(5) 魔の森逆侵攻
(母、メルシア視点です。ミリタリー分を回収し過ぎたので、次回でバランスとります)
メルシアは領軍を引き連れ、キルシュバウム辺境伯爵領の西端、魔の森の入口の宿営地にいた。
ふと気配を感じて部屋を出ると、簡易の炊事場でアリシアが朝食の準備をしていた。まだ下弦の月が青白く輝いている。
「あ、お母様おはようございます。」
「おはようアリシア。早いわね。」
「緊張していたのか、自然に目が覚めてしまいました。」
そうね。ちょうど今、目覚ましのベルが鳴り始めたわ。
手早く身支度を整えて、改めて娘お手製の甘藷入り味噌汁をいただく。
いつからかしら。こんなにも娘の成長を感じるようになったのは…。
娘のアリシアはもう9歳。
「お母様みたいに強くてかっこよくなりたい」と駄々をこねていたアリシア。それが簡単な道でないことを分からせるため、模造刀を渡して、素振りや打ち込みをさせた。地味でつまらないと諦めると思ったのだけれど、ずっと続いたのは意外だった。
「自由に外を出歩きたい、子供じゃないんだから」と譲らないアリシア。領民は見守ってくれるでしょうけど、外からの間諜や、魔物、魔獣の侵入は多々ある。必ずしも領内が安全だとは限らない。
自分の身は自分で守れるようになるということが、どれだけ難しいかを分からせるため、難題の条件をを与えた。諦めると思ったのに、意地になってでも乗り越えてきたときには驚いた。
きっと私に似て、努力家で粘り強くて負けず嫌いなのね。
これまで私たちはアリシアを危険のない鳥かごの中で大切に育てるつもりでいた。けれど、それは間違いだったのかもしれない。アリシアは私たちが思うより、ずっと広い空を飛べる。
私たちはアリシアの“やりたい”に向き合うことにした。
そんなアリシアが次に言ってきたのは「私に魔物の扱い方、戦い方の稽古をつけてください。領の外を見て回るため以前に、私も領主の娘として魔の森の問題に対処する手助けをしたい。」と。
娘がどんどん成長していくのは嬉しいけれど、巣立ちが早いことはちょっと寂しいかしら。
夫のジュールはアリシアに魔物、魔獣の素材の扱い方を教え、土魔法や銃器を使った戦い方の稽古をつけた。
私は、魔物の習性、特徴を教え、外に出て奴らの住処を探索するやり方の稽古をつけてあげる予定だった。風魔法は攻撃というよりは補助的な役割のほうが強いし。
ただ、アリシアはそれだけでなく、不意に接近されたときのために剣での戦い方も学びたいという。まあ、できることを増やそうとすることはいいことなのだけれど。
アリシアと契約したドラゴンもアリシアを支えてくれるみたい。契約によって繋がったことで、アリシアはどんなに離れていてもドラゴンの助けを得られるようになった。一方のドラゴンはアリシアの前世の知識からくる新魔法を使えるようになった。
アリシアはドラゴンのおかげなんて謙遜しているけれど、そもそもドラゴンと契約できたのはアリシアが努力してきたから。そしてドラゴンが進んで支えてくれるようになったのは、アリシアが驕ることなく更に努力を続けたから。
その相乗効果というか、アリシアの努力はあっという間に実を結びそう。
アリシアは、領の歴史に…いえ、人類の歴史に名前を残すわ。魔の森の問題を解決した功労者として、そして人類で初めて魔の森を管理下に置いた英雄として。
領西部に位置するユフ市では魔の森の木や地下に眠る魔石、そして森に住む魔物や魔獣の素材で生計を立てている。私たち領民は、古来より魔の森の浅い部分にだけ入って恩恵を受けてきた。
もちろん、危険とは隣り合わせ。深部で魔物が増えるたび、中間層、そして浅い部分に住んでいた魔物がこちらへと押し出されてくるスタンピードが周期的に起こる。たがら定期的に間引くし、平時はある程度、魔物や魔獣との住み分けはできていた。
でも半年前のドラゴンの騒ぎの後、この領に接する部分の住み分けが崩れた。強い魔物たちが、こちら側に出没しはじめた。
ドラゴンが排除に協力してくれているけど、キリが無い。最近は中間層に巣穴を作っているみたいだけど、詳細は不明。西の領民たちは普段のように森に入ることができないどころか、いつ魔物が街に出て来るのか不安な日々を過ごしていた。
領民を守るのは私たちの責務。なによりアリシアがやりたいと積極的。
だからアリシアが提案してくれたとおり、魔の森の中間層まで攻め込むことにした。
別に全ての魔物を倒すわけではない。魔物や魔獣も、肉は食べられるし、爪や牙や皮は素材になる。体内からは魔石も取れる。立派な資源だから。
ただ、新しく居付いた強大な魔物は、巣ごと全て排除する。再び領民が安心して森と共存できるように。
ドラゴンが言うには、魔の森は漂う魔素が濃すぎて精密な魔力探知ができないらしい。だから、奴らの巣のおおまかな位置は予想できても、その規模や数は地上から地道に確認して潰していくしかない。
そのために、今回は、領の常備軍のほぼ全てを投入する。
安全保障法第一条、喫緊の危機への対処に基づき、キルシュバウム領軍は、今日、その歴史上初めて、軍事侵攻を行う。
「午前8時。時間です。長官。訓示をお願い致します。」
「うん。」
整列する3000名の兵士、戦車、野砲の前に立ち、風の魔法で声を拡大させる。
「『諸君。我々はこれから、人類で初めて魔の森の一端を人間の管理下に置いたことで歴史に刻まれるだろう。…だが、それは本来の目的ではない。名誉や金のためではない。力を見せびらかすためではない。』」
今一度確認したい。私たちが備えてきた力は、なんのためにあるのか。
「『これは領民の平穏を守るためだ。子供たちの笑顔を守るためだ!諸君らの肩に、15万人の同胞の日常がかかっていることを胸に刻め!』」
アリシアだけでない。皆に伝えたい。
「『諸君が研鑽を積み重ねたからこそ、備えてきたからこそ、今、私たちは戦える。日々の成果を発揮するときだ。努力は決して裏切らない。』」
傍らでアリシアが息を呑む。
「『各人が最善を尽くすことを期待し、訓示とする。』」
直立不動のまま、武者震いする兵士たち。…ここまでの大規模作戦は初めてだし、訓示とは別に鼓舞したほうがよさそうね?
「『スタンピードに受け身になるのは今日で最後。気合い入れていきなさい!』」
「「「おう!」」」
兵士たちが威勢のいい声を上げる。
「《さて、準備は良いか?》」
ワイバーンを引き連れて上空を周回するドラゴンが全員に念話で話しかけてきた。
アリシアがこちらを見てきたので、頷く。
「では、森の中に道を作ります。《フウガ、“凝縮太陽光線”》」
唯一、念話をドラゴンに送り返すことができる契約主のアリシアが伝えれば、魔の森の入口が強い光に照らされ始める。その光は円形からだんだんと点に収束し、眩さを増す。
アリシアがドラゴンと開発した新魔法。光の収束点の地面が高温で溶け始める。
「《光点移動開始。薙ぎ払え!》」
光の収束点が森の中心部へ向かって移動していく。光に当たった箇所は瞬時に溶解していく。経路上の邪魔な木どころか、岩までも。
光は次に扇を描くように移動し、森に大きな区画分けがいくつも現れる。
全部これで更地にすれば楽なんだけど、それは森を無意味に破壊するだけであって、なんだか本来の目的と違うのよね。
「“グランドウォール”!」
アリシアが唱えれば、“凝縮太陽光線”でボコボコになった地面、切り株や岩が盛り土に埋まる。ドラゴンと契約したことで使える膨大な魔素により、切り開かれた荒れ道が、一瞬で舗装道路に変わる。
「『進軍開始!』」
こちらから森の奥へ延びる3本の道。それぞれ4輌の戦車が先陣を切り、均された道を進軍する。
時速6km程度の低速だけど、履帯が回転する独特の勇ましい音が響く。
軽装の歩兵たちが列をなして続く。
それぞれが周囲を警戒しながら、歩調を合わせて前へと進む。
皆が無事で帰られる保証はない。それでも進むのは、守りたいものがあるから。
戦場へと赴く兵士たちが一瞬振り返り、こちらに敬礼してきた。皆、決意に満ちた表情をしている。
少し大げさに答礼して返す。
「戦場において、上に立つ人間は、その責任を噛みしめつつも、常に堂々としなさい。彼らも、私たちが命を預けられる、信頼できる指揮官であるかを見ている。」
「はい。」
傍らに立つアリシアに伝えれば、アリシアもまた、私のように大きく答礼を返す。
少し遅れて弾薬を積んだ装甲車が発進する。
自転車に乗った魔術士たちが後を追う。
少し先で遠雷のような音が響き、土煙が上がる。
「中央隊がギガントタイガーと交戦。これを撃破。」
ギガントタイガーは4mにもなる巨大な虎。普段はもっと奥にいるはずなんだけれど、やっぱり生態系が変わってしまっているのね。
「損害は?」
「ありません。引き続き、作戦どおりに前進を行うとのことです。」
「後続部隊に連絡。毛皮の切れ端でも、肉でもいい。回収できる素材は、なんでも回収しておきなさい。大切な資源よ。」
「了解。」
「左翼部隊がポイントα2にてキングトレントを確認。」
「あ、それは上空から対応します。信号弾を打って合図してください。《フウガ!》」
「《うむ。“凝縮太陽光線”で処分しよう。》」
「左翼部隊に、トレントから離れ、信号弾で位置を知らせるよう連絡。」
「了解しました。」
ここら辺のやりとりは、風魔法は使わない。こんな大部隊に常時“風通信”なんて展開していたら、あっと言う間に私の保有魔素が0になるわ。…ドラゴンと契約したアリシアならできそうだけども。
「ワイバーンが別の目標を発見!」
ドラゴンが連れてきたワイバーンたちが森の中に向けて“ファイヤーボール”を撃ちこんで敵の位置を教えてくる。
これもまた、アリシアの努力が回り回った賜物ね。
考えていると、森の中の何かが反撃とばかりに岩を飛ばした。ちょうど降下していたワイバーンに命中。バランスを崩したワイバーンがこちらに逃げてくる。
「落ちて来るぞ!開けろ!」
ワイバーンは砂埃を上げながら不時着。少し情けない顔で「グぅ」と鳴いた。大丈夫、仇を取ってやるわ。
「照準完了。」
「『野砲、撃て!』」
ずらりと並んだ12門の75mm砲が火を噴く。
先ほどワイバーンたちが教えてくれた座標へ向けて、勢いよく撃ち出される砲弾。38口径の長さの砲身にかかった反動は、後方に展開された2本の脚とばねが受け止めている。
砲弾は放物線を描きながら5kmの距離を20秒で進み着弾。衝撃信管が作動し炸裂した。12の爆炎が立ち上る。
砲兵たちの腕も良好。日々の訓練の成果ね。
そして、兵たちが扱いやすいように改良を重ねてきた工廠の皆の成果でもある。
硝煙のにおいが心地いい。
「《初弾遠着じゃ。照準、左へ5°、下げ2°》」
「次弾装填!」
尾栓が開けられ、薬莢を排出。
兵が砲弾を再装填し、ドラゴンからの指示に従って照準を修正。第2射、第3射を行う。
「《第3射、効力射。続けて撃て。》」
ちょうど第3射の数発が魔物の群れを囲んで炸裂したとのこと。さらに2射続ければ、魔物の群れは散り散りに逃げ出したらしい。
「《新たな目標。本体からの距離8000。11時方向。》」
新しい目標を見つけたらしい。野砲の照準を修正する。「ファンタジー要素どこいった」とぼやくアリシア。何を言っているのかしら。
「右前方から敵襲ーっ!」
唐突に、レッドコング3体が突っ込んできた。
後方を狙ってくるとか…。ウチは支援隊に最も優秀な兵を配置しているんだけれど、舐めてるのかしら。
「戦車、前に出ます。」
すかさず護衛の戦車4輌が壁を作る。
「停車して迎撃!」
落ち着いた号令がかけられ、戦車に備え付けた40mm砲が照準を合わせる。
砲の仕組みは回転式拳銃と同じ。円周上に複数ある薬室に弾丸が入っており、弾丸が発射されると薬室が回転して、次弾を発射できるようになる。
最大射程は6kmあるけれど、十分に引き付けて撃つ。
「撃ち方始め!」
号令がかかった。まずは1号車と2号車が6発ずつを発射。一直線に突っ込んできた先頭のレッドコングがミンチのように引き裂かれる。
流れ弾が当たり、足を引きずりながら逃げ出す2体目には3号車が止めを刺した。
残るは1体。続いて4号車が6発を発射するけど、最後のレッドコングは大きくジャンプを繰り返しながら近づいてきた。もう距離がない。
「『近接戦闘!』」
今度は私が“風通信”で、周囲に指示を出す。すかさず歩兵たちが抜刀、もしくはボウガンを構える。「『私が行く。鉛弾は効かない。』」
そう言って真っすぐに駆け出す。狙うは着地した瞬間だ。
風の魔法を使い、身体をグンっと加速させる。前方の空気を避けさせ、後方から推すような空気の流れを作れば、あっという間にレッドコングの懐に入り込める。
「グァォォン!」と威嚇しながら着地するレッドコング。
地面が大きく揺れるが、今度は身体を軽く浮かせるように魔法で調整し、軽減した。
腰に差していた2刀の剣を抜き、風の魔法による強化を加えながら、右剣で獅子の右前足を切り裂く。そのまま勢いを乗せて身体をひねり、今度は左剣で右後ろ足を切り裂く。
ヤクモというウチの工廠のベテランの主任が打った、赤いドラゴンの鱗の粉を塗して鍛えた刃は、獅子の分厚い皮膚をものともしない。
途中、ゴリゴリと骨にあたる感触がある。さすがに図太い骨までは貫けないようだけれど、レッドコングはもんどりうって倒れた。
改めて己を見直しつつ、周囲を確認する。
背後では歩兵の半数が自発的に全周警戒を行っており、半数は私の援護ができる体勢をとっている。全く優秀な兵だわ。
「『アリシア、こっち来なさい。』」
レッドコングには申し訳ないけれども、その命は無駄なく有効に活用させてもらうから。
私は手招きしてアリシアを呼んだ。
左側を上にして横たわるレッドコングの腹部を見ながら授業を始める。
「まずは、アリシア、その腰の拳銃で胸と腹を撃ってみなさい。」
そう言われたアリシアは、9mm回転式拳銃をレッドコングに向け2発撃つ。
レッドコングがうめき声をあげるが、止めには程遠い。鉛弾は分厚い皮膚で減衰したようだ。
「大型の魔獣は皮膚が分厚い場合が多い。拳銃なら十数発は撃ちこむ必要があるわね。この場合はできるだけ柔らかい腹部を狙う。」
「なるほど。」
「もっと至近距離ならば効果が出るかも知れないけど、接近戦においては拳銃よりも剣のほうが有効な場合もある。相手が何なのか、そして自分の技量に合った対応を決めればいい。」
そう言ってアリシアに改めて指示を出す。「アリシア、今度はそっちの剣で腹部を切ってみなさい。肋骨は避けるのと、あとは瀕死とはいえ、足の動きには気をつけなさい。」
アリシアの細剣にもドラゴンの鱗の粉が塗布されている。ただの鉛塊の拳銃弾より有効でしょう。
「はい。」
真剣な表情で答えたアリシアはレッドコングの様子をうかがうように後ろ足の傍らへ近づいていく。初めての大型魔獣に気が引けているのかもしれない。
「そこで止まって。そこから先は、一気に近づいて一撃離脱しなさい。始め!」
改めて指示する。
アリシアは意を決したように、風の魔法を使って瞬時に接近した。横倒しになっているレッドコングの腹を前足の付け根に至るまで大きく横に切り裂き、前足の手前で納刀して、後方転回しながら戻ってくる。
「グガァァゥ!!」
再び呻くレッドコング。足を振り回すが空振りに終わる。
「接近して横に薙ぎ払うまではいいでしょう。でも攻撃が浅い。勢いを殺して止まったり、納刀したり、隙が多すぎ。また、敵を視界に収めながら戻るのは良いことだけど、後方転回のように宙に浮くと無防備になるのでダメ。斜め横に転がるとかしてみて。想像出来たらもう一回。」
「はい!」
まあ、やりすぎな気もするけど、ここで経験したことはいずれ役にたつ。
心を鬼にして、やり直しを伝えた。
「では始め!」
次もアリシアは同じように風の魔法を使って加速し、接近を試みた。
この辺は普段の訓練でもやっているから慣れたものだ。
それを待っていたかのように、レッドコングの左後ろ足が蹴りを放った。
「っ!?」
寸でのところで左に身をよじったアリシアは、地面に身体をこすりながらも横に回りながら、攻撃範囲の外にでた。
「アリシア!」
ジュールが心配して声を上げるけど、アリシアはそっと立ち上がり、相手に向きなおった。
後ろ足が伸びきった瞬間を逃さず、剣を突き刺す。今度は深くはいった刀。どす黒い血と臓器などが一気に飛び出してくる。
アリシアは返り血をもろに浴びて一瞬ひるんだけれど、ゆっくりと後ずさりしながら戻ってきた。
「ええ、今のはよくできたわ。気を抜かずに敵を注視していたのもいいわね。」
「はい…。」
「アリシア、大丈夫?」
見ると、アリシアの顔は真っ青になっておいた。「初めてなんだから仕方がないわ。そこの茂みで吐きなさい。奥まで行っちゃだめよ。」
「うっぷっ」
顔をゆがめたアリシアは小走りに茂みに向かい、嘔吐した。
駆け寄り、背中をさすってやる。
「お母様…寒い。」
小さく丸まって小刻みに震える娘。私はアリシアを背中から優しく抱きしめた。少しでも私の温もりが伝わるように。
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魔の森への逆侵攻が始まってから1週間。魔の森の中層は広範囲にわたり陥没した。
キルシュバウム領軍とドラゴンたちは、地中に隠れていた巨大洞窟の存在を確認し、これを崩落させることに成功。中の魔物の巣は天盤によって押しつぶされた。
残った魔物たちは駆除されるか、森の反対方向へと逃げていった。広大な魔の森のたった10分の1の面積ではあるが、歴史上初めて、魔の森の一部が人間の管理下におかれることになった。
「ふむ。この肉、加熱しただけで旨味が増すとは…。醤油?素晴らしいな。」
「おいドラゴン、聞いている?」
陥没した空間の底に魔物の肉片が散乱している。それを貪るのは巨大なドラゴン。
傍らには、空色のセミロングの髪を持つ女。
女はそんな強大な存在を恐れもせずに話しかけた。
「《なんだ母上。我には“フウガ”という名前があるのだが?》」
「あら、やっぱり気に入っているのね。」
「《ふん。小娘の知識に興味があるだけだ。ほれ、“影収納”》」
この世で最強の存在と謳われるドラゴンを相手に、女は茶化しながら話を続ける。ドラゴンのほうも気にする様子は無い。闇系統魔法を行使し、貪っていた魔物の肉を亜空間にしまい込む。
「そんなこと言いつつ、アリシアの魔法開発に付き合って、アリシアのために貴重な魔石や素材まで集めて…。さらに、この一帯のワイバーンを手名付けたのでしょう?魔の森の魔物も間引きしてくれて助かるわ。」
そう言って女はドラゴンの鼻頭をなでた。
「《母上がそう言う態度を見せるときは、大抵碌でもないことを考えているときと聞いた。》」
「その母上っての、違和感満載なんだけれど?」
女は手を止め、笑って首をかしげる。
「《…アリシアに、そう呼べと言われた。》」
不貞腐れたようにドラゴンは体勢を変え、女に背を向ける。「《確かに、100年の年月を退屈に経た我に、日々の楽しみを教えてくれたアリシアには恩を感じている。少なくとも次の100年は仕えてやろうとは思う。》」
「まあ、いいでしょう。」
女は、なおも笑みを浮かべて背中をなでる。「これからもアリシアが“やりたい”ことをできるよう見守って頂戴。アリシアを悲しませるような輩がいるなら…わかっているわね。排除するのよ。」
ドラゴンのごつい背中を、まるで壊れ物を触るかのように優しくなぞっている。
ドラゴンは首だけを起こし、女のほうに向きなおる。
「『ふん。言われなくてもわかっている。当然だ。』」
そう言うドラゴンの目にはしっかりとした意志があった。
「「《アリシアは私(我)たちが守る!》」」
女は肘をドラゴンの背中に合わせ、互いの意志を再確認する。
覇気に溢れたこの空間。中ではどんな会話がされていたのか、知っている者は誰もいない。