【逆さま】
「今はまだ分からなくてもいいから、とりあえず聞いておいて」
「……わかった」
力なく頷いた依月に微笑みながら速水は話を続けていく。
改めて、もう一度さっき言ったことを繰り返しながら。
「付喪……つまり、なんだろ、今の子に分かりやすい言葉で言うなら妖怪の類いかな。それに依月ちゃんは遭遇したんだ。――普通ならその時点で死ぬか、しかるべき部隊に救助されるかのどちらかなんだけど」
隻弥へ向かって気まずそうに視線を移した速水を見て、依月は朧気だった記憶を思い出す。
「昨晩の付喪には……まぁ、その救助部隊は結局のところ気が付かなかったみたいだね」
“やっぱ国にゃ務まんねぇんだろ。お前も犠牲になるって訳だ”
隻弥は昨晩、苦しんでいた依月にそう言った。
ということは、本来ならば私はとっくに“しかるべき部隊”とやらに見つけて貰えず、あそこで死んでいた事になる。
けれど、たまたま通り掛かった隻弥に何故か命を助けられた。
そういうことだ。
思い出しながら、それでも隻弥は自分を見捨てた筈だと依月は思う。
だが、現に生きていた。
見捨てられた筈の自分はどういった経緯があったのかをさておき、一先ず隻弥に命を救われた。
どうして助けたのか疑問を抱きながらも、依月は違う方へと意識を寄せる。
きっと、聞いても答えない。隻弥へ問い掛けたくはあったが、突っぱねられるであろう事も何となくは理解していた。
それよりも、速水の言った不可思議な単語が気になっている。
「妖怪って…そんなの昔の話じゃないの?今まで見たことない」
妖怪の存在自体は否定しない、依月も思い当たる節があるからだ。
祖母は穏やかで優しく嘘を言わない人間だが、時折妖怪や幽霊といった存在について依月に話してくれていた。けれども、聞いた事しか無かったのだ。
実際に遭遇したと言うことが、どうしても依月には空想にしか思えない。
「昼間は極端に弱ってるからね。陽が沈んで、夜明けまでが活発に動く時間。その時間帯は逆さまが頻繁に見回ってるよ」
「……逆さま?」
「そうだった、隻弥さんはその呼び方も嫌いなんですよね。――とりあえず、依月ちゃんが遭遇した妖怪、隻弥さんや古の家職は付喪って呼ぶんだ」
「付喪…?」
「そう。最近ではWM、ワーストモード。最悪形態だって呼んでる。平成に入ってから名称をWMに変えたんだ。グローバル化ってやつだね」
「……下らねぇ」
にっこりと胡散臭さを交えて微笑む速水に隻弥は冷たい言葉を吐く。
「妖怪がワーストモード?なんかよく分からないんだけど」
「アルファベットのWとMが入って、丁度逆さまだから機関の連中のことは逆さまって呼んでるんだよ。ここからはちょっと話が長くなるけど……」
速水が説明する間、隻弥は興味無さげに緑茶を飲んでいた。
依月は話される事柄に顔を顰めながらも頷いて行く。
全く別次元の話しなのに、どうやらそれは現実らしい。
依月が思っていた妖怪のイメージはがらりと変わってしまったものの、おおむねは察する事が出来た。
妖怪、付喪、最悪形態呼び方は多々あれど、列記とした九十九神と伝承された神だった。
生き物などが長い時を経て、意思を持つようになったもの。
そこに宿るのは神様だと言い伝えられている。
国の行政機関、防衛省が秘密裏に抱える特殊部隊、ワーストモードの討伐部隊。
つまりは件の“逆さま”だが、その機関に対して古の家職は良い感情を抱いてはいなかった。
日本の矜持を捨て、海外との提携を結んだ防衛省は古くから妖霊と呼ばれていたそれらが最悪の状態へ進化したとして“ワーストモード(最悪形態)”なんて名称を勝手に付けた挙げ句、強制的に排除しているらしい。
隻弥達、古の家職――昔から妖霊を相手にして来た旧家は、妖霊を“浄化”させる事が出来る。
しかし、浄化のやり方は一家相伝の秘匿としたもので、国には決してそのやり方を開示しなかったと言う。
誰彼構わず出来る訳ではなく、家によってもやり方はそれぞれ違っていて、手順を間違えたり力が足りないのに無理に術を行使したりすることで反動があることも認められていた。
伝授しても良いと一族全員から認められた者にしかやり方を教えてはならないと、代々口酸っぱく言われているものが浄化の技ということだ。
妖霊をどうにか出来るのは能力と方法を受け継いだ人間だけ、防衛省からしてみればそれはかなり都合が悪かった。
妖霊と密接であった旧家は国の監視下に入る事を拒否し、家系のみの伝承としてしか術を残さないと決めていた。
誰彼構わず伝承すれば必ず災禍が訪れる。
それを抜きにしてもプライドの高い人間が多く、国に管理されてたまるか、いいなりになんかなってやるか、妖霊との付き合いは我々の方がずっと長い。そんな言葉を口にして、国の監視下ならぬ管理下に入る事を拒否した結果――国は妖霊を“退治”してしまうやり方を他国に頼る面も見せながら独自に開発してしまった。
それが見つかったのはおよそ百年前、それからずっと国家と隻弥達、古の家職達――開錠師はいがみ合いながら互いに敵対関係を築いているんだとか。
更には平成に入ってから防衛省は海外と手を組み、更に旧家を追い詰めた。
日本各地に存在していた開錠師――妖霊を相手出来る不可解な技を扱う人間の旧家はいつしか半数以下となり、その中でも三分の一は開錠師であることを放棄した。
国から押さえつけられ、仕事となる浄化を横取りされた挙げ句に時には穏やかに浄化し時には戦って浄化した長い付き合いの妖霊達は意思も何も無視されて無惨に退治される。
能力は優れていても数の力に及ばない事もあって、開錠師は現在も更に激減しつつある。
速水はそこまで話をして、依月の様子を窺った。
何とか理解しようとするその姿に微笑ましい感情を抱きながら、一方で改めて話した内容を再認識すると隻弥の立ち位置を案じる気持ちが強くなる。
家職の中でも隻弥は珍しく――国も旧家もどうでもいいと投げ捨てた中立かつ、かやの外に立っている。
立場としては旧家の人間であるからと国に敵対視され、旧家側には裏切り者と思われて。
が、無駄に争うつもりもなく。
ただ、どちらからも隠れてひっそりと一人で暮らしている。
それが現在の隻弥だった。
付喪神(九十九神)を浄化させる潜在能力を持った開錠師。
篝隻弥は由緒正しき開錠師の家系であった篝家始まって以来の、最大級の面倒臭がり当主だった。
「じゃあ、あの化け物は昔の……神さまが進化したものってこと?」
顔を上げた依月は復習のように速水へ問い掛けた。
「そうだよ。最悪な方へ進化した、だから最悪進化形態。九十九神だと言われていたのは随分昔で、今は神様だと思う人間が居なくなってるのが現状だね」
分かったような分からないような話を聞きながら、現実味のなさと自身に起きた事件に依月は茫然とするしかなかった。
妖怪、しかも九十九神。
神様だと言われていた妖怪が年数を重ねて神様扱いされなくなった。
その結果――退治される対象に。
国の偉い人間は海外と手を組み、平成に入ってからは最悪形態をワーストモードと呼ぶことで統一して、昔からその妖霊達と付き合って来た古い家職が消えている。
話を聞いただけでも複雑な気持ちになるような現状だった。
「開錠師……そんなの一度も聞いたことないけど」
「開錠師の名前の由来は普段潜在能力に掛かっている鍵を、浄化の際に開ける事から来てる。能力を引き出すなら本当は何でもいいらしいんだけど、」
「けど?」
「隻弥さんは面倒臭がりだから“開錠”としか言わないんだよね。他の開錠師は“出でよ、浄化の光!速やかに天に還れ!”とかなのに」
ある意味そんな台詞じゃなくて良かったと思うのは何も依月だけではないだろう。
隻弥がそんな台詞を言っていたら違和感しかない。
依月は実際にその能力を使う所を見てはいない。だが、どうやっても隻弥が格好付けた台詞を言う所は想像すら出来なかった。
速水は依月を和ませようとしたのだろう、その努力だけは依月にもしっかりと伝わっていた。
ただし、苦笑いというぎこちない表情しか出せなかったが。
「でもさ、速水さん」
「うん?」
「浄化と退治って、聞く限りじゃ浄化の方が良いように思えるんだけど」
「そりゃそうだよ。浄化の後は神さまとして転生出来るし、退治なんて消すだけだからね」
「そんな事続けてたら九十九神、だっけ、その神様怒るんじゃないの?」
非現実的過ぎてもはや空想の世界にしか思えない。
その為、恐怖よりも好奇心が擽られた。
別次元の話だと思えば、不思議と興味も抱けるのである。
依月は内心「あり得ない」と思いつつ、とにかく疑問を解消しようと速水に向かって尋ねた。
「……それは」
言い淀んだ速水に依月は首をひねりながらも、思ったことを口にする。
「生まれ変われないって、残酷だと思う。存在自体が消えるんでしょ?」
妖“霊”と言うからには、一つの命なんだろう。
依月はぼんやりとそう考えていた。
自分の前世が人間だったかどうかなんて分からない。
けれども、転生するはずの命を退治して消してしまったら、生まれ変わりは出来ないんじゃないだろうか。
依月の疑問を聞いて、隻弥は初めて薄く笑った。
「コイツでも考えられる事が国の連中には考えらんねぇんだよなァ、速水。退治された奴らは機会を狙って必ず悪さを仕出かす。絶対にな」
隻弥の言葉とは裏腹に声音はどうでも良さそうだった。
危惧するべき事柄をなんとも思っていないかのように告げる。
「ま、いつかの話ですぐにじゃねぇ。十年前にデカイしっぺ返しが来たんだ、暫くは平気だろ」
「……依月ちゃん、話を戻そうか」
速水はぎこちなく苦笑して依月にそう言った。
先程から曇りがちな表情に気が付くも依月は何も言わず頷いた。




