最後の自問自答と無責任な笑顔
微風香る幸せな外、彼女は少し離れた所で長い髪をなびかせている。辺りには花壇や芝生があって、心が安らぐ。
「ねぇ」
「なんだ?」
俺は無愛想に答えた。思えば、こいつとの関係はもう長い。年単位だ。春も夏も秋も冬も味わった。でも、未だに彼女の名前すら知らない。まぁ、俺も伝えてないのだが。でもそれで良いのかもしれない。それでも十分充実していたのだから。朝起きて、一緒にラジオ体操をして、朝ごはんを食べながら話し合って、趣味に没頭して、昼ごはんを食べて、勉強をして、夜ご飯を作って、お風呂に入って、自由時間を満喫して、寝る。何も不自由無かった。なんなら、幸せだった。これで十分と俺は思う。
「今日が最後の自問自答」
「はぁ?」
いつもみたいに急な質問が来ると思ったら、なんだこれ? ただの言葉じゃないか。推測の余地すらない。彼女は、何を伝えたいんだ?
「私は、あなたは誰?」
核心のような質問だった。まさか今日、ここに来て明らかになるのか⁈
「ど、どうしてそんなことを」
俺は動揺しつつ、答えた。
「あなた、今に止まってる」
「はぁ?」
「あなたは、このままじゃ変化しない」
「変化しないって、必要ないだろう」
「いいえ、これから、必要よ。私を誰だと、思ってる?」
「いや、そんなの」
「良いから答えて」
俺は頭を悩ませた。彼女が誰かだって? 今までろくに教えてくれなかったことだろう。何一つ知らない。本当にわからないことなんだ。と、とりあえず外見的特徴を答えるか。
「か、髪が長い」
「そうね」
「それで、天パだ」
「あなたと一緒ね」
「あと、平均女性よりも身長が高い」
「少しコンプレックスだわ。男のあなたと同じくらいなんて」
「あとは……」
「言って良いよ」
「む、胸がありません……」
「デリカシーのない男。でもまぁ、事実ね」
「そしてよく黒のカーディガンを纏って白い服を着ている」
「なんなら他の服を着たことがないわ」
「そのくらい……、かな……」
「そう……」
沈黙が生まれた。少し掘り下げてみる。本当に何もないだろうか。もっと彼女の特徴たる物を。好きな本とか、好きな食べ物とか。本の好き嫌いは無いって言ってたし、というか実際雑食だったし。好きな食べ物は無いけど、野菜はよく食べるってことかな……。
「ねぇ」
「な、なんだ?」
俺は少し動揺しながら答えた。彼女は何かを投げてきた。何なのかわからずに、俺はとりあえず受け取った。それは、銃だった。拳銃、回転式、黒光。
「な、なんだこれは!」
俺はたまらず手放した。何故に銃⁈ 危なすぎる!
「あなたは、これからそれで撃って、ここを出るのよ」
彼女はそう言った。あまりにも淡々としていた。それが怖かった。
「いや、撃てって。しかも、ここから出ろだって! その門を開けたら、俺はいつものスーツと白衣を着て、それで吹雪の中じゃ無いか!」
ここは不思議だ。ここにいる間は緑の楽園に包まれた黒と白の縞々囚人服なのに、門を開けた瞬間、家の玄関で吹雪に当たってスーツと白衣を着ている。本気でここの構造がわからない。
「今から全てがわかるわ。ここを出ざるを得なくなる」
そう言って、女性はカーディガンを脱ぎ始めた。何事かと思って、呆然としていたけど、白い服に手をかけた瞬間、俺は悟って目を逸らし手で彼女を隠した。
「な、何故服を脱ぐんだ!」
彼女は沈黙している。何も答えてくれない。
「脱がないでくれ、ここは外だぞ!」
彼女は何を考えているんだ! お、女の子が外で服を脱ぐなんて、は、ハレンチだ!
「良いわよ」
良いわよ、なんて言われても疑心暗鬼だ。俺は怖くて、目を閉じたままだった。が、足音が近づいてくるのがわかった。俺は必死に目を閉じたまま、彼女から遠ざかろうとした。女性の裸は見ちゃいけない。
「無理よ」
彼女に捕まった。そして彼女に顔を掴まれて、無理矢理目を開かされた。そこには、確かに裸の人がいた。
「えっ?」
いや、胸は無いと思っていた、貧乳というやつだと。でも、そのクオリティじゃない。そしてしかも、しかもだ……、股に、男性器が付いていた。俺は頭の中のピースが繋がっていく感覚があった。
「お前は、まさか……」
「そう、私はあなた」
豪風が吹く。
「嘘、だろ」
「嘘じゃないわ。だって、あなたに似てるでしょ? 私」
「違う違う違う違う」
だって、人は一人だ。一人一人みんな違って。
「思い出して、考えて、ここはどこ? 私は誰?」
「まさか……」
「ここは夢の中よ」
「君は」
「ドッペルゲンガーとも呼べるし、ユングのシャドーとも呼べるし、あなたが消し去って忘れた可能性とも呼べるわ」
「嘘だろう……」
「本当よ、だから名前を言えなかったのよ」
「じゃあ、俺があの扉を開けることは、夢から覚めるみたいなことなのか? そういうことなのか?」
「そうとも言える。でも、本当に夢から覚めるの?」
「何?」
「あなた、あの世界が現実だと思ってるの?」
「いや、いや、いや」
何を言っているんだ。俺はあの世界で少年時代も、何もかもを過ごしたぞ!
「曖昧でしょ?」
「えっ?」
「何よりあなた、本当にあんなことがあると思う? ありえない吹雪、ありえない嫌悪」
「違う! 違う、あれは、紛れもない現実で」
「ここも、あそこも、みんな嘘よ。夢なのよ」
「違う!」
「あなたはもう、強い」
「俺は一生誰かに守ってもらえないと生きていけない人間なんだ!」
「違う、あなたはもう、誰かを守れる強い人よ、思い出して、初めての日を。私とあなたの最初の自問自答を」
俺の頭は、嫌なほど、あの日を思いました。あの日の絶望感、憂鬱感、そして、驚き。
「あなたはあの時、あの瞬間自分の気持ちを真に言えた。誰かに大丈夫って、頑張ってって言いたいっていう自分の本心を!」
「だから! だからなんだ! なんなんだ!」
「あなたはもう、自分の本心を他人に伝える方法を知っている」
「言葉なんて全部嘘だ! 本心には程遠い!」
「いえ、言葉の表面は作り物でも、伝わる人には、あなたの本心が伝わる。言葉は、突き詰めれば本物になる!」
「全員にじゃない! だから言葉は嘘だ!」
「ならば本気で熱心に伝わるように言いなさい! あなたはいつも遠回しで、伝わりにくのよ!」
「無理だ……、無理なんだよ……」
俺はヘタレ込んだ。誰も俺の言葉がわからなかったじゃないか。みんな、わかりにくいだったり、テンポがないだったり、遠回しだったり、刺激的だったり、楽しくないだったり、なんだかんだ言って遠ざけているんだ。誰も俺のことはわからないんだ。
「無理じゃない。あなたは、強いのよ」
「弱いよ、弱すぎるんだ」
「あなた忘れたの。みんなに対して強い一人一人って言ったのよ」
「だからなんだ……」
「あなたは、普通なんでしょ」
「普通、って言っちゃってたな……」
「消させないわ。あなたも普通に強い一人一人よ」
「消させてよ……、消させてよ……」
「そろそろ、時間よ」
「どういう意味だ?」
「ドッペルゲンガー」
その言葉に流石にクエスチョンマークを覚えた。何を言っているのかさっぱりだった。ドッペルゲンガーがなんだって言うんだ。ドッペルゲンガーっての……、まさか!
「ドッペルゲンガーと出会えば、消滅する」
「嘘、だろう?」
「あなたは、私が渡したあの拳銃で私を撃つのよ」
「む、無理だ、誰も殺したくない!」
「私を、撃て!」
強い言葉が俺を押した。正直、死にたくないって感情が今あった。だから、その強い言葉に従っているフリをして、拳銃を取った。
「本当に、撃たなきゃ、殺さなきゃ、ダメなんだな」
「あなたが変わるためよ」
「撃った後どうすればいい」
「ここを捨てて、笑って、あなたのやりたいことをやりなさい」
「最後に一言」
「何?」
俺は涙を止めて、唾を呑んだ。
「何もかも終わっていた、だから、今ここから俺は変わり、そして始まる。明日、俺の風が全てをさらう」
「そう」
「さよなら。昔の俺」
「さよなら」
俺は撃った。反動でよろけ、倒れた。そして、あの人を、俺を見た。不思議だ。一発で、頭を撃ち抜いていた。それを見て、何故か笑いが込み上げてきた。
そのまま俺は歩いて、門に手を当てた。今日、ここを去る。
「もう、戻らない」
門を開けると、残酷な吹雪が吹いていた。そんな中で、俺は、無責任に笑った。