第9話 変身
夜分も遅い時間。人々は魔法で炎を操ることが出来、火を出すことで灯り取りをすることが容易な世界であるとはいえ、それ以外は真っ暗である。
町の中ならいざ知らず、町と町の間を移動するような馬車なども、殆どが暗くなる前の夕方で運航を終わらせ、今や町と町の間の道を通るような人はほとんどいない。
俺が夜の時間帯に出発したのはこれが理由であった。
フェンが高速で走っても人を撥ねるようなこともなければ、そもそも目撃者も居ない。
もし目撃者がいても、高速で走ってるフェンの存在を説明するのも難しいだろうし、そもそも、人に話しても鼻で笑われるのがせいぜいであろう。
このペースなら、何か大きなトラブルが1つ2つあったとしても、ギリギリ翌日の人間の活動開始時刻前に帰宅可能だろう、と読んだのだ。
『主、ひとつ提案があるんだけど、いいかな?』
全速力で道を駆け抜けながら息を切らすこともなく、フェンが聞いてきた。
「なんだ、どうした?」
俺もそれまで感じた事の無い速度の中で平然と会話をしている。
確かに初めて感じる速度である。風景が流れる速度も桁違いの速度だ。
だが、俺はその風景に違和感を全く感じなかった。
――相棒に乗ってればこういう光景になることは知ってた。
『主、提案なんだけどさ、一度おうちに帰らないかな?』
「はぁ? 何でだ?」
あれだけカッコつけて出てきたんだ、今さら戻れるかよ――
『どうする? 戻らないのなら、このまま行くけど』
「戻る必要はねぇよ、さっさと行こうぜ!!」
『……分かった、飛ばすよ、主』
――2時間後
「なあ、フェン。帰らないか?」
『もうここまで来ちゃったからね、ダメかな』
「しかしこれは……」
ただでさえ例年に無い寒気(薬師が言うには魔力の乱れみたいなものらしいが)の中をフェンに騎乗して高速で移動してきたのだ。
そして、フェンは俺を乗せたまま、高度の高い山を8合目くらいまで一気に登ってきたのだ。
つまり……何が起こっているのかと言うと
「寒い……」
レオは寒さに大きく身を震わせ、全身をフェンに委ねんとばかりに抱き着いた。
ああ、フェンの体温かいなりぃ。
『だから一旦家に戻って防寒着持ってこようって言ったのに……』
「帰ろうとは言ってたが、防寒着取ってこようとは言ってなかっただろ……」
ガタガタ震えながら苦情を申し立てると
『そうだっけ? まあ、細かい事はいいじゃないかな』
さらりと流してきた。くそう、寒さに強いのか、余裕の態度だなこいつ。
『ねぇ、主。3つ聞いていいかな?』
「何だ?」
『まず1つめ、その状態でどうやって薬草を見分けるの?』
レオはあまりの寒さに、フェンに体ごと抱き着いてる状態で、顔もフェンの身体に密着させて伏せている。
どう考えても、周りの風景を見て薬草の識別が出来る状態じゃなさそうだ。
「スマン、薬草見つけたら教えてくれ。流石に顔上げ続けると死ぬ」
『まあ、仕方ないかな。それじゃ2つ目の質問。ねえ主、今どんな気持ちかな⁉』
「最悪だ……俺の人生、これ以上最悪の状態はもう無いと断言出来る……」
『ふーん、じゃあ、3つ目の質問ね。……主、今、僕が激しく走り回っても付いてこられる握力ある?』
「ふん、対等の力持ってるから相棒なんだよ。相棒の足引っ張るならもう相棒じゃねぇな」
――半分嘘だった。寒くて力が入らなくて、結構ギリギリだ。
だが、フェンも俺がそんな状態である事を理解してるはずだ。何故この期に及んでそんな事を聞きなおすのか
『わかったよ、じゃあ主。今からしばらくの間、振り落とされないでね』
と言ったかと思うと、フェンが山道を全力で駆け始めた、そして……
(ガキンッ!!)
先ほど俺達が居たと思われるところに音が響いたと思うと、まず風で舞ったと思われる積雪の雪、その後に地表の土が大きく舞ったようだ。
「フェン、これってもしかして……」
俺もさすがに異常事態に気が付く。
『ああ、敵襲だね。しかも1匹2匹じゃなさそうだ……下山の道が封鎖されたみたい』
そうフェンが言った途端、レオたちが居る場所よりちょっと下のところで
――ウォォォォォォン!!
狼の遠吠えのような声が聞こえた、それも複数。
ーー逃がさないぞ
そう宣言をしたような遠吠えに追い立てられるかのように、フェンはより山の深い所に逃げていた。
「……フェン、さっきの2個目の質問の答え、変えていいか?」
『どうぞ』
「さっきの状況は生ぬるかった、今が最悪だ!!」
『減らず口を叩けるなら、主はまだ大丈夫だと思うよ』
***
先ほどから主に悟らせないよう、出来る限りいつも通りの減らず口を繰り返している、だが……
(これはちょっとまずいかもしれない)
敵の構成は大体把握出来た。狼男が7匹程度、そして、それを統率している大型の狼男が1匹。
いくら統率が取れてるとは言え、普段のフェンであるなら問題は無い。なのだが
(調子にのっちゃったからなぁ)
レオの役に立とうと、全力で2時間近くも走り抜けたのだが、ここまで疲労するとは思わなかった。
実際、レオが未だに振り落とされてないのは、フェンが振り落とさないようにと配慮をしてるから、だけではない。
ただ単に、フェン自体が疲労で動きが鈍ってるのだ。
そして、そんな中で狼男たちに次第に追い込まれ、フェンも躱し続ける事が難しくなってきた。
狼男の爪の引っかき攻撃、これが徐々にフェンに届くようになってきた。
足に、胴体に、少しずつ傷が入っていくのが分かる。
背中に乗せたレオを気遣う余裕も無くなるほどに。
――相棒って言ってくれた主にこれでは顔向け出来ないかな
「フェン、何も考えずに目の前の広場の奥の方まで全力で走れ!!」
突如、背中に乗ったレオから声がかかり、フェンは周囲を見渡す、広場、そんなのあるはずが……あった。
高い山の、結構山頂に近いところだというのに、その場は異質に見えた。
山の一部が不自然に削れ、削れたそのくぼみは平坦な地面がむき出しになっている。
入口以外の三方は高い岩肌に囲まれており、そしてその地面にはこの極寒の中、雪が全く積もってなかった。
――何も考えるな! 僕はただ、全力で主の力になるだけだ!!
フェンは全力で走る、狼男はもうそこまで来ている。
全速力で広場の奥の方まで走り抜ける、そして、広場の最奥の方まで到着しようとしたとき、フェンの視界に入る月明りを遮るかのように、1匹の狼男が正面から飛び掛かり、フェンの上に乗ろうとしていた。
(まずい、主が!!)
フェンはそう思ったが、咄嗟に回避するにも体力は限界だ。もはやレオを守ってあげられるだけの力も出ない。
――ごめん、主!!
「よくやった、流石は俺の相棒だ!!」
そう話す声が聞こえたかと思うと、フェンはレオを乗せているはずの場所を思いきりドンッと蹴り飛ばされたかのような衝撃を受け、体制を崩し倒れ込む。
フェンは一瞬、狼男に捕えられたのか、と思ったが、次の瞬間。
――ギャァァァァァ
と間抜けな声を出しながら、吹っ飛んでいく狼男、そして……
――シュタッ
っと着地を決めるレオの姿がフェンの瞳に映った。
そうか、そういうことか……
『僕を踏み台にしたなぁ』
そう言って、フェンの意識は落ちたのであった。
***
フェンが寝たのを確認し、俺は立ち上がる。
さっきまで寒い寒い言ってたじゃないか? 知らないね、そんなこと。
狼男どももおそらく、フェンの方が強敵だと思っていたのだろう。俺にはそれほど警戒していないように見える。
実際、今俺を襲おうとしてるのも、階級的に下っ端な感じの狼男である。
とはいえ、先ほど体当たりで1匹吹っ飛ばした事もあるせいか、2匹同時に攻撃してきた。
腕を大きくふりかぶって、俺を縦に切り裂こうとしているようだ。
俺はすかさず1匹の懐に飛び込むと、ガラ空きであった腹部に全力のパンチをお見舞いする。
ーーグァァァァ!!
その場に倒れ転がりまわる狼男、そして、もう1匹がその様子に怯んだ隙に俺は体勢を低くして近づき、全力の肘を相手の股間に決める。
――!!!!!!!!
今度は声も無く倒れた。
ーー予想通りだ。こいつら、軽い。
フェンは指令が居る事による連携を警戒していたようだが、動きを見てきた俺からすると、ただ単純に動きが速かった。
山岳地帯で機動性を確保するために有効な手法、それは、狭い足場を有効活用するために足の面積を小さくすること、そして、体を軽くする事である。
他に、その土地に順応しているという要因もあったりするが、薬師が「最近出現し始めた」と言ってるから、その線は薄いと踏んだ。
そして、爪と言った直接攻撃を好む習性から、攻撃の要である足を小さくしておらず、体が軽い事によるゴリ押しでスピードを確保しているのではないかと推測したのだ。
足許に転がった2匹の狼男を敵に向かって投げつけた。軽い分、よく飛んだ。
一方の狼男たちは狼狽えていた。
先程まで全く脅威ではないと認識していた人間が、今やこちらを手玉に取ろうとしているのだ。怯えるのも当然か。
「さて、よくも相棒を好き勝手いたぶってくれたな」
そして、狼男たちが警戒心を高めていっているのがわかる。
「だから、俺は仇討ちとして今からお前らを倒すけど、いいよな?」
狼男たちが隙を見せまいと、全員固まって俺を睨んでいる。どうやら俺の話に応えてくれる律儀な狼男さんは居ないようだ。
背後のフェンから「死んでない」って抗議の声が聞こえたけど、それは無視だ。
「まあ、答えは聞いてない――変身!!」




