17.愚かな婚約者は後悔するがもう遅い
薬師リーフ・ケミストが、王都で大きな手柄を立てた、一方その頃。
リーフの元婚約者、ドクオーナはというと……。
「……うう、眠い……疲れた……もういやぁ……」
ドクオーナは、デッドエンド村にある薬屋の、工房にいた。
ひとり大釜の前でため息をつく。
こないだまでは、きらびやかなドレスをきて、美しさに磨きがかかっていたドクオーナ。
しかし今は寝不足で、目の下にクマができていた。
髪の毛はボサボサで、頬もこけている。十分な睡眠と食事が摂れてない証拠であった。
「なによぉ……ポーションって、こんなに作るの大変なのぉ~?」
大釜の中には、真っ黒焦げになったポーション。
リーフが作るポーションとは、品質に天地の差がある。
とはいえ、劣化してはいるがポーションはポーション。
ふらふらになりながら、できあがったポーション液を、瓶に分注する。
「ポーションを作るのも……こんなに大変だったなんて……リーフ……あんたは、こんなこと毎日やってたのね……リーフ……」
そのときだ。
ドンドンドン! と誰かがドアを叩く。
「! リーフ!」
知らず、その瞳に光が差し込む。
今日は来客の予定はなかったはずなので、来るとしたら……。
出ていった元婚約者だけ!
ドクオーナは工房を急いで出る。
「ああ、リーフ! 帰ってきてくれたのね!」
彼が出て行って、苦労を強いられて……ようやく気づいたのだ。
自分には彼が必要だったのだと。
ドクオーナは笑顔で扉を開く。
「リーフ!」
「わしじゃよ」
「…………」
そこにいたのは、村長アーサーだった。
リーフかと思ってたので、ドクオーナはがっくりと肩を落とす。
「……なんでリーフじゃないのよ」
「それは無理じゃよ。あの子はもう、村には二度と戻らんじゃてな」
「どうしてよっ!」
精神的、肉体的疲労がピークに達していた。
ドクオーナはこの内心の憤りを、村長であるアーサーにぶつける。
「あたしがこんなに苦労してるのに! リーフったらあたしのことほっといて! 王都で遊び散らかして! 酷いと思わないの! ちょっとは、気にならないの!? 大丈夫とか、一言でもあればいいのに!」
だが……アーサーは実に冷めた目で、ドクオーナに告げる。
「自業自得じゃろう」
「なんでよ!」
「今おぬしが言ったこと……全部、自分も同じことをしていたと、気づかぬか……?」
「は……?」
何を言ってるのかさっぱり理解できなかった。
アーサーはため息交じりに説明する。本来なら言わずともいいだろうが、やはりかつてお世話になった治癒神アスクレピオスの孫娘ということで、仕方なく、言う。
「おぬしも、昔は婚約者をほっといて、貴族と遊び散らかしていなかったか?」
「あ……」
「婚約者に働かせて置いて、自分は貴族と放蕩三昧。彼が必死に働いて、ボロボロになってるのに、ちょっとは、気にならなかったか? 大丈夫とか、一言でも言ってあげたか?」
「…………」
そうだ。その通りだ。
自分が遊びほうけている間、リーフがどうなってるかなんて全く気にならなかった。
「自分がしなかったことを、他人に期待するなんてどうかしてる」
「…………」
「人に優しくされたかったら、人に優しくしないといけない。そんな簡単なことも、お爺さまは教えてくれなかったのか?」
……そのとき、ドクオーナの脳裏に、亡き祖父の言葉が思い起こされる。
『ドクオーナ。常に感謝の心を忘れてはいけないよ』
『天の女神様は、おまえの行動を常に見ている』
『いいことをしたら、いいことが帰ってくる。悪いことをしたり、私益をむさぼると、しっぺ返しされる』
『だから……常に人に優しく、人への感謝を忘れないように』
ドクオーナは、黙り込んでしまった。
アーサーはその様子から、彼女に思い当たる節があることを察する。
「今、困っているのだろう? 何に困ってる?」
「……オロカン様から、ポーション大量に作れって。魔物が領地を襲って、けが人が続出してるから……って」
オロカンの統治するヴォツラーク領は、奈落の森の魔物達が、襲うようになったのだ。
兵士たちを送って対処しているのだが、いかんせん森の魔物は強すぎた。
その結果、けが人が毎日のように出ている。
けがの治療用ポーションが必要となるが、商売相手の銀鳳商会は、もう領地に来てくれない。
辺境の領地まで薬を運んでくれるひとはいない。希少な治癒術師がこんな辺鄙な領地にいるわけがない。
もう……ドクオーナに、ポーションを作らせるしかないのだ。有名な治癒神の孫、ドクオーナにしか。
いちおう、アスクレピオスからは一通りの薬の作り方は教えてもらった。
だが実践したことはほとんどない。
また、祖父の作ったマニュアルは高度すぎて、解読できない。
薬を作るのはリーフに一任していたので、実践経験がほとんどない。効率よく大量のポーションを作るすべを身につけていない。
……結果、クズ同然のポーションを、苦労して作るしかない状況にあるのだ。
「もう……やだ……もうやめたい……リーフ……帰ってきて……リーフ……」
切実に、リーフに帰ってきて欲しかった。
仕事が忙しすぎてほとんど眠れていない。お腹がすいてもご飯を作ってくれる人が居ない。
……今まで、ドクオーナが何もせずのうのうと生きてこれたのは、リーフがいたからだ。
「あなたが……こんなに仕事が出来る人だって知らなかった。ポーション作りがこんなに大変だって知らなかった……。仕事しながら、あたしのために、食事も洗濯もやってくれていた、あなたの優しさに……気づいていなかった……あたしが、間違ってた……」
目先の、見かけ倒しな幸せに飛びついて、本当に大切なものに気づけなかったのだ。
きらびやかな貴族の生活がまぶしすぎて、【真の幸せ】がそこにあったことを、見落としてしまっていたのだ。
「リーフ……帰ってきて……リーフ……」
泣き崩れるドクオーナに、アーサーは……。
「そうやって、泣いていても、リーフちゃんは帰ってこないぞ」
現実を突きつける。別に、嫌がらせしたいわけじゃない。
ここで優しくしても意味がないからだ。
彼女は精神的に未熟なところがある。アスクレピオスが、孫娘を甘やかせてしまったから、今この状況に陥っているのだ。
再び甘い顔をすれば、この女はまたしても、図に乗るだろう。
ドクオーナという女の性根が、いかにねじまがっているか。
それは……同じ村にいた、村長であるアーサーだからこそわかる。
「じゃあ……じゃあどうすればいいのよぉ!」
「自分で考えるのだな」
アーサーはきびすを返して、薬屋を出て行く。
恩人の孫に対して、冷たい態度を取ることに、少々胸を痛める。
だが、この女は周囲から優しくされると、つけあがるだけのクズであることは、重々承知している。
リーフを裏切ったことを、しっかりと反省してもらわないと。また同じ悲劇を繰り返すことになる。
だから冷たくしたのだ。
「まってよぉ! たすけてよぉお! あたしを、たすけてよぉおおおおお!」
だが、アーサーは振り返らない。
「わしは、助けない。村のみんなも助けない」
「なんでぇ!?」
……ああ、本当に馬鹿なのだなとアーサーはため息をついた。
仕方なく、答えてやる。
「さっきのわしの言葉を忘れたか? 助けて欲しかったら、まずは人を助けるべきだった。リーフちゃんのように」
人に優しくされたかったら、人に優しくしなければならない。
「リーフちゃんは、わしらが困ったらすぐに助けてくれた。朝早くだろうと、夜遅くだろうと、嫌な顔ひとつせず、薬を作ってくれた。あの子は、お師匠の言葉をよくよく実践していたよ」
絶望の表情を浮かべるドクオーナに、アーサーは突きつける。
「血の繋がった孫娘よりも、よっぽど……あの人の善なる魂を、受け継いでるよ。リーフちゃんは」
アーサーが出て行った後……ドクオーナはその場にへたり込んで、動けないでいた。
そう……今この状況は、全部自分のせいだと、やっと気づいたのである。
ポーションを作れないのは、自分がサボっていたから。
生活がボロボロなのは、そのすべてをリーフに押しつけて自分が楽していたからだ。
困っている状況で、誰も手を差し伸べてくれないのは……自分が、誰にも手を差し伸べなかったから。
そう、とどのつまり……。
全部、自分が招いた、結果なのだ。
「う、うぐうぅう! リーフぅうう! リーフぅうううううううううううう!」
仰向けに倒れて、ドクオーナが泣き叫ぶ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさぁああああああああああい!」
……だが、彼女の言葉は届かない。
リーフはもう、彼女の元には戻らない。