第85話 キザシの過去
50年ほど前、幼少期のキザシ――イザークは母親と2人で暮らしていた。
父を幼い頃に亡くしており、幼少期より母の切り盛りするお店を手伝いながらこの街で暮らしていた。その頃のイザークは親孝行な息子として、ご近所では評判だったのだ。
そして、裕福ではなかったものの、自分を一生懸命育ててくれる親の為、イザークも成り上がろうと必死だった。
その時から、この街は王都との行き来が盛んで、いろんな旅人が行き交う交通の要所であった。本が高価であった当時からすると、行き交う旅人から仕入れられる情報は眉唾なものも多かったが、それでも情報の取捨選択を出来れば有益なものであった。
そんな中、イザークは耳にする。魔力が強ければ良い職に就けて成り上がれる、と。
イザークはその言葉を信じ、魔力の鍛錬を始めた。とはいえ母はイザークが無駄に苦労する事を良しとはしないであろう。特に、自分のためとあっては止めるだろう。だから、イザークは親に隠れ、旅人から聞きかじった内容だけで魔力の鍛錬を行った。
――それが、イザークの体と心を蝕むとも知らずに……いや、気が付いていてもそれを無視していたのかもしれない。
魔力を上げ、ただそれを放出する方法を何も知らないイザーク、いつしかイザークの中にある魔力は許容値を超え、体に不調を感じるようになった……同時に、イザークの中に居た幼獣も膨大な魔力とそのイザークの焦りを感じ取り、幼少のイザークの中で遥かに強大な魔獣として成長していった……
***
「う……うぅぅ……」
「息子は、イザークは助かるんですね!?」
イザークは母親に連れられ薬師に見てもらったものの、時は既に遅く薬師の力ではどうしようもない。母親はそう告げられ絶望に打ちひしがれていたところ、薬師からとある話を聞かされ、藁をもすがる気持ちで星導教会を訪れていた。
薬師曰く「星導教会が、この手の症状を悪魔憑きと呼び、子供を受け入れている。その後、親とは会えなくなるが、大人になった子供らしき人物を見かけたとの声が多数ある事から、命だけは助けているのだろう」と。
「おやおやこの子は……ご安心ください、我が星導教会が責任を持って、この子を治療して差し上げましょう」
「あぁ……よかった!!」
「しかし、身柄は我が教会の本部に移送され、そこで信徒として一生を過ごすことになります。再会できる保証もありません、それでもよろしいですかな?」
「かまいません、この子が、イザークが生きてさえいれば」
教会の司祭はその言葉に内心ニヤリと邪悪な笑顔を浮かべる。
本来は治療機関で無い教会に病気の子供を持ち込む場合、それは
――既存の治療機関である薬師ですらお手上げで
――それでも子供の無事だけを考え
――藁をも縋る気持ちでやってくる
と、諦めかけた心に付け入るため、多少無理のある要求でも難なく通ってしまう事が多いのだ。
特に、未来がまだある子供をむざむざ死に追いやるよりは、離れていても生きていて欲しいと言うのが親心と言うものである。
「では、神の御心に従い、この哀れな子供を救いましょう。それではお母さん、お子さんに最後の別れを」
そして、考える暇を与えずに別れの決意をさせる、これがトドメとなるのだ。
「イザーク、貴方を助けられなかったお母さんを許してね……ごめん、ごめんなさい……」
イザークは苦しみから声を出せない、だが、その時のイザークはこう思っていた。
(お母さん、何で泣いてるの……? そうか、僕がまだ弱いから……見てて、お母さん。僕、お母さんを守れるくらい強くなるから!! だから、泣かないで!!)
そう言いたかったが、声が出せない。もどかしい気持ちで居ると、イザークの頬を母が撫で、イザークはそのまま意識を手放した。
だが、その時の最後の一言が脳裏に焼き付いて離れない。
「さようなら、イザーク……元気で居るのよ……?」
***
次にイザークが目覚めた時、それまで感じていた痛みや苦しみは嘘のように引いていた……だがその苦しみ以上に辛い生活が、今度はイザークを苦しめる事となった。
「おい、58番!! さっさと仕事を終わらせろ!!」
「は、はい、すみません!!」
体のいい奴隷のように使われ、従わなければ洗脳教育。
もちろん、この中でも反発を覚え徹底抗戦を考える輩も居たが、その為に力を付けようとしていた奴は悉くがバレ、そのまま地下の最深部に幽閉された。
その幽閉は1か月くらいで解除されるものの、戻ってきた奴は大体、自分で物事を考えられないほどの頭になっており、最低限の受け答えしか出来ず、まさに飯を食って仕事してクソして寝るだけの道具、と言った方が正しいだろう。
そんな光景を見せられ、次第に皆から逆らうと言った心が失われ、親元に帰ると言っていたあの子も、自由に旅をしたいと言っていたその子も、自然と考える事も抗う事も諦めていた……1人を除いて。
教会に治療を任せるのは悪魔憑き、そして、この悪魔憑きは魔力の鍛錬と魔法の放出のバランスが崩れたら起こるのだ。教会で治療を行うのは10歳前後の子が多いその中で、イザークだけは5歳前後で発症していた。
だからこそ、まだ子供だと皆が油断していたのだろう……イザークは、閉じ込められていた部屋を破壊し、見張りを皆殺しにしてからの逃走を図ろうとした。
「どこに行くのかね?」
見張りを皆殺しにし、そのままその場を離れようとしたイザークにどこからか声を掛ける男が居た。
「……誰だ?」
「誰だ、とは失礼だね。これでも次期最高司祭なんだがね」
「……そうか、貴様を殺せば、この悲劇は終わるのか……」
イザークは間髪入れずに男目掛け飛び掛かり、手に持った刃物で首を掻き切った、はずだった。
「ほう、なかなかやる」
「なっ!?」
次の瞬間には、男の姿が消え去り、そのままイザークを地面に押しつける。
「は、離せ!! 俺は家に帰るんだ!!」
「君は、母親から永遠の別れを告げられた。今更戻ってももう遅いよ」
「そんなわけない!! 母さんは、俺を見捨てたりしない!!」
「ほう、君がこうまでして苦しんでいるのに、君の母さんがここまで来たという話は聞かないね」
司祭の男はイザークを押さえつけながら淡々と言い放つ。
「君にはここ、星導教会の上層部が『贄』と呼ぶ道具たちの管理を任せたい。見返りとして、君からは他の贄のように記憶や感情を全部取るのだけは勘弁してやろう」
「……断れば?」
「他の贄のように、記憶も感情も消される道具になるだけだ」
「いいのかよ、裏切るかもしれないぜ?」
司祭の男はイザークのその発言をフッと鼻で笑いながら
「誰が手放しで解放すると言った? もちろんお前にも枷をかける。あー、お前はもう、ここの見張りの人間を殺してるからな、戻っても人殺しと言われるだけだぞ」
「なっ!!」
「この容赦のなさ、いいね。お前には暗部で活躍してもらおう……だが、本名で動かれるとこちらも困るな……よし。お前の名前は今からキザシだ。よし、こいつを連れていけ……他の奴らみたいに感情や記憶を全部取るんじゃないぞ?」
こうして、イザークはこの場で闇に葬り去られ、キザシが誕生した。
実に、50年前程の事である。イザークが母親と別れ、約半年後の事。奇しくもこの数日後、その母親は孤児を一人拾い、その子供にイザークと名付ける事となったのだが、その事を知る者は居ない。




