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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第一幕
21/71

【暴走】

 

「――速水さんっ!」


 呆然としていた依月が速水の傍に駆け寄って、倒れた身体を微かに揺する。


「依月ちゃん、ちょっと危ないかも」


 ずず、と顔をあげて依月を見た速水は呆れたように笑いを洩らした。


「思ってたより、ずっと八衣は、隻弥さんに……」


 厳しい目付きで速水を見下ろし、隻弥は静かな口調で言った。


「あんだけ偉そうな口叩いといて、“抑えられなかった”じゃ済まねぇな」

「……です、よね。あー……情け、ない。まさか、依月ちゃんが……居るとは、」

「私……?」


 依月はいきなり自身の名前が呼ばれ、不安げに瞳を曇らせる。


「――那央のウソつき」


 ドクン、と依月の心臓が鳴った。



 ひどく底冷えのする、怨みの籠ったその言葉は、速水の後ろから発された。

 依月を睨み付ける視線は氷のように冷ややかで、それでいて熱い怒りの込められたものだ。


「何が、“もう一度話してみよう”よ。隻弥はやっぱり、この子を……特別に思ってるんじゃないッ!」


 本能的に危険を察知した依月は、一歩後ろに後ずさった。


 今の八衣はこれまでと比べ物にならないほど、怒りに包まれている。


「居ないって、言ったのに」


 それは依月のことであると、八衣の視線は物語っていた。



 平日の真っ昼間――本来なら依月が居ないはずの時間を速水は狙って八衣を連れて来たと言うのに、今日に限って依月は――学校には行っていない。


 引き金になったのは、居るはずのない依月の気配だった。


「――ねぇ、依月ちゃん。どうしてアタシの邪魔ばっかりするのよ。何でアンタが隻弥の隣を歩けるの。アタシは、あんなに頑張って……」


 醜く歪んだ八衣の目から、溜まった涙がこぼれ落ちる。



 様々な思いが重なって、様々な不運が重なった。

 それぞれが勘違いを起こしていた。


 隻弥は八衣の気持ちがただの意地だと思っていたし、速水は依月のことを嫌っていても隻弥が決めたことならば八衣は従うと思っていた。

 八衣は隻弥が昔のように戻ってくれることを望んではいたが、依月が隻弥にとって特別な存在になることは凄惨な過去の繰り返しでしかないと思っていた。

 今日は平日で、依月はあまりこちらの世界の話をよく思っていなかったから屋敷にも自分からは近付かないだろう――学校に行っているだろう、と速水は読んでいて、その読みが外れた。

 結果、依月抜きで隻弥と話せる今日という機会に希望を持っていた八衣はどうしようもなく落胆して、傷ついて、またか――と思ってしまった。


 また、邪魔をするのか、と。


 どこまでもタイミングが悪かった。



「アタシのせいよ。隻弥が傷付いたのはアタシが止めなかったから。優花との仲を止めなかったからっ!」


 速水は感じ取っていた。八衣が抱いている思いは後悔と罪悪感だ。

 かつての少女と隻弥の仲が深まるのを止めなかった自分を責めている。その後に起きた惨劇を自分なら防げたはずだと思っている。


 そして今回こそは、隻弥の為に依月との仲を邪魔すると八衣はずっと決めていた。


「消えてよ!隻弥がまた苦しむ前に、お願いだからアンタは消えてッ――!」


 迫力のある叫び声に、依月の身体が硬直する。


 意図的に動きを封じられていると気付いた時には、八衣はもう目の前にいた。スッと翳された女性らしい綺麗な手のひらに、依月の表情が強張る。


 何かされるということだけが分かった。


「――御霊(みたま)を」

「八衣っ!お前ッ――」

「今我に貸さん」



 ――御霊を(いま)(われ)に貸さん。



 八衣の持つ潜在能力は、この世に留まった死者の霊に助力を請うものだった。

 開錠師の中でも半数程度がその方式を使っている。付喪を浄化する為にこの世に取り残された霊を使い、共に二つを天に還す。

 死者の霊も転生させて貰えるとなれば、喜んで開錠師に協力する。けれども、対象が人間になれば――その人間は無理矢理命を奪われて、強制的に昇天させられる事になる。


 開錠の言葉を口にした八衣は隻弥によって壁に飛ばされた。

 身体を打ち付けて(うずくま)りながらも、八衣は依月を睨み続けている。


「消えろっ!早く、早く消えて!」


 呪詛を与える勢いで紡ぎ、八衣の願いは助長されていった。


 その証拠に、依月は身体に力が入らずぐったりと横になっている。血液が逆流しているような感覚があった。依月の身体が燃えるように熱くなっていく。今すぐにでも発火するのでは、と思わずにはいられないほどで、その苦しさに依月の顔が歪んだ。


 たったの数秒しか経過していないのに、見る見る間に依月は呼吸困難に陥る。


「せ、き、」


 隻弥、と名前を呼びたいのに。身体がそれを許さない。

 不可解なほど上がっていく体温が意識を徐々に蝕んで行く。


「依月っ……!」


 依月に駆け寄った隻弥は珍しく狼狽(ろうばい)した表情で、悔しそうに唇を強く噛んでいた。


「待ってろ、すぐに――」


 隻弥は自身の身体も(かえり)みず、瞳の色をカッと赤くした。

 浮かび上がる梵字が隻弥の皮膚を破り、鮮血を流す。


「くそっ、間に合わねぇ!――依月っ!目ぇ開けろ!願えっ……!」



 何を願えば――?


 依月はぼんやりとした意識の中で隻弥の声を聞いていた。


 依月の体内にある禍根はそう簡単に消えるようなものではなく、八衣が放った言葉と禍根が反発し合い、依月の中で暴れている。むしろ、禍根が居なければ依月はとっくに死んでいただろう。

 時間が経てば禍根は勝つ。だが、問題なのは依月の肉体が耐えられるかだった。


 そもそも八衣の術は昇天らしく身体を灰にする作用を持つ。禍根は自身が追い出されまいと抵抗はするが、肉体を守っている訳ではない。依月の肉体が灰になるその前に禍根が八衣の術を食い破ることに賭けるしか、依月が生き残る方法は無かった。


 そして、このままでは依月の傷は身代わりのまじないを掛けてある隻弥に丸々移動して、隻弥の身体までもが灰になる。暴走した八衣は代価を取られる(まじな)いが依月に掛けられている事を、すっかり忘れ去っていた。


「とんでもねぇ事してくれやがった。……八衣、お前……俺が掛けた(まじな)いを忘れたか」


 忌々しげに呟いた隻弥へ、八衣は瞬時に顔を青ざめさせた。


 今更ながら、気が付いたのである。隻弥を守る所か危機に陥らせたと。


 ぶつりと隻弥の皮膚が裂けて、梵字の端が繋がっていく。


 隻弥の出せる能力値を優に越えてしまったせいで、身体に支障が現れた。更には依月から移行された痛みまでもが隻弥の全身をひたすら襲う。

 身体中から噴き出す汗で不快感も半端ではない。歯を食い縛って激痛に耐えながら、それでも隻弥は依月の中に、己の禍根を注入し続ける。乱暴でやさしさの欠片も見当たらない口づけ。唾液でぐちゃぐちゃになりながらも依月の口内へ舌を捩じり込む。


 依月の体内の禍根を増幅させることで術に早く勝たせようとしていた。


 口を離して依月の頬を出来るだけ傷つけないように叩く。


「おい!願えっ!死にたくねぇんだろうが!テメェの禍根に願ってみろ!」


 隻弥は依月を怒鳴り付けた。


 余裕のないその顔色を見た八衣の身体が、がくがくと震え始める。

 これほど焦った隻弥を八衣は何度見たことがあるだろう。今まで生きた年数の中でも、僅か片手で数えられる程度しか目にした事の無かった顔に、震えは一層酷くなった。


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