第82話 ノスタルおっさん
夜の帳が街に降りようとしている。そんな光景を滞在している宿の窓からイザークは見つめていた。
なんてことはない、いつもの光景だ。だが人が殆どおらず、遅くまで騒がしかった街が今は静かだ。
ほんの数か月前まではイザークはここで働き、そして暮らしていた。その哀愁の念もあるのだろう、
だが、今いつもよりこの光景が愛おしく感じるのは……久々にばーさんに会ったからかもしれない。
イザークは子供の頃、そんなに裕福ではないけど普通の家庭で生まれ育った……気がする。だが今は親の顔すらほとんど思い出せない。
それは、イザークがまだ5歳かそこらの頃だ。その日は家族で珍しく、遠くまで旅行に行こうと馬車に揺られ、この街にたどり着いた。
親父が「王都に行ったら****はびっくりするだろうな」などと楽しそうに話し、子供のイザークがはしゃぐ、そんな光景を母親が楽しそうに見ている、そんな普通の家庭だった……
旅行なんて滅多にないイベントだ。子供の頃のイザークはそれはもう、はしゃいではしゃいではしゃぎまくって……気が付くと親とはぐれていた。
そんな緊急事態に、見知らぬ土地で子供が一人なのだ、心細くないわけがない。一生懸命両親を探して探して、それでも……結局、見つかる事は無かった。
なんで自分を探してくれないのか、子供の頃のイザークは悲しみが頂点に達し、むしろ怒りの感情も沸いてくるほどだった。そして……現実を知って絶望した。
イザークの両親は、イザークを捨てたわけでも忘れたわけでもなかった。イザークを探して探して、街の外まで探してそして……運悪く、魔獣に襲われ無惨にも亡くなっていたのだ。
見ず知らずの土地で一人、何の伝も無い子供が、万引き紛いの事をして食つなぐ孤児となってしまうまで、それほど時間はかからなかった。
***
「あ、てめぇこの!! 待ちやがれ!!」
子供の頃のイザークはこうやって店の食べ物を盗み、その日を食つなぐ事で何とか生きているような状態であった。
それに、自分は何だか体力があるようで、生半可な店主には追い付かれることすら無い。年齢からすると異常であったが、それを指摘する人もおらず、あくまで自分に盗みの才能があるだけだと思っていた。
そんな油断からか……
「きゃっ」
曲がり角から出てきたお姉さんにぶつかり、そのまま倒れ込むこととなった。
「こら!! 捕まえたぞこのコソ泥が!!」
そのまま店主に襟首を捕まえられジタバタもがくも、やはり体格差からか、簡単には解放してくれない。
「おい、ねーちゃん、大丈夫かい?」
「え、ええ」
「こんのコソ泥が!! てめぇのせいだ!! 観念しろ、憲兵に突き出してやるからな!!」
憲兵に突き出される。この意味をまだ正確に理解していない子供からすれば、死刑宣告にも等しい発言だ。
実際、憲兵に突き出された孤児の顔見知りは皆、姿を消している。
……マズい、このままだと、消される!!
「は、離せ!!」
「黙れクソガキ!! こんなクソガキを野放しにするとは、なんつぅ親だ!! てめぇみたいな子供の親も、どうせ親もコソ泥だったり、クズだったりするんだ!!」
ザワッ、と、何かが背中で逆立つような感触を感じた。これは怒りか、それとも……
ただ、子供のイザークに分かる事、それは……自分の両親をバカにされた
優しかった両親を、いつも笑顔の絶えない家庭を
……命を失うような目に遭ってでも、自分を探してくれた親を
「取り消せよ……俺の両親を悪く言った事を、取り消せよ!!」
「黙れ!! 躾がされてないクソガキめ、俺が躾けてやる!!」
そう言うなり、男はイザークを思いきり地面に叩きつけ、そのまま馬乗りになって殴り始める、だが……
「いてっ!!」
イザークもやられっぱなしではない。そのまま男に反撃する。
「許さない!! 俺の両親をバカにするのは、許さない!!」
その声が震えているのは分かっている。だが、イザークは止まれない。そんなところに声を掛けてきたのは、さっきイザークがぶつかったお姉さんだった。
「店主、その坊やが盗んだ品物の代金、いくらだい?」
「え? えっと、さっき盗んだのは銀貨1枚分だけど……」
「分かった、私がその代金払うよ。その代わり、その坊やの身柄、私に引き渡してくれないかい?」
「え……まあ、金貰えるなら構わないけど……」
店主はそのままお姉さんから銀貨を受け取ると、そのまま去って行った。
「そのお姉さんに免じて今回だけは許してやる!!」などと言いながら。
さて、その場に残された2人は……
「……何で俺を助けた?」
正直、このお姉さんの魂胆が分からない、そうイザークは聞くしかなかった。
「おや、解放されても逃げないんだね」
「……恩を受けたらちゃんと返せって、両親に言われた」
「ふーん、アンタの言ってた、親は悪い人じゃない、ってのも強ち嘘じゃないようだね」
そのままお姉さんは指を1本、イザークの前で立てて見せた。
「銀貨1枚。このせいでアンタの親がバカにされたんだ。金の価値は分かるかい?」
「あまり分からない」
「簡単に言うと、アンタが真面目に働けばどんなに鈍くさくっても、1日で銀貨2枚は手に入る」
……何が言いたいのだ? イザークは訝しむようにお姉さんを眺める。
「アンタが真面目に働いていれば、アンタの御両親はバカにされなかった。アンタの親をバカにしたのは、真面目に生きないアンタだよ」
真面目に生きる。イザークもそれが大事な事くらいは分かってる。だが
「どうしろってんだよ!! 身寄りも無い、ただのガキが真面目に生きるなんて、そんな事……」
「アタシがあんたを雇う。だから、真面目にやってみせな!!」
そう言うお姉さんはなんかカッコよくて、それで、力強く感じた。
「いいのか? 俺が裏切るかもしれないぞ?」
「その時はあんたの親が最低最悪の親だったって事になるだけさ」
「ぐっ」
イザークは前言撤回をする。このお姉さん、カッコよくない、なんかずるがしこいというか、根は邪悪な気がするというか。それでも……
「さーて、まずはさっき払った銀貨1枚分、それくらいは働いてみせな」
そう言ってかすかにほほ笑んだお姉さんに、イザークがドキッとしてしまったのはきっと、太陽がまぶしかったからだろう。
「あ、そうだ、アンタの名前何っていうんだい?」
「お、俺は、****って言うんだ!!」
イザークはもはや、昔の名前を思い出せない。だが、それでいいとさえ思っている。
「あ?なんかメンドクサイ名前だね、あんたの名前は今日からイザークだよ!!」
***
イザークは今日のばーさんとの再会を思い出す。イザークはその時のお姉さんとの約束を守り、そのまま店で働き続けたのだ。そう、今日みたいにお姉さんが料理をし、それを俺達が運ぶ。
お姉さんはその後もたまに孤児をスカウトしてきてはお店で働かせていた。そして、住処のない孤児と同じ家で暮らしていた。
その時のお姉さんが今や老婆で、当時兄弟姉妹のように暮らしていた孤児の連中は散り散りになったが……それでも、万が一誰かが帰ってきた時の為、お店だけは続けているのだ。
「ありがとうな、ばーさん」
年を取ってあの頃よりもさらにひねくれたばーさんにこんな事直接言うと「年寄り扱いするな」とか怒られそうなので直接は言わないが、いつも心では感謝しているのだ。




