【坩堝】
そもそも隻弥が相模の言葉を信じたのは、他でもない八衣の祖父が、かつて相模への協力を「頼んでみるか」と案に出したからでもある。すなわち、相模一族には何かしら秘めた言い伝えが有り、八衣の祖父はそれを信憑性があるものとして判断した。
結局は相模一族への協力を要請せずに隻弥を育てたが、隻弥は八衣の祖父が話した言葉を一語一句忘れた事はない。そのおかげとでも言うべきか――相模の言葉を真っ向から否定せずに、聞き入れると言う気が起きた。
依月が眠る客間へと、足取り重く三人は向かう。
隻弥と速水、それから相模。
襖を開けた先には淡い光を放つ八衣が、目を閉じて依月の手を握っている。
隻弥達が来た事には気付かず集中している八衣を見て、速水はどうしようもなく苦い笑みを滲ませた。
隻弥は八衣に命じた。
――依月の身体へと気を流し、衰弱させる事がないようにしろ、と。
八衣の勘違いや様々な食い違いにより、起こったあの日の出来事。それは、八衣の中にも鉛のように重くのし掛かっている。そんなつもりではなかったと、今更思っても遅かった。
依月が二度目の死に近付いたのは間違いなく八衣が切っ掛けであり、隻弥が苦しんだのも八衣が引き金を引いたからだ。それが分からない程に八衣は愚かではなく、また感情を捨てる事も出来なかった。
どちらかと言うと、八衣は感情的な方だ。それ故に、苦しんでいる。
依月への罪悪感と嫉妬心が入り交じり、隻弥への情愛と庇護欲は未だに衰えない。感情の坩堝で苦しむ事こそ、八衣にとっての罰だった。
速水もまた同じである。八衣よりも依月を優先する事を言い付けられていて、歯を食い縛りながら世話をしていた。
そんな二人に挟まれた依月こそ、不幸なのだと隻弥ただ一人が現実に気付いている。
――依月は悪くねぇだろうが。
下りたままの目蓋は一体いつ開くのか。隻弥は依月を不憫に思っていた。
巻き込まれ、あまつさえ速水と八衣から疎まれる。
禍根を持った瞬間から、依月は誰にとっても禍をもたらす不吉な存在となってしまった。
隻弥は恐らく、恵まれていた。
それでも不幸中の幸いにしかならないが、八衣の祖父は隻弥に手をつくしてくれた。
八衣も隻弥の身を案じ、速水も恩人だと言って傍についた。
篝一族の遠縁からは“殺すべき”だと言われていたが、それは所詮一時的な逃げにしかならない。その点では国の方が賢いと言える。禍根が誰に移るか分からないから、国は国民を守るために隻弥には手を出さない。だが、一族の人間は身内に禍根持ちがいる事を恐れ、一般人への被害を考えはしなかった。
速水の考えも一族寄りだ。
隻弥が依月への呪いを解いてから殺せば、確かに隻弥は今よりずっと安全になる。依月という暴走する可能性の高い禍根持ちが間近に居る限り、隻弥は常に危険に晒される事になる。
けれど、隻弥は手放せない。
――依月が使った術は、どの一族にも知られていない全く新しい方式の術だった。
相伝で伝えられているやり方とは違う、依月個人の開錠の仕方。
それは決して他人に知られてはならない事でもある。
国が欲しがり、開錠師の一族が欲しがる。
依月がこんこんと眠っている間にも、事態は悪い方へ転がる。
もはや純粋な意味で依月を守れるのは、隻弥一人と言っても過言ではなかった。
権力、付喪、恨み辛み。
その全てから依月を守る。
全ては巻き込んだ自分の責任で、守ることも自分にしか出来ないと隻弥は重々承知していた。
幸い、八衣は依月に対し罪悪感を抱いている。
そして、禍根を持ったからと言って無闇に殺すのにも反対だ。
光が収まると、八衣は直ぐ様振り返って隻弥が居ることに気が付いた。
すかさず姿を消そうとした八衣に、隻弥は短く声を掛ける。
「結界を張れ」
「……分かった」
小さく開錠の言葉を紡ぎ、依月の周りに結界を張る。
そして、八衣は俯いた。
会わないようにしていたせいで、異様に隻弥が怖かった。
相模は結界に不満そうな顔をしたものの、触らぬよう気を付けながら依月の傍へと近寄って行く。
「これは驚いたな。まさか女の子だとはなぁ……しかも高校生?中学生?」
問い掛けに答える人間は居ない。
まじまじと結界の外から依月を見つめ、相模は隻弥を振り返った。
「この子、名前は?」
「……」
「それくらい教えろって。上には言わねーからさ」
軽々しく隻弥へと話し掛けるも、隻弥は面倒そうに欠伸を洩らすだけで黙ったまま依月の傍らに座り込んだ。
「名前、なんて言うの?」
矛先を変えて速水に問い掛けた相模は、速水が一般人なのを良いことに少ない潜在能力を使い、圧力を掛けて名前を聞き出そうとする。
開錠師としての能力が無くなっても、潜在能力が目覚めたままならば術の使いようはある。ただ、付喪を昇天させる為の一番重要な能力は根こそぎ消えてしまっている。
「い、つき」
速水の意識の中に無理矢理入り込み、名前を白状させた相模は隻弥の鋭い視線に気付き慌てて力を消し去った。
「イツキ……?成る程なぁ、っと。名前くらいは良いだろ?そんなに睨むなって」
相模の名も一棋である。
隻弥に先ほど名乗った際、僅かに反応を示したのは相模当主という言葉ではなく、イツキと言う名前であったと相模はたった今気が付いた。
意味有り気に目を細め、結界のぎりぎりまで近付く。
「この子の禍根を無くしたいって事か」
にやりと歪んだ相模を無視したまま、隻弥は依月へ視線を送る。
「さて、と。んじゃ、いきますか」
次の瞬間、風船を割るような音がして、依月に張られた結界はあっという間に破かれた。




