【こんな男】
「それでね、依月ちゃんを蘇生させる事が出来たのは、隻弥さんだからなんだよ。その話も少ししていいかな」
「おい」
依月が頷くよりも先に制止の声が掛かる。
「速水、その話はしなくていい。コイツにゃ関係ねぇだろうが」
「聞かせて、速水さん」
「おい」
「いいから聞かせて」
ちらり、と隻弥を見てから速水は依月に視線を戻す。
「――隻弥さんは、色々あって大きな力を身体に持ってる。だから依月ちゃんを助けられた。他の人には出来ないことだから、それは覚えておいて。……隻弥さん、これくらいなら大丈夫だよね?」
詳しくは話さなかった速水に隻弥は再び舌打ちをして、ついていないテレビに視線を向けた。
「なんか、やっぱり信じられない」
ある程度の説明を受けても、依月は納得出来なかった。
実際目にしたのだから現実だとは思いたい。けれど、自分の身が一度死んで生き返ったなどと不思議な体験をした事に未だ心が納得していなかった。
「依月ちゃん、どうする?とりあえずは家に帰ってもいいけど……隻弥さんの近くに居た方が俺は良いと思うよ」
「……どういう意味?」
「一度、付喪に触れられた人は匂いが変わるんだ。これから依月ちゃんは常に狙われるようになる」
――頭を鈍器で殴られるとはこの事だ。
依月はあわよくば今回の事を忘れて普通の生活に戻ろうと思っていた。
強烈過ぎる出来事はすぐには忘れられなくても、いつかは思い出や幻だったと思える日が来るだろうとそう思っていた。
救われた命にはとても感謝している。
本当に運が良かったのだ。
あのまま付喪に身体を溶かされて消えてしまうなんて絶対に嫌だった。
けれど、速水が言った“隻弥の近くに”というのはこれからも付喪と関わる事を示している。
「家に帰りたいんだけど。速水さん、その付喪ってやつどうにかならない?寄ってこないように……護符とかお守りとかそういうのきかないかな?」
どうにかして付喪から離れる必要がある。
そうでなければまたあんな経験をする可能性があるのだから。
速水は再び苦々しい顔をして首を振る。
「依月ちゃん、護符ってね。――神仏からの加護をねだるものなんだよ」
それにはつまり、付喪神も含まれると言うことか。
「神様扱いしなくなったから、加護はして貰えないってこと?」
「簡単に言ってしまえば、その可能性は高いね。神様にも種類があるから絶対に貰えない訳じゃない。八百万の神って言うくらい神様は多い。だけど、」
「アイツらはどうせ見てるだろうな。加護受けようなんざ厚かましいって思われるだけだ。仲間意識が強いこって」
まるで神様が居ることを知っているような口振りで隻弥は忌々しげに吐き捨てた。
確かに道理に適っている。
付喪(九十九)神を神様だと思わずに浄化ではなく退治し始めたこの国を、他の神様が守ろうと思ってくれるだろうか。
神様なんて居ない。
そう言いたいけれど、依月は実際に付喪に遭遇してしまった。
速水にも信仰している神はいない。けれども、隻弥と知り合ってからは古の理を何度も身をもって知る事になっていた。
――数多の神達は付喪神(仲間)を虐げるような真似をした人間に、決して優しくはないだろう。
付喪神は本来、危害さえ加えなければ人間には害のないものだと言われていた。
それなのに防衛省は退治する事を決め、浄化に必要である開錠師をムキになって衰退させようと熱り立っている。
国が終わるなどと大袈裟な話ではなく、神を蔑ろにしたせいで国民の誰かが無差別に天誅を下される事になっている。
その証拠に、十年前――隻弥は人生を狂わせられ、恨み骨髄に徹すとばかりに罰を身体に下された。
それは通常の人間が抱えられるような安易なものではなく、死をもってしても変えられない大きな大きな呪詛だった。
神から下された天罰。
余りにも非常で理不尽なそれを背負わされた隻弥を助ける人間は居なかった。
だからこそ、速水は自身が隻弥の助けになろうと心に決めた。
そうして速水は防衛省お抱えの研究所で働くようになり、国側の人間になったのである。
隻弥へ横流しする情報はそこで手に入れた物ばかりだ。
少しでも内部から改善出来るようにと数年前、期待を持って入社した。
今ではその期待は灰になり、変わらぬ国の体制と執念深い開錠師を厭う考え方に改善の道を諦めている。
それでも、隻弥の為に何かしたい。
それだけが速水の活力だった。
そして現れた隻弥の――唯一、隻弥の力を分け与えられた依月に少なからず期待を抱いている。
「依月ちゃん、隻弥さんの傍に居なよ。普通の人とは段違いに狙われる確率が高くなる。危険な目には会いたくないよね?」
諭すように、そして速水の目論見――隻弥と共に居させる事――を気付かせないように依月に柔らかく言い聞かせる。
それでも依月は頷かなかった。
得体の知れない物への恐怖、逃げ出したいという焦燥、隻弥から受けたという蘇生への拒絶感。
――冗談じゃない。
依月は助けて貰いながらも、不可思議な力を持つ隻弥と情けない自分自身に恐怖を抱いていた。
速水の言葉を全て無視して、浴衣姿のまま立ち上がる。
突然立った依月に速水は口を開こうとしたが、それよりも先に依月は居間から抜けて外に出た。
ぴしゃりと閉めた襖の向こうで依月は混乱に陥った。
――何で私だったんだろう。
置いてきた着替えや鞄のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。
ただ、走り去ろうとした依月はすんでの所で思い止まる。
ふっと後ろを振り返って、閉めたばかりの襖を開けた。
「依月ちゃ……」
出ていったはずの依月を見て、速水は目を見開いた。
すぅっと息を吸い込んで、怠そうにしている隻弥を真っ直ぐに見つめながら、依月は言いたいことを捲し立てた。
「助けてくれて、治療してくれてありがとう!あなたが言うような“こんな男”でも助けて貰えて私は嬉しかった!」
生意気な口振りで隻弥に告げ、浴衣のまま依月は走ってその場を離れていった。
暗がりの中にひっそりと建つ篝家の屋敷の居間を出て、まずは庭で迷子になった。それから何故か池に辿り着き、数分後には依月はすっかり意気消沈していた。
「帰れない……」
ぼそりと呟いた依月の背後に、突如として気配が現れる。
反射的に振り向いた先にはついさっき啖呵という名の感謝を伝えたばかりの隻弥が立っていた。
「なに迷ってやがんだ。……出口は向こうだ。――もう来んなよ」
気怠い態度で隻弥は言って、依月に向かって袋を投げた。その中には財布も着替えも入っていて、隻弥が指差した方面へ依月は脱兎の如く駆けていく。
――言われなくたってこんな不可思議な所には二度と来ない。
ただ、ちゃんとお礼は言ったから。
助けて貰ったことに凄く感謝はしてるから。
怖いし訳分かんないけど、助けてくれてありがとう。
伝わってはいないだろうが、依月は頭のだけで再び感謝の言葉を告げた。
付喪は夜に活発になると速水は言った。
それならば夜は家から出なければ何とかなるんじゃないだろうか。
依月はそう考えて、無知にも愚かにも篝家から逃げ出した。
話のスケールが大き過ぎる。ついていけない。
女子高生らしいその感情は、幼くてまた短絡的でもあった。
依月の背中を見送りながら、隻弥は呪いを紡ぐ。
その内容は隣に現れた速水にしか聞こえていなかった。
「やっぱり、依月ちゃんは“当たり”でしょ?――どうなんですか、隻弥さん」
「さぁな」
「隻弥さんが呪いを誰かに掛けるなんて初めてじゃないんですか。なのに帰らせるなんて」
「うるせぇな。朝っぱらから辛気臭ぇ話しやがって」
これ以上踏み込めば、隻弥は頑なに口を閉ざすだろう。速水は長年の付き合いでそう感付き、仕方なく問い掛けるのを止めた。




