第4話 姉弟喧嘩
学校から少し歩いたところにある川原。
水の流れるせせらぎの音以外はこれといった音が聞こえない、至って平和な場所である。
ただし、今はそこに少年少女が向かい合って立っており、さらに互いに殺気を向けている。
――平和な光景に全くといっていいほどふさわしくない。
少年少女はそれぞれ、左腕にスカーフを巻き付けている。
「じゃあ、ルールの確認だ。お互い、魔法も全て解禁して、相手の左腕に巻いたスカーフを奪ったら勝ち、これでいいね?」
「ふん!魔法が使える私の方が有利じゃないの!あんたこそ、それでいいの?」
「構わないよ。じゃあ、俺が50メートルくらい離れて、この石を投げて落ちたら開始でいいな?」
「分かったわ」
実際、姉であるリリカは中級魔法の修行のために魔力を高めている上、攻撃魔法の基礎である初級魔法を完全に習得している。
対するレオは、生活のために使う火起こし、水汲み代わりの生活に使う魔法程度は使えるものの、まだ攻撃魔法に類するものは使えない。
一応、魔法の名家であるらしい実家の方針で魔力だけは高めていたが、それを放つ方法を知らないのだ。
この世界の戦闘で遠距離攻撃と言えば魔法、と言い切ることが出来るほど、魔法の習得はそのまま力の差となる。
魔法の有無が勝敗を左右する度合いは、互いの距離が離れるほど顕著なため、本来であればリリカには負ける要素はないはずだ。
ただ一つ、リリカが気がかりなのはレオの思惑である。
――スタート距離が遠いほど、距離を詰めたり魔法を使わない反撃が難しくなるものである。
さらに、レオとリリカが暮らすルーディル領は王都の中心地や港町にあたる地域ではない。
山奥の辺境の土地である。つまり、川原は足場が悪く、歩いたり走ったりするには動きを制限されてしまう。
言わば、レオは距離を詰めたくても、不安定な足場の影響で思うように距離を詰められない状況であるはずだった。
どこまで行ってもレオが不利な状況である、なのに、レオは自信満々であった。
自ら距離を取るという選択肢をあえて取ったレオの思惑に警戒しつつも、リリカはレオが離れていくのを見つめている。
そして、レオが既定の距離に到着し、リリカの方に向き直り、石を高く放り投げ……石が地面に落ちた。
勝負開始である。
***
さて、勝負の定石通り、魔法を使えないレオは勝負の開始と同時に前方に駆け出した。
一方のリリカも、定石通り魔法を使い、突撃してきたレオに向かって放った。
普通ならこれで勝敗は決する。
何も策を立てずに突撃してきたレオは、リリカの放った魔法の餌食となり試合終了。
だが、様々な要因が重なり、魔法の有無という大きなハンデがありながらも一方的な勝負とはなっていなかったのである。
まず第1の要因。それはリリカの使える初級魔法にある。これは攻撃魔法の基礎の基礎といったところであり、氷の飛礫や火の矢を放つ魔法等、魔法の中でも比較的「狙いを付けて放つ」タイプの魔法である。
これが、大きく距離を取ったレオの、さらに左腕に巻いたスカーフだけをスナイプしなければならないルールである今回、マイナスなのである。
中級魔法を覚えると今度は大きな火の球や爆風など、範囲攻撃が可能になり、多少狙いが甘くても「スカーフを巻き込んで」しまえばいいのだ。だが、あいにくリリカは中級魔法が使えない。
第2の要因。それは、足場が悪い事である。
足場が悪いため、レオは思ったような一定の速度で動くことが困難となっている。
だが、一定の速度での動きが出来ないため、逆にリリカが予測して魔法を撃つような高等狙撃技術を使えたとしても狙撃が困難になっているのである。
そして第3の要因。レオが身体を普通よりも鍛えていた事である。
レオは体を鍛えていたため、リリカに向かって突撃するような行動は上手く動けなかったものの、魔法の回避については人間離れした動きを披露していた。
魔法を避けるために横っ飛びに飛び、そのまま地面を横に転がり、最後はバク転しながら距離を取る、といった動きでリリカを確実に翻弄していた。
対してレオも、想定外の事態が発生しており、決め手に欠けていた。
リリカの魔法の精度、威力、そして魔力量の高さによる魔法連射能力が予想よりはるかに高い。
そして、魔力量はそのまま魔法のスタミナのようなものであるため、当初のレオの想定していた「魔法を散々撃たせて、魔力が尽きたところで一気に勝負を決める」方法が使えないのである。
勝負は長期戦の様相を呈してきた。
***
「はぁ……はぁ……あんたもいい加減、負けを認めなさいよ…」
リリカは勝負の間、2時間近く魔法を連射していた。
これはリリカも想定外であった。
――こんなに連射出来るほど魔力が高まっていたなんて。
なお、リリカは勝負開始の頃は地水火風のあらゆる魔法を使っていたが、今は氷の飛礫の魔法だけを連発していた。
狙いはただ1つ。
「はぁ……はぁ……絶対に降参なんて……!!」
レオの表情が固まった。
そう、2時間近くも氷の飛礫を周囲にまき散らしていた効果が出たのである。
――足場が滑る。
足場が氷と水で覆われており、滑りやすくなっていた。
石で凸凹していた地面はいつの間にか氷の膜に覆われ平面になっており、一旦滑ると止まらない氷の床となっていた。
こうなるとリリカの方が有利に戦況を運べるようになる、だが……
(流石に私にここまで出来るとは思わなかったけど、もう魔力は空っぽだわ……)
普通なら30分も魔法を連発すれば魔力は切れるものである、それが2時間も、さらに自分の想定を超えた精度と威力で魔法を連発できたのだ。
――お父さんとの魔法の訓練は無駄じゃなかった。私は、ちゃんと成長してたのね
もしかしてレオは、それを伝えたくて私に喧嘩売ったのか、という考えが過ぎり、かぶりを振る。
レオがどういう思惑で動いたか、なんて今はどうでもいい。
今は、レオが戦況をひっくり返すために近づいてくるのに合わせて最後の魔法を放つ!
一方のレオも、体力は限界、さらに自分に有利に運ぶために選んだ足場の場所をリリカに制圧され、短期での決着を余儀なくされていた。
とりあえず、レオから見てもリリカの表情が明るくなっているように見える。
――これで、姉さんが一人で悩んで潰れるようなことは無いだろう。あとは……
この一撃で勝負を決める。
「だぁぁぁぁぁ!!」
それまで回避一辺倒だったレオが初めて攻撃に転じたのである。だが
――ツルッ
氷の足場となった地面に足を取られ、スリップしてしまった。
そして、リリカへの突撃のベクトルそのままに、レオはリリカに向かって一定速度で滑っていく。
(今だ!今しかない!!)
リリカもここが勝負どころと踏み、最後の魔法を放つ。
(レオ、ちょっと痛いかもしれないけど、ガマンしなさいよ!)
体制が立て直せないレオ、左腕を守るものは何もない。やがて、リリカの魔法がレオの左腕に巻いたスカーフを切り裂き、リリカの勝利となるだろう。
――レオの諦めがよければ。
「ふん!!」
レオは滑った状態のまま、左手で地面を叩き、無理矢理魔法の射線上にあった左腕のスカーフを回避させた。
レオの左腕が少し宙に浮き、リリカの魔法の射線上の少し上にレオのスカーフがあった。
この行動はリリカも予想外であった。そして、リリカは最初から「スカーフを切る」ためだけに魔法を使っていた。
最後の魔法もスカーフを切るギリギリを狙っていたのだ、だからこそ
――グサッ
レオの左腕を氷の飛礫が貫通した。
そしてそのままの勢いでレオはリリカの懐に滑り込み、リリカの左腕に巻かれているスカーフを奪い取った。
下手をしたら命すら奪いかねない姉弟喧嘩の結末は
「俺の……勝利だ!!」
レオの勝利宣言で幕を閉じたのであった。