(8.5) 公爵令嬢イリーナ・カエルラ
それは、今から8年前。アリシアが前世を思い出す3年前のこと…。
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「うっ。はっ…はっ…。…えっ?」
ここは?
ベッド?知らない部屋…。
…全て夢?かしら?
《いいえ。夢じゃないわ。》
「っ!?」
《覚えているはずよ。貴女、死んだの。最期はトラックにひかれて。》
あ…。
そう…確かに覚えています。
あの時、血まみれの朦朧とした状態で、頭の中で「やり直したい?」って声が聞こえて…。身体が熱くなって…。
《ええ。貴女が「こんな死を迎えるなんて嫌。やり直したい!」って強く願ったから、闇魔法で巻き戻ったの。
貴女はあの世界で一度も魔法を使わなかったから、流れ出た血液には濃縮した魔素が含まれていた。十分な量だったわ。
そうして戻りに戻ったのよ。貴女の前世、5歳の“私”までね。》
あなたは?
《“私”はイリーナ・カエルラ。貴女の前世よ。
“私”は16歳で断罪されて死んだの。そうして未来の別の世界に生まれ変わって貴女になった。
罪を重ねた“私”の記憶を引き継いでほしくなかったから、貴女には何も知らずに生きて貰ったわ…。ただ、ずっと見ていたけれども、あまり良い人生じゃなかったわね。》
…そう…ですね。
私は葵という名前で日本に生きていました。
両親は遅くまで仕事で家を空けることが多く、孤独でした。
成人して結婚して、子供も産んだけれど、夫の暴力に悩んで離婚…。子供は引き取られてしまったわ。
恋愛小説やゲームに逃げる日々…。
いくつか読んだ小説の中には、何故か懐かしく感じる世界のように思うものがありました。それが“叶えたい願いと叶わぬ運命”という古い小説。
魔の森からのスタンピードを、勇者たちが必死に止めて、ドラゴンを倒す、よくある物語なのですが…。
気になっていると、その世界のスピンオフ作品の乙女ゲームが出るというのです。タイトルは“セプテム・アルカナ”。
勇者たちがスタンピードを押さえた100年後の世界が舞台。
主なキャラクターは、主人公の女の子、攻略対象の第一王子、第二王子、宰相の息子、財務大臣の息子、騎士団長の息子、高名な魔術士。そして主人公を助けてくれるサポートキャラ。それから、主人公のライバルとなる悪役…。
私は徹夜するくらいにのめり込みました。その悪役の一人が、なんだか、他人事じゃないような感じがしていて…。
ですが、私は通勤途中で事故に遭い33歳で命を落としました。
…そう言えば、イリーナ・カエルラって…。
《そう。“私”よ。あのゲーム、本当によくできていたわね。
少し誇張されてはいるけれど、“私”のときに起こったことが基になっていると考えてよさそうね。“私”以外にも、貴女の世界に転生した人間が居たのね。》
つまり、“私”はゲームにあったような悪役令嬢だったわけでしょうか?
《…“私”も尖っていた部分はあったわ。反省している。
本当に…救いようのない傲慢な女だったわね。愛が欲しくて空回りして…それが原因でどんどん避けられて。
最後は“私”のせいで、“私”にとって本当に大切だった人たちを失うの。その人たちが大切だったってことは失ってから気が付いたわ…。
…そうね。“私”のことも説明するわ。記憶の共有も兼ねてね。》
…。
《7歳までは、公爵令嬢として不自由なく暮らせていたわ。
厳格な父、社交界の華といわれる母。そして優秀な兄。執事や侍女たちとも、それなりの良い関係を保っていた。
そんな中でも、一番心を許せていたのは付き人のベルとベックの姉弟ね。
…最後まで私についてきてくれたわ。
ああ、それから、意外かもしれないけれど、毎週茶葉を持ってくる喫茶のおばちゃんや、花屋のおじちゃんとも仲良しだったのよ。
この人たちも、断罪される前の“私”にも、以前と変わらずに接してくれる人だったわ。
そんな、私のことを見守ってくれる人たちと成長していくはずだったの。
でも、“私”が8歳のときに、領で冷害を発端とした飢饉が起きるわ。
その2年後、流行り病が発生して…母の死に繋がるの。それで父は無気力状態になって…家庭崩壊につながった。愛に飢えた私は間違った方向へと進んでいく。
12歳の時に“私”は王家のパーティで第二王子のバーク殿下に一目惚れしたわ。父は、私のことを煩わしいと思っていたのでしょうね。これ幸いに婚約が打診されて…王家に受理されたわ。
私はバーク殿下に少しでも長く会いたくて、住まいを王宮に用意してもらったの。…そう言えば、このとき付けられたマナーの講師が“私”の教育に良くなかったわね。
きっと、あの講師はどこかの貴族の差し金だったわ。“私”は、少しずつ貴族派の選民思想に染まっていったの。
ただ、貴女の世界からしたら、悪い令嬢かもしれないけれど、この国の貴族の基準からしたら、かわいいものよ。
貴族は優秀な血筋、汚らわしい平民は貴族に平伏して当然みたいな考えが一般的だから。
そして“私”の考えは、セントレア学園の入学生を集めたお茶会での事件で一層過激になっていく。
確か、貴女の世界のゲームでは、お茶会からスタートしていたわね。
賊が侵入して、貴族子女を人質にとるの。賊の正体は貴族に反感を持つ平民の青年たちだったわ。
そこで首にナイフを突きつけられて、“私”は失禁した。トラウマになったわね。たまに夢に出てきたし、似たような青年に会うと、フラッシュバックしてくるの。
以降、自分の立場を誇示するかのように、横暴になったわ。…不安の裏返しね。入学後は同じ貴族だろうと、武術課程の無骨な人たちをも下げずむようになったわ。
ちょうど同時期に自分の立場、バーク殿下の婚約者という地位が崩れはじめたの。
お茶会でバーク殿下は平民上がりの侍女、ローズに見惚れて…。
彼女は男爵家の養子になってセントレア学園に入学してきた。
バーク殿下の心はローズに移ってしまったわ。
このローズは曲者でね。第二王子のバーク殿下だけじゃなく、他の婚約者がいる男たちも誑かしたの。
例えば、騎士団長の息子ソルティオーク、それから宰相の息子ムック。魔術のスニーフ先生なんかもローズのそばにいつもいたわね。
苦言を呈したけれども、ローズは聞きもしない。“私”を筆頭に取り巻きたちもローズを仲間外れにし、社交界で孤立するように仕向けたわ。
…ただ、ローズは光魔法が使えることが判明して…形成逆転。
バーク殿下はローズのことを聖女と称したわ。そして、聖女に危害を加えたとして、“私”は断罪された。
教科書を破いただの、階段から突き落としただの、“私”の知らない内容もあったわ。戸惑う“私”をよそに、“私”の取り巻きだったグレゴリー侯爵令嬢たちは、自らがした悪事を“私”の指示でやらされたと罪を押し付けて手のひらを返したわ。
本当ならば、そんな茶番は許されないはずなのだけれども…。“私”の父は廃人になっていたし、“私”の兄はローズの側についていたわ。
…多分、家庭崩壊に加えて我儘な妹に嫌気がさしていたのでしょうね。
“私”は謹慎を命じられた。
悲嘆に暮れる“私”に接触してきた男がいたわ。
人間には聞こえない音を奏でるアーティファクトの笛を渡して…言うの。「この笛を、属性を乗せた魔素を込めて吹けば、周囲の、その属性に適応のある魔物を操れる。王都の周囲で呼び寄せて、それを沈めることで、英雄になれば、きっと皆が見直してくれる。」と。
不審にも思わず、その話に飛び乗ったわ。
“私”が延々と闇属性を乗せて笛を吹いたことで、王国北のダンジョン…魔の森で闇落ちしていたエンシェントドラゴンを叩き起こしてしまった。
さらにこのとき、魔の森は魔物で溢れかえる寸前だったみたいで…魔の森からの大規模スタンピードにつながったわ。
王都に迫りくる魔物たち…。“私”は笛を吹いて沈めようとしたけれども、言う事を聞かない。それどころか、ブラッディバッドのような闇属性の魔物は発狂したように襲ってきたの。
…だって、渡されたのは、魔物を操れる笛では無くて、本当は、込めた属性の魔物を不快な音で叩き起こすアーティファクトの笛だったのだから。
そんな事実を知らずに笛を吹き続けていた“私”は、衛兵に見つかり、捕らえられたわ。
王都は、古のゴーレムを起動させたバーク殿下とローズたちによって、かろうじて守られたのだけれど、私の故郷は、溢れ返った魔物たちに蹂躙され、焦土と化した。
幼いころ通った綺麗な湖は涸れ、お忍びで行った街も、唯一の家族としての思い出が残っていた公爵家の公邸も無残に消え去っていたわ。
相談に乗ってくれた喫茶店のおばさんも、花屋のおじさんも…、私のことを心配してくれていた公邸の執事や侍女たちも、最後まで私についてくれていた付き人のベルやベックも…、皆死んだの。
失ってはじめて、本当に“私”にとって大切なのは何だったのかを気づかされたわ…。
ものすごく後悔したけれども、もう手遅れ…。
父は…一連の責任問題で処刑された。最期に我にかえったかのように「娘だけは…」と残して…。
そんな凄惨な、気が狂いそうな状態で、“私”は地下牢に繋がれ、そして延々と魔素を搾り取られ…。
魔素を搾り尽くされて老婆のようになった“私”は、最期は見せしめとして断頭台で公開処刑されたわ。》
…それは、余りにも…ひ、酷い。
《そうね。そうして死んだ“私”は、未来で、別の世界で生まれ変わって貴女になったの…。
って大丈夫? “私”の記憶を共有したのはマズかったかしら…。》
いいえ。…だからこそ、わかるの。私は、あなただって…。
…今回こそは、間違いは犯さないし、あんな破滅的な結果にはさせない。
《きっと大丈夫よ。“私”の1度目の記憶、貴女の未来の知識、それに貴女がやったゲームの情報もある。》
まずは、3年後の飢饉を防ぎましょう。
《ええ。貴女の世界の知識のおかげでいいことがわかったわ。パターテよ。》
パターテ?
《ジャガイモって言えばいいかしら。観賞か毒を取るしかないと思っていたパターテが食べられるなんて…。》
これで飢饉を乗り越えれば、流行り病も抑えられて…。
《母は死なず、父も廃人にならず、上手くいくかもしれないわ。そうなれば…出来れば今回は、もう少し家族としての幸せを享受したいわね。1度目の時は公爵家を裏切ってローズ側についた兄とも仲良くなれるかしら…。》
そうなればいいわね。
《あと、1度目のときに最後まで“私”のことを慕ってくれた付き人のベルやベックとは仲良くしてあげて。》
それはもちろん。
《第二王子のバーク殿下は…やめときなさい。》
ええ。1度目の“私”も悪かったとは言え、婚約者を放置して他の女に熱を上げるようなクズ、お断りよ。
《安心したわ。でも、油断しないで。あの時の“私”は何かの陰謀に利用されていたと思うの。それに、そもそも魔の森からのスタンピードの脅威は残っているわ。そして、それらを乗り越えても、そこで「めでたしめでたし」じゃないからね。期待しているわよ。》
あなたはどうするの?
《貴女に任せるわ。“私”は罪を重ねてしまったから…でも、こうやって貴女の心の底で貴女を見守っているわ。貴女の中で、貴女と一緒に戦う。困ったら目を閉じて呼びかけてみなさい。それから、“私”は貴女なのだから、敬語は無しよ。》
ええ。わかった。
このままでは、あの、おぞましい記憶を再び現実のものとして体験することになってしまう…。
でも、向き合うことを止めてしまえば、破滅的な結末を迎えてしまうのでしょう。
時間がない。できる限りの対策を打って、なんとか回避して、…今度こそ少しでも幸せな終わり方を…。




