【結界】
隻弥の後に続いた依月は書庫のような本だらけの部屋に辿り着いた。
隻弥は本棚から一冊を手に取り、そのまま畳に座り込む。
色褪せた畳に食い込んでいる本棚の角を見れば、今にも倒れて来そうな気がした。
適当な本棚に背中を預け、隻弥は手にした本を開く。
その隣に座り込み、依月も隻弥同様におそるおそる背中を預けた。
隻弥の開いた本を見ると、側面は茶色くなっていて背表紙には埃がついている。もしや、と顔を引き攣らせながら首を最大限に捻り、自身の背中を視界におさめると依月はがっくり項垂れた。
「……隻弥、埃が沢山ついた」
「そりゃ良かったな」
「どう考えても良くないでしょ」
「気になんなら外行って落としてくりゃ良いだろうが」
「出たらまた迷うかも知れないし……」
「仕方ねぇな。一生迷ってろ」
ばっさりと切り捨てた隻弥を恨みがましい目で睨んでみても隻弥の視線が依月に向かわない限り、反応は得られない。
数秒待って、それでも視線は向かなかったので依月はあきらめた。
渋々立ち上がって開け放したままの襖を横切り、薄暗い廊下へ出る。
右へ行けばさっきの居間に出るはずだが、左の方が外には近いかも知れない。
屋敷の内部が全く分からないせいで、暫く依月はじっと立ったまま考え込んだ。
「左に真っ直ぐ行け。風呂場の手前に扉がある」
痺れを切らしたのか、隻弥からの助言が届いた。
依月は振り返って隻弥を見たが、視線は本に向けられたままだ。
「分かった。行ってくる」
言われた通りに左へ足を向けて、早足に目的の扉へ向かう。
何でこんなにも屋敷の中は暗いのかと不安になりつつ先を急いだ。
程無くして、見覚えのある廊下に出会う。
速水と歩いたばかりで記憶に新しい風呂場の道程に出た依月は、立て付けの悪そうな扉を発見した。
「これだ」
引き戸になっている扉を少しばかり力を込めて開けようとするも、中々固くて開かない。もう一度グッと力を込めて横にスライドしてみると、力を入れすぎたのか勢いよく開いて依月は前につんのめった。
「危なっ……!」
寸での所で体重を戻しどうにか転けずには済んだものの、身体は外に出てしまい靴下が土色に汚れていた。
背中を向けて外に埃を落とそうとしただけなのに、すっかり靴下のまま地面を踏み締めている。
「あーもう、入るとき脱がなきゃいけなくなった」
溜め息混じりに呟いて、しんと静まった外を見渡す。
まだ昼過ぎだと言うのに屋敷の周りは仄かに暗い。空を見上げて太陽を見ようとしたら、それがない事に気が付いた。
「……」
ぞわっと身体に走った寒気に完全にビビってしまった依月は埃を落とす事も忘れ、屋敷の中をバタバタと走って隻弥の元に戻っていく。
「隻弥!隻弥!」
「あ?」
どたばたと音を立てて戻った依月に隻弥はやっと顔を上げる。
「太陽がない!」
「……おま、依月、靴下脱げ」
「うわっ、あ、ごめん!」
そのまま戻って来てしまった依月は慌てて靴下を脱いで纏めた。裸足になったその足で、隻弥の近くへ向かう。
「隻弥、太陽がないんだってば」
「そりゃあな」
「どういうこと?」
「結界」
「……結界?」
すとんと腰を下ろして依月は隻弥の隣へと再び座り込んだ。
読んでいた本に目線を戻して、ぺらりとページを捲る隻弥。
「屋敷に結界を張ってある。奴等に勝手に彷徨かれんのは好きじゃねぇ」
「隻弥が張ったの?」
「他に誰が張るってんだ」
「……凄いね」
「気持ち悪ィと思ってんだろうが」
依月の心臓がどくんと跳ねた。
図星だと顔に出てしまう依月に隻弥はクッと皮肉な笑みを溢す。
「思って、ない」
「そうかよ」
依月の返事なんてものはどうでも良いといわんばかりに受け流す隻弥へ、少しだけ依月の胸が痛くなった。
嘘を吐きたくないと思ってしまったせいで、言葉が続かなくなっている。
気持ち悪いなどと思っているとハッキリ言える勇気もふてぶてしさもなく、思っていないと堂々と言える面の皮の厚さも社交辞令も身に付いていない。
「隻弥……」
「もう黙れ。鬱陶しい」
「……うん。黙る」
これ以上なにを言えばいいのかも分からないと素直に静まった依月に、隻弥は横目で一瞥を送る。
「速水に遊んで貰って来い」
流石にじっと見つめられているのは居心地が悪かったらしい。
ばっちり視線が合ってしまい、隻弥は呆れ顔で依月を追い出そうとした。
「子供じゃないから、わざわざ遊んで貰わなくてもいいし」
「……」
変な所で面倒臭い。隻弥は更に深い溜め息を吐いた。
時折、ページを捲る紙の音がするだけで、書庫の中は静かった。
いつの間にか眠ってしまった依月は既に埃がついている事がどうでも良くなったのか、埃被った本棚に凭れてうつらうつらと頭が不安定に動いている。
ゴン、と音がしても目を覚まさずに再び首がカックンと動く依月。
見兼ねた隻弥はすらりと腕を伸ばし、依月の身体を横たえた。重力に従って緩やかに倒れた依月の頭部を隻弥は自身の太股に載せた――が、頭の位置が高過ぎたのか、依月は眉を寄せて唸った。
パタンと小さく音を立て、手持ちの本を畳んだ隻弥は僅かに身体を捻り胡座をかいた真ん中に依月の頭をゆっくりのせる。
「――面倒臭ぇガキだな」
ぼりぼりと後ろ頭をかきながら、隻弥は遠い記憶に支配された。
“せきや!”
何度も何度もこだまする幼い声が、鼓膜を刺激して隻弥を責める。
――厄介なものだと、隻弥は顔を顰めて目を閉じた。
忘れられそうにない笑みが、依月と重なり胸を裂く。
「……生きたかった、よなァ」
手のひらに残る、頭を撫でた後の感触。
思わず触れた依月の髪を隻弥は優しく撫でながら、小さな小さな舌打ちをした。
「今更後悔なんざ、するもんじゃねぇ」
眠る依月の頭の上で、隻弥はそう呟いた。




