、二人を突き放した。
「俺は、戻るつもりはないし、よりを戻すつもりはない!」
ハッキリと、リーフはそう宣言した。
「「なっ!? ど、どうして……!!!」」
二人とも、甘い部分があった。オロカンは、ドクオーナを戻してやれば、すぐに戻ってくるだろうと。
ドクオーナも、リーフはまだ自分に未練がある、と思っていた。
あれだけ自分を愛していたのだから、今もまだ、自分を愛してるだろうと。
……なんとも甘い考えだった。
「俺はもう、村を出ました。ここで新しい生活を始めてます。だから、今更戻るつもりはありません」
まず、オロカンを見る。
「冒険者としての依頼を、受けることはできます。でも依頼内容はモンスター退治。つまりモンスターを倒したら俺は戻ります。村に戻りはしません」
「そんな……!」
次に、ドクオーナを見る。
「ドクオーナ。俺はもう君を愛していない。よりを戻すつもりは全くない」
「な、なぁっ!? あ、愛してない……! なんで! あんなにあたしのこと、愛してるって……あたしのために、あんなに色々してくれてたのに!」
「ああ、そうだよ。愛して【た】よ」
リーフの顔には、ドクオーナへの恋心を全く感じられない。
冷たい目を向けてくる。
「でも君は俺を裏切ったじゃないか。君は今いったよね、俺が君を愛していたって。そのとおりだ。……それがわかってて、裏切ったんだね」
「そ……れは……」
「俺の、君への愛を利用したんだね」
「う……あ……」
そう……そのとおりだ。
ドクオーナは別にリーフを愛していなかった。だが向こうが好きだって思ってくれてることはわかっていた。
その厚意に甘えていた。愛してるなら裏切らないだろうってことで、奴隷のように働かせても、大丈夫だろうって思っていた。
「俺、都会に来て知ったよ。今は女性も、普通に働くんだ。マーキュリーさんも、ニィナさんも、みんな自分の生活費は自分で稼いでいる。君みたいに一人に働かせて、自分だけ楽してる人は……一人も居なかった」
そう、リーフはもう広い世界を知ったのだ。
知ってしまったのだ。ドクオーナが、やばい女であると。
今までの、彼女からの仕打ちが……おかしかったのだと。
「悪いけど、君みたいに他人の心をもてあそんで、自分が楽しようって考えをもってるひととは……将来をともに歩みたくない。パートナーって、それぞれが支え合う、そういう存在なんだって、俺は思う」
「そ、んな……そんな……あ、あたしは……? あたしはどうなるの……?」
「知らないよ。君も君の人生を歩んで」
ドクオーナは、驚愕した。
リーフからそんな、冷たい言葉が放たれるなんて……。
彼を見ればわかる。かつては自分に、熱い視線を向けていた。でももう……そこに自分への思慕の情は感じられない。
ほんとに、もう自分のことを、愛していないのだ。
「あ……ああ……」
つるり、と自分の手から、大きな魚が逃げていくのが幻視できた。
リーフ・ケミスト。祖父の治癒の腕を引き継いだ、超有能な人物。
彼と離れ暮らすようになり、ポーションを作ってわかったのは……。
彼が、ものすごく優秀な薬師だったってこと。
彼が、ものすごく……優しくて、頼りになる人だったってこと。
……オロカンと結婚してよくわかった。
オロカンは確かに金を持っている(持っていた)。
だがそれだけだ。
それ以外の面ですべて、リーフ・ケミストに負けていた。見た目も、そして優しさも、彼には劣る。
金もそこをついた今、オロカンはリーフに全敗していた。
そんな優良物件を……そうとも知らずに捨ててしまったのは、自分だ。
「うぐ……えぐうう……ご、ごめん……リーフ……ごめんなさい……」
「別に謝らなくて良いよ。もうどうでもいいし。君は自分の人生を歩んで」
「でも……でもぉお……」
「泣かれても、もう遅いよ」
ああ……駄目だ……。
ドクオーナは後悔の念で、胸がいっぱいになる。
彼には、もう自分の言葉が届かない。
もう……彼は自分の元に戻ってきてくれないんだ。
女の勘が言っている。彼の中に……もう別の、新しい女の存在がいるのだろうと。
なんてことだ……なんで、彼を捨ててしまったんだ。
ああ……どうして……。
がっくりと消沈するドクオーナを一瞥すると、次は、リーフはオロカンを見やる。
「俺は、村に戻る気はありません」