控え犬
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーむ、最近は犬とかを連れての散歩も、あまり見かけなくなった気がしないか?
やはりコロナの影響もでかいのか……少し前だったら、リードをもって散歩する姿があっちゃこっちゃで見られたんだが……単にこのあたりだけ、偏ってんのか?
昔から人は、多くの動物をてなづけようとしてきた。現実にも、フィクションの中でも、「いやいや、こいつとはどう考えたって相いれないだろ」って生き物と、仲がいい奴って存在するもんなあ。
俺が思うに、未知の恐怖って奴から逃げたがっているように思えるな。
相手のことを知らないから、俺たちはしばしば地雷を踏み、不覚をとる。だから相手のことを知ることで、自分が受けるだろう将来のダメージをなくしたり、少なくしたりする。
それを動物相手にしようと思ったら、手元に置いておく。つまりは飼うことに関心が向くのが自然だろうな。
そうやった姿を、店で見ることも珍しくなくなったせいか、俺たちはちょっとした拍子に警戒を緩めちまうことがある。俺たちのまだ知らないことを、奴らは帯びているかもしれないのに。
俺が小さいころに体験したことなんだが、聞いてみないか?
当時はまだ、野良犬をそこかしこで見かけたもんでさ。幸い、俺は犬には抵抗がない人間だったが、友達の中には顔も見たくないくらい、犬嫌いになっちまった奴も多かった。つながれていない分、しつこく追い回されたらしくってな。
うちの地元は、道を少しでも外れると、すぐに田畑が広がるようなのどかなところだ。その真ん中を犬猫が横断していく姿は、暮らしの一部のような印象も強かった。
俺は犬が嫌いじゃないが、好きこのんで近づいていく趣味もない。遠目に見える犬くらい、一瞥したら後はスルーが日常茶飯事。だが、その日は妙な手合いに出くわしたんだ。
あれは、俺がときどき髪を切ってもらっている、床屋さんの裏手。そこに広がる畑の横を通りかかったときのこと。
ブルドックが一匹。床屋さんの家と畑を分ける生垣の足元に、ちょんと座り込んでいる。尻を地面につけ、生垣に背を預けるような形で、鼻のあたりにしわの寄った特徴的なツラを、真正面に向けている。しっぽひとつ動かさず、そのままでいるという、不自然な姿勢だ。
あいつの視線を追ってみるが、そこには俺にとって見慣れた景色が広がるばかり。鳥の一羽だって、お空を通り過ぎる気配もない。
変な奴だなと思いつつ、その場を去ろうとして、もう一匹。今度は生垣の奥から姿を現したブルドックがいた。
これがまたよ。糸でも引いてんのかってくらい、正確な動きで最初の一匹の脇へ並んだ。数十センチくらいの間を置いてな。一匹目と同じ格好をしたかと思うと、じっとまた同じ方向を見続け始めたんだよ。
少し気味悪くなってきた俺は、さっさとその場を離れたんだが、数日もすると学校でわずかに、あの犬たちのことが噂になっていた。
どうやらあの犬たち。時間帯はまちまちだが、あのポジション、あの姿勢でとどまり続ける姿を、何度も見られていたらしい。
――あいつらには、犬にしか見えない、何かが見えているんじゃないか。
そう言いだしたのは、クラスでも七不思議とかが好きな男子のひとりでな。あいにく、今日は習い事があるが、明日にでもその現場を見てみようと、張り切っていたんだ。
連れも募集していたが、先着一名。それ以上だと、犬たちが人数に反応して、逃げ出す恐れがあるとか、そいつはのたまっていたっけな。だが、それにつきあってくれる奴は、誰も立候補してくれず。
やむなく、俺がそいつについていくことにし、今日も帰り際に、あの犬たちがいるのを確認。一時間ほど動きがないのを見届けてから、翌日に備えることにしたんだ。
そして放課後。俺たちが床屋の裏へ向かうと、やはりあのブルドック二匹はそこにいた。
一応、毛の色などは確かめている。見た限り、同じ二匹であるとは思う。
その男子はというと、最初は俺の背中越しにおそるおそる顔を出していたが、奴らが泰然としているのを見ると、そっと動き出す。
畑の中へ入り込んだかと思うと、まず二匹の顔の前で手をひらひら。反応がないと分かると、今度は自分が体ごと立ちふさがって、彼らの視界をさえぎったんだ。
はために「思い切ったことをする」と思ったね。
仮にも犬が相手だぞ、犬。どんなきっかけで機嫌を損ねるか分からないし、いきなり噛みついてくる可能性もゼロじゃない。狂犬病の脅威はすでに知っていただけに、はらはらしたな。
俺は犬たちの事情に、さほど興味がなかった。いまも二匹の目の前で、ランドセルをぶんぶん振り回し、反応をうかがうあいつの気が済んだら、とっとと引き返す心づもりだった。
ところがだ。あいつがランドセルを二匹の鼻先で振り回し続けていると、ようやく犬たちに動きがあったんだ。
とはいっても、姿勢はほとんど変えずに、ゆっくりゆっくり口を開けただけだったが。
挑発を続けていたあいつも、ぴたりと手を止めたが、それも長くは続かない。
このとき、あいつと生垣の間は数メートルあった。それをあいつは一気に飛んで詰めたんだ。いや、厳密にはあいつから飛んだんじゃないな。
ランドセルだ。あいつの握ったランドセルが何か強い力で引っ張られ、あいつの身体が、それにつられた形だったんだよ。助走をつけていない足が地面を離れ、それでいて勢いが弱まらず、ランドセルとあいつの身体はまっすぐ生垣へ突っ込んでいく。
直前で、あいつはランドセルから手を離せたらしい。
がさりと生垣が大きく揺れたときには、あいつは犬たちのすき間で尻もちをついていた。片足をかろうじて生垣に突っ込む形で。
ブルドックたちは口を閉じたかと思うと、いつぞや俺が見た生垣の奥を曲がって去っていく。手前側の奴は、ご丁寧に尻もちついたあいつを飛び越えてだ。
俺が助け起こすまでもなく、そいつはしりついたまま後ずさったんだが、生垣に突っ込んだ右足の靴がなくなっている。脱げたのかと思って生垣を回り込んだんだが、どうにもおかしい。
床屋の裏手は車がおけるスペースがあって、生垣を突き抜けたにせよ、そこのどこかに靴やランドセルがあるはずなんだ。それが、全然見つからない。
結局、あいつは片足けんけんのまんま家へ帰り、ランドセルごと教科書類もなくしたことで、親にこってりしぼられたそうな。
俺はあの犬たち。何かを見ていたんじゃなく、管理していたんじゃないかと思っている。
犬たちが控えていた、あの空間。それがあいつらの口が開いたときだけ、この世界じゃないどこかに、つながっていたんじゃないかと思うんだよ。




