33.愚かな貴族は、今更後悔する
リーフが王都で八面六臂の活躍っぷりを発揮する、一方そのころ辺境では。
リーフが元居た村にほど近い領地、ヴォツラーク領。
そこの領主、オロカン=フォン=ヴォツラークは、現在、苦境に立たされていた。
「まずい……非常にまずい……くそ!」
オロカンは執務机に肘をついて、がりがりと頭をかく。
その都度、髪の毛が抜け落ちていく。机の上にはいつの間にか大量の髪の毛がつもっていて、それがそのまま彼のストレス量を表しているようだった。
「失礼します」
「エイリーン!」
オロカンの右腕的な女、エイリーン。年齢は25。
死んだ魚のような目をしてはいるものの、なかなか整った顔立ち。
エイリーンはヴォツラーク家に代々仕えている執事の孫娘で、祖父なき今、彼女がオロカンの仕事の補佐をしている。
もとは王立学校を出たレベルの優秀な人間であった。
「現状を報告せよ」
エイリーンはテーブルの上に地図を広げる。
奈落の森をはさんで、北にデッドエンド村(リーフの故郷)、南にヴォツラーク領。
森にほど近い領地には、いくつもバツ印がつけられていた。
「現在、20近い村がモンスターの被害にあって、壊滅しております」
「20!? 先週は10だったのに!」
「魔物の行進を止めることができていないのです。仕方ないのかと」
モンスターパレードと呼ばれる現象が、現在、起こってるのである。
森の恵みが少なくなった年に発生し、食料を求めて、森を出て人里を下る。
「農村が失われていることにより、我が領内の食料がどんどんと減っていっております。こちらがその資料です」
エイリーンは、オロカンが理解できる内容、言葉を選んでいる。
愚者たるオロカンですら、食糧の自給率が減ってきている、とわかるレベルで、やばい状態になっていた。
「なんということだ……銀鳳商会とのつながりが途絶えた今、農村でとれる作物が唯一の食料だったのに!」
「このままでは、早晩、食糧難に陥って領地は滅亡しますね。もって……1か月、いや、半月でしょうか」
「そんなにか!?」
「はい、そんなにやばいのです」
エイリーンは王立学園を首席で卒業したくらいの才女。
彼女の口から出た言葉はおそらく真実なのだろう。
だとしたら非常にまずい状況にあるといえた。
「食料に加えてもうひとつ、憂慮すべき事態が発生しています」
「なんだとぉ!? なんだ!?」
「領地を守る衛兵の数が足りません」
現在、魔物と戦っているのはヴォツラーク家お抱えの衛兵たちだ。
冒険者を雇うだけの金銭的な余裕が今の領地にはない(主に、オロカンの豪遊のせいで)。
衛兵たちはお世辞にも強いとは言えない。奈落の森の凶悪なモンスターを、24時間体制で、なんとか追い返している状況だ。
兵は疲弊し、さらにケガもする。
「けが人を治す手段が現状、ドクオーナ様のポーションだけなのですが、いかんせん質が悪く、思うような治癒が行えません。死者も絶えないですし」
「くそっ! あの女め! 有名な治癒術師の孫娘だからと期待したら、とんだクズじゃないか!」
リーフの元婚約者、ドクオーナ。
彼女は治癒神アスクレピオスの孫娘だった。
しかしその技術、知識を100%継承したのは、彼女ではなく、弟子のリーフ。
一方でドクオーナは、訓練をさぼり、また薬師としての仕事を全部リーフに丸投げしていた。
その結果、彼女にポーションを作れる知識も力もなく、毎日送られてくるのは、質の低いくずポーションばかりになってしまっているのだ。
「あの女さえ抱き込めれば、ポーションで大儲けできると思ったのに! くそ!」
しかし今は儲けのことなんてどうでもよかった。
このままでは早晩領地は滅んでしまう。
「オロカン様。ここは、王家に救援を求めてはどうでしょう?」
「なっ!? 救援だとぉ! 馬鹿なことをいうなエイリーン!」
即座に憤慨する様を見て、エイリーンは内心でため息をつく。どう見ても、脊髄反射でしか反発していない。
「王家に救援を求めるということはつまり! 自分では領地の問題をどうにもできませんでしたと、おのれの無能をさらすのと同義ではないか!!!!」
その通り。オロカンは無能なのだ。
今回の件を王家に報告すればおそらく、上からの評価はだだ下がりになることだろう。
その結果、最悪領地の自治権をはく奪されかねない。
また社交界での地位も失う。
自分が男爵という低い地位にいて、しかしふんぞり返って偉そうにできるのは、奈落の森の魔物から、王国を守ってるという事実があるから。
「ではどうなさるおつもりですか? このままでは領内の領民はすべて、魔物に食い殺されますよ? もちろん、あなた様も含めて」
冷たく言い放つエイリーン。
ぐぐ……と歯がみするしかないオロカンは、ふと思ったことを口にする。
「そもそもモンスターが今まで一度も、この領地を襲ってきたことなどなかったではないか。どうして、今になって急に?」
するとエイリーンは、【待ってました】とばかりに、答えを言う。
「リーフ・ケミストのおかげです」
「なに? なぜそこでリーフの名前が出てくるのだ?」
エイリーンは胸を張って言う。
「リーフ君は森の中に魔除けの匂いを出す特殊なお香を、設置していたのです」
「魔除けのお香だと!」
リーフ君、と呼んだこと、そしてどうしてそんなことをエイリーンが知っているのか……?
馬鹿なオロカンは気づかなかった。
「はい。リーフ君のお香のおかげで、今まで森の魔物たちはおとなしくしていたのです。しかし、リーフ君がいなくなり、お香の効果が切れた結果……」
「モンスターどもが暴れるようになったのか……」
そのとおり、とエイリーンがうなずく。
「なんてことだ……あの芋臭い男が、こんな重要なことをになっていたとは……」
そもそも物資が届かなくなったのも、リーフを虐げたからだったのだが……。
そこから、思考をさらにめぐらせることはなかったようだ。
「つ、つまり! リーフをここに連れてくれば、また元通り、魔物はおとなしくなるって言うことだな!」
これなら、国王に救援を求めずとも良い。
しかし……。
「どうなさるおつもりで? あなた様はリーフ君から、婚約者であるあの女を奪ったのですよ?」
「どーでもいいあんな使えぬ女など! のしをつけて返してやろう!」
「ドクオーナを返すだけで、リーフ君があなたを許すでしょうか? 心の傷はそう容易く戻りませんし、だいいち、女を返す、だなんて人を物のように扱う人間の頼みを、果たして彼は聞いてくれるでしょうか?」
正論で、逃げ道を塞いでいく。
オロカンは彼女の言葉に、知らず誘導されてることに気づかない。
「じゃ、じゃあどうすればいいんだ……! どうすれば、リーフをここに呼び出せる!」
エイリーンは内心でほくそ笑む。
「簡単ですよ。彼に、冒険者として依頼を出せば良いんです」
「お、おお! そうか! その手があった! あのガキは冒険者! 金さえ出せばなんでもやる! なんだ最初からそうすれば……」
……ふと、オロカンは冷静になる。
「まて……いくらかかる?」
銀鳳との取引ができなくなったことで、ヴォツラーク領の財政は逼迫している。
あまり高い料金だと、支払えない危険性があった。
「ざっと、このくらいでしょう」
エイリーンが算出した羊皮紙を、オロカンに提出する。
……だから、なぜそんな用意周到なのだろうか。まるで、最初からこういう展開が来ることを、予期していたようではないか、とか。
そういうことには、オロカンは気づかない。なぜなら彼は愚か者で、追い詰められているからだ。
「ば、バカ言うな! こぉんな高い金、払えるわけがないだろおお!!!!」
エイリーンが提示した金額は、それはもう大金であった。
少なくとも、現在の領地が所有する財産では支払えないくらいである。
「なぜこんな高いのだ!?」
「リーフ君がSランク冒険者だからです」
「Sランクだとぉお!? うちを出て、まだそう日が経ってないのに!」
「ええ、前代未聞、空前絶後のスピードでの出世。【さすがですね】」
くそっ、とオロカンが悪態をつく。
「こんな金出せない……くそくそっ! あのガキを追い出すようなマネをしなければ……!」
「そうですね。彼から女を奪うなんて馬鹿なことをしなければ、今頃モンスターによる被害はゼロ。ただで、領内の安全が手に入ったのに」
裏を返せば、彼から女をうばい、彼の心を傷つけるようなマネをした……。
自分が、現在の窮状を作ってると言えた。
ようするに、自分の愚かな振る舞いのせいで、リーフに高い金を払わなければいけない状況に追い込まれているのである。
「くそ……くそぉお……あんな使えないゴミ女を、リーフから奪ったばっかりに……!」
無理矢理奪った女は、ツラが良いだけの頭の悪い、仕事のできないクズ女。
一方、リーフは能力があり、人柄も良く、さらにあの村の老人達に愛される存在。
どちらが優良物件かなんて、火を見るよりも明らかだった。
しかし……不良品を選んだのは、他でもない自分自身である。
激しい後悔の念が、オロカンに襲いかかった。
「どうします? リーフ君へ依頼」
「できる……わけないだろ、依頼なんて」
「できますよ? この領主の館にある贅沢品をすべて売却し、さらにあなた様がちょろまかしているへそくりを使えば」
「! し、知っていたのか……」
愚者の横領の事実なんて、エイリーンはとっくに気づいていたのだ。ただ、機会をうかがっていただけである。
今がまさに、【好機】といえた。
馬鹿な頭を、すげ替える。
「わ、わかった……仕方ない……依頼を出せ」
「かしこまりました。それでは」
エイリーンは頭を下げて部屋を出て行く。
薄く笑っていたことに、最後まで気づかなかった。
残されたオロカンは、頭を抱えて叫ぶ。
「くそっ! どうしてこんなことに! あの男を追い出すようなマネしなければよかった! そうすればただで安全が手に入っていたのに! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおお!」
だが、今更後悔したところで、もう遅いのである。
彼はもう、日の当たる場所で、大活躍する……英雄となってしまっていたのだから。