10.愚かな貴族は、大口の取引先を失う
薬師のリーフは、王都での新たなる一歩を踏み出した。
一方そのころ、王都北端に存在する王国の領地、【ヴォツラーク領】にて。
ここは真北に【奈落の森】と呼ばれる、恐ろしい魔物がうろつく魔境が存在する。
そんな魔の森の管理を、ヴォツラーク領の領主、オロカン=フォン=ヴォツラークは任されていた。
さて、そんなオロカンはひとり、執務室でほくそえんでいた。
テーブルの上に載ってる、山ほどの金貨を前に。
「ぐふふ! やはり我が輩の睨んだとおりである! あの老人ども、かなり金持ってるのである!」
この金は、リーフの生まれ故郷デッドエンド村の老人どもから、薬を法外な値段で売り付け手に入れた金である。
本来の五倍の値段で売っているのだ。
本来ならそんな値段で買わないだろうが、競合相手がおらず、また街まで行けるだけの体力のない老人どもなら、必ずこんな高い値段にしても買ってくれるだろうと思ったのだ。
「ぐふふ! 狙いドンピシャである! やはり我が輩の商才は半端じゃないのであるな!」
金貨の山を見てうっとりとした表情を浮かべる。
老人をだまして金を得ているというのに、この顔だ。
「今後も金を絞れるだけ搾り取ってやる。ぐふふ……どーせ老い先短い老人どもだ。金なんていくらも必要ないだろう……なら我が輩が回収し、有効活用させてもらう……箪笥の中に金貨を腐らせるより、よっぽど有意義であるなぁ! ぐふ! ぐふふふふ!」
……とまあ、このように、オロカンは老人をだましても何の罪悪感も覚えていないのである。
「しかし運が向いてきたな! 我が輩が領主になってから、魔物の出現は極端に減ったし、あの村にいた若くてきれいな女もゲット。さらに薬屋の弟子とかいうガキも追い出せて、我が輩もう順風満帆すぎて怖いくらいである!」
ヴォツラーク家は別名、魔物番とよばれる。
彼らはもともと、辺境に暮らすだけの平民だったのだ。
しかし先々代、つまりオロカンの祖父が村人のために魔物と勇敢に戦った。
その功績が認められ、貴族の地位をもらい、この地を領地として王家からもらったのだ。
魔物の脅威から王国を守っているゆえの、貴族の地位。
……裏を返すと、魔物から領地を守れなくなったら、ヴォツラーク家は滅んでしまう。
だからこそ、祖父、そして父も、必死になって領民と国のために、魔物と戦い続けた。
しかしオロカンに代となって、急に【魔物がなぜか襲わなくなった】のである。
その理由は、【リーフの魔除け】によって、魔物が人里を襲わなくなったからなのだが……。
オロカンは愚かにも、自分がいるから、と手柄を自分のものにしたのである。
「やはりすべてが順調! 我が輩は、神に選ばれた天才なのである! ぐふふ! あーっはっはっは!」
……と、オロカンが調子に乗っていられたのも、ここまでだった。
「オロカン様」
「ん? なんであるか?」
部下の一人が部屋に入ってきた。
金貨を手に取って磨く彼に、部下が報告する。
「先日ご相談した、防衛強化案について、お返事いただきたいとアイン村の村長から伝言がありました」
「防衛強化ぁ? なんであるかそれは」
部下が目を丸くしたものの、報告する。
「せ、先日から何件か、アインの村で魔物による被害が出ているのです」
「アインの村……はて、どこだったのである?」
「……奈落の森から一番近い村です。なぜか、先日から魔物がうろつくようになったのです」
ふーん、とオロカンはそっけなく返事をする。
「繁殖期なのであろう? ちょっと増えてるだけだ。またすぐ落ち着くのである」
「しかし異常です……オロカン様の代になってから魔物出現数がゼロだったのに……」
「あーあー、もううるさいのである。今日はこれから、【大事な客】がくるのである。そんな村のことなんて、気にしてる暇はないのである」
そう、このあとオロカンは、大手の取引先と会談を行う予定だったのだ。
彼は立ち上がって姿見に全身を映しながら、身なりを整える。
「ちんけな村の被害報告なんて、金にならんのである。大事なのはこれから来る客なのである!」
と、そのときだった。
別の部下が部屋に入ってきて、オロカンに報告する。
「オロカン様。お客様が到着されました」
「おお! そうか! 今行くのである!」
オロカンはウキウキしながら部屋を出ていく。
村の被害報告を持ってきた部下が「オロカン様! 今手を打たないと後戻りができなくなりますよ!」と口をはさんできたが……。
「おまえ、クビ」
「なっ!? どうして!?」
「我が輩の仕事の邪魔をしたからである。クビである。さっさと荷物をまとめて消えろである」
「そんなぁ……」
あっさり部下を切って、オロカンはその場を後にする。
そして応接室へやってきた。
「おお、これはこれは【ジャスミン】殿! お久しぶりであるなぁ!」
応接室で待っていたのは、赤いスーツを着込んだ美女、ジャスミン・クゥ。
彼女は世界最大規模の商業ギルド、【銀鳳商会】のギルドマスターである。
ボリュームのある髪、そして胸。
若くしてギルマスへと上り詰めた手腕。
そしてなにより、世界に影響を及ぼす財力と権力。
ぜひとも、今後も仲良くしていきたい商売相手である……。
先々代から、なぜか続くこのギルドとのつながり、自分の代で途絶えさせるわけには絶対に行かない。
だから、何があっても、絶対にジャスミンを怒らせてはいけない。
……しかし、ジャスミンは不愉快そうに顔をしかめていた。
「ど、どうしたのであるか、ジャスミン殿」
「……単刀直入に用件だけを伝えよう」
じろりとオロカンをにらんだ後に、彼女が言う。
「我がギルドはヴォツラーク領との縁を切る」
……一瞬、何を言ってるのかまったくわからなかった。
あまりに、信じられない内容に聞き間違えだと、最初は思った。
「……話は以上だ。ワタシは忙しい。ではな」
こちらを一瞥もせず部屋を出て行こうとするジャスミンを見て、ようやくオロカンは窮地に陥っていることを悟る。
つまり先ほどの手を切るという話は、本当であると。そのそっけない態度から理解した。
「お、お、お待ちくださいジャスミン様ぁああああああああああ!」
オロカンはジャスミンの前に立ち、両手を広げて道を塞ぐ。
何が起きてるのかわからない。ただ、彼女に今捨てられそうになってるのは明らか。
そして……ヴォツラーク領にとって彼女とのつながりが失われることは、致命傷となる。
「どうして手を切るなんて突然! 我が輩何かしてしまったでしょうか!?」
「ああ。君は虎の尾を踏み、竜の逆鱗に触れてしまったのだよ」
「虎……竜……?」
いきなり抽象的すぎて話しについて行けなくなった。
ジャスミンは大きく息をついて説明する。
「ワタシが何故君の領地と取引していたか理由を知りたいかい?」
「それは……才能のある我が輩がこの領地にいるからであって、うまみのある話だからでは?」
「全く違う。……なんだその高すぎる自己評価は。君は才能などない。まったく、これっぽっちも」
「なっ!? なんですとぉ!?」
一瞬頭が沸騰しかけた。
だが怒りを口にする前に、ジャスミンが説明する。
「君がワタシの恩人を怒らせた。だから、ワタシは君との取引をやめることにした」
「恩人ですと!?」
「ああ。デッドエンド村の、アーサー氏だ」
「デッドエンド……村……?」
それは、奈落の森を挟んで向こう側にある、辺境の村だ。
今、オロカンの妻ドクオーナがちょうどそこに滞在して、老人どもに薬を高値で売っている。
「ワタシはあそこの村の村長、アーサー氏に救われた過去があるのだ」
「あの村に、恩人が?」
「ああ。ワタシがここへ来る理由は、別にヴォツラーク領に用があるからではない。アーサー氏、そして配偶者のマーリン氏に用事がある。ここは通過点に過ぎないのだ」
つまりジャスミンがここで商売しているのは、目的地に行く前の補給地点として、拠点を置きたかったから。
彼女の目当ての人物は、オロカンではなかったのだ。
「な、なぜあの村の人が、我が輩に対して怒ってるのでありますか!? 我が輩は、老人達が困らないよう、薬を売ってあげてるんですぞぉ!?」
相場の何倍もの値段とは、言わなかった。それを言ったらさらにジャスミンを怒らせるだろうことは明らかであるのだから。
……もっとも、それが老人達を怒らせてるとはみじんも思っていない。
「そうだ、あの村の体調管理は、我が婚約者ドクオーナが! あの治癒神アスクレピオスの孫娘が! 担っているのですぞ!」
ふぅ~……とジャスミンがため息をつく。
「その女には、婚約者がいたのだと聞いたが?」
「そ、それは……」
「リーフ・ケミスト君、だったかな。ドクオーナは元々あの子と結ばれる予定だったが……それを、君が奪った。そうだね?」
「あ……は、はい……そ、それが……?」
……オロカンの最大の失点は、彼が金と若い女にしか興味ないことだった。
あの村に存在する老人達に、少しでも興味を割いていれば……。
あるいは、ドクオーナの元婚約者にたいして、もっと関心を持っていれば……。
「あの村のご老人たちはね、リーフ・ケミスト君を、それはそれは、愛してるのだよ」
「なっ、なっ、なんですとぉおおおおおおおおおおおおおお!?」
初耳だった。
ジャスミンの発言が正しいのならば、まずい。まずい!
自分は、老人達が大事にしている男から、女を奪ったことになる。
大商人ジャスミンが、大事にしてる人の、大事な人を……。
自分が、傷つけたことになる。
……なんてことだ。
まさか、あのさえない平民が、そんな重要人物だったなんて……!
オロカンは非常に後悔した。
あのとき、村から追い出すんじゃなくて、せめて金を積んで置いておけばよかった!
自分の女となったドクオーナから、元婚約者を遠ざけたかったのだ!
気持ちが移るなんてことが、万が一にもないようにって!
それが失敗だった! くそぉ! ……とオロカンは頭を抱えて、大いに後悔する。
そんな様子を冷ややかに見下ろしながら、ジャスミンが告げる。
「ご老人たちはたいそう、お冠だ。ワタシはあの人達に恩義を感じている。あの人達が君を許さない以上、君とこれ以上の商取引は行えない」
ざっ、とジャスミンがきびすを返して出て行こうとする。
「ま、ま、待ってくだされぇええええええええええええ!」
なんとしても、彼女をつなぎ止めなければ!
オロカンはジャスミンの足にしがみついて、泣きながら頭を下げる。
「貴女の恩人たちを傷つけてしまったことは謝罪するのである! なので、どうか……!」
「……ワタシに頭を下げられても困る。怒ってるのはアーサー氏たちだ。彼らが許すというのなら考え直しても良い」
やった……!
わずかな勝機を、オロカンは見いだした。
ようするに、ドクオーナの元婚約者を連れてきて、謝れば良いのだ。
婚約も、形式だけ解消すればいい。裏で今まで通り付き合っていれば良いし、なんだったら妾としてドクオーナを置いておけば良い!
やった……! 見えたぞ、一縷の希望が……!
……だが。
「オロカンさまぁん~♡」
……最悪のタイミングで、最悪の人物が彼の元に帰ってきたのである。
そう……ドクオーナだ。
彼女は、ジャスミンを知らない。……そして。
「あの村のジジイババアたちから、金をぶんどってやりましたよ~♡」
……高らかに、そういった。自分の手柄を褒めて欲しい一心で、客がいることに気づいていなかったのだ。
「うふふ~♡ 馬鹿な爺婆どもに、いつも通り5倍の値段で薬を売りつけてやりました~♡」
……しまった。知られてしまった!
ゆっくりと、オロカンはジャスミンを見やる。
「……………………ほぅ」
その冷え切ったまなざしには、もう……オロカンを【敵】としか見ていないようだった。
「あ……ああ……ち、ちが……これは……ちがう……」
「……もういい。帰る。不愉快だ」
ばっ、と身を翻して、ジャスミンが去って行く。
「お、おまちくだされぇええええええええええええええええええ!」
だがジャスミンは懐から転移結晶……特定の場所へ転移する魔道具をつかって、一瞬で居なくなった。
「あ……ああ……そん……な……」
オロカンが老人達に対して行っていた悪行が、バレてしまった。
これでもう……二度と、取引はしてくれないだろう。
「どうしたのですかぁ、オロカンさまぁん?」
……この、馬鹿女は。
状況を、何も理解していなかった……。
「この……馬鹿がぁああああああああああああああああああああ!」
ばちんっ! とドクオーナの頬を強くひっぱたく。
「きゃあ! な、なにするのよっ!?」
「うるさいうるさい! 貴様のせいである! 貴様がいけないのだ!」
「はぁ!? 意味わからないんですけどぉ!?」
醜く言い争う二人に、さらに、追い打ちをかけるように……。
「で、伝令ですオロカン様!」
「なんだ!? 取り込み中だ! あとにしろ!」
部下が顔を真っ青にしながら、かれに言う。
「魔物大行進です! 魔物の大群が、ヴォツラーク領に襲いかかってきましたぁ!!!!!」
……愚かな男と、愚かな女の不幸は、続く。




