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第87話 母さんとばーさんとお袋

「イザーク、あんた、本当にイザークなんだね?」

「ああ、俺がイザークだよ。ほら、父さんの面影あるだろ?」

「ああ、イザーク……また会えるなんて……これでアタシが思い残す事は無いわ」


 そう言うと老婆はキザシを抱きしめる。

 一度は再会を諦めた息子ではあるが、こうやって再会出来て、またこの腕で抱きしめられる。それだけで、感慨深い物があるのだ……


「それにしてもあんた、もうそろそろ60歳くらいよね? 若くてびっくりしたわ」

「これはね、司祭様がくれた力なんだよ。だから、母さんも若返る事が出来るよ」


 キザシは老婆にそう微笑みかける、だが、その瞳の奥に澱んだものを見た気がした老婆は訝しげな表情を浮かべる。その表情に気が付いているのかいないのか、キザシがさらに続ける。


「母さんも若返ろう……大丈夫、40歳くらいに戻ってもらうから……そして、2人で幸せに暮らそう……また年をとっても、若返ればいいから……そうやって永遠に、俺と一緒に……」


 キザシは終始笑顔だ、だが……老婆は、キザシが一言一言を紡ぐたびに、何か得体のしれない闇のようなものを纏っていくような感覚に襲われ、思わずキザシを突き飛ばしてしまう。


 まさか突き飛ばされるとは思わず、老婆に押されるがままに倒れるキザシ、だが、笑顔を崩さずに立ち上がる。


「ひどいな、母さん……せっかくの再会なのに……」

「ご、ごめんなさい、イザーク。でも……」


 老婆はこれまでの人生を振り返る。そこに居たのは……引き取って育てた、たくさんの孤児、そして、イザークを失って心にぽっかり穴が空いた自分を慰めるため、気まぐれで拾ったイザークという名前を与えた男の子。


 親を亡くした事が悲しくないわけではなかっただろう。だが、親の尊厳、それを守りたい一心でその子は大人にも喧嘩を売り、親のために一生懸命生きた男の子。


 若返るのが魅力的ではない、とは言わない。だが、自分が産み育てたイザークも、安易に若返りをちらつかせたりするような男ではなかったはず……となると、息子に……この男に付いていく事は出来ない。


「イザーク、アタシはね、若返ってまでもう何かをしようとは思わないの。だから、その提案は断るわ」

「そっか……」


 キザシはどこか悲しそうな、一方でどこか嬉しそうな、そんな顔をしていた……だが、その顔が瞬時に歪む。


「でもよかった、息子として、親の死に目には間に合ったよ……」

「何……を……」


 様子のおかしいキザシを老婆が見ていると、急に老婆の視界からキザシが消え、次の瞬間、耳元で


「さようなら、母さん」


 と囁きが聞こえたと同時に、腹部が熱く感じ、目線を向けると……


 腹部から、手が生えていた……いや、キザシの手が、腹部を貫通したのだ。


(ああそうか、息子は、イザークは、アタシを許してはくれなかったんだね……)


 体から力が抜け、倒れ込む老婆、その老婆の耳に届く声、それは……


「ばーさん!!」


 一番長い時を一緒に過ごした、もう一人の息子の声だった。


***


「ばーさん……貴様ぁぁぁぁ!!」


 アリオンに後押しされ老婆を迎えに来たイザークの目に映ったのは、男が老婆の背中からお腹にかけて手を貫通させ、老婆が血を吐いて倒れる瞬間であった。


 その瞬間を目撃したイザークは手に持った棒で男に殴り掛かる、だが……


「俺のお別れの挨拶は終わった、お前が最後の挨拶を交わすまで待ってやるよ」


 次の瞬間、男は店の外に立っていた。


「まあ、せいぜい最期の時を楽しみな。すぐにあの世で再会する殊になるとは思うがな」


 はっはっは、と男は笑い、その後イザークに対し


「俺はそこの広場で待ってる……逃げるなよ?」


 そう告げると、男はイザークの視界から消えた……いや、消えるかのように高速で移動したのだろう。だが今はそんな事よりも……


「ばーさん、しっかりしろ!! くそっ!! 止血が出来ない!!」


 イザークは老婆の血にまみれながらも懸命に止血をしようとするが、血が止まる気配はない……


「イザーク……」


 そんな状態でも、老婆はイザークに何か伝えようとしていた。


「あんたに……謝らないといけない事が……」

「いいから喋るな、すぐに助けてやるから」


 イザークはそう老婆に伝えるが、老婆は構わず続ける。


「アンタの名前……実はね……」

「ああ、知ってる。手放してしまった息子さんの名前なんだろ? だから何だ?」


 イザークが子供の頃、街で言われた事がある。

「お前の名前もイザークなのか」と。


 そして、その言葉の意味を聞いていたのだ。生き別れになった息子がおり、その息子の名前がイザークだったと。

 その真相を知った時は確かに、納得がいかなかったが、今はイザークと呼ばれないとピンとこない、それくらいこの名前に慣れ親しんだのだ。


「知ってたのかい……そうさ、アタシは……自分の子供が……居なくなった寂しさを……アンタで埋めてたのさ」

「違うだろ? うっかり名前を呼び間違えて、俺が悲しい思いをしないように、だろ?」


 町の人から聞いた。街中を一人で歩いてる時も、時々イザークに話しかけようとして、そこに誰も居ない事を悟り、その場で落ち込んでる姿をよく見たそうだ。

 このひねくればーさんは、絶対に認めようとはしないだろうが……そうやって、俺と家族になれるようにしたのだろう、


「あんたが……親からもらった……名前、捨てさせてしまって……済まないね」

「今さらそんな事言うなよ。俺とばーさんの仲だろ? 俺は、イザークと名乗ってる限り、あんたの息子だよ……」


 努めて冷静に居ようとしているイザークであったが、視界がぼやける。年を取って涙もろくなったのかもしれない、とさえ思う。


「イザーク……最後の最後……まであんたに……迷惑かけ……て済ま……ない……ね」

「ああ、あんたの実の息子は俺が止める。だから……安心して眠ってくれ、お袋」


 その言葉が老婆に届いたかどうかは分からないが、最期の瞬間の老婆の表情は


ーー笑顔だった。

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