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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第一幕
11/71

【慟哭】

 


 隻弥の後を追い依月は居間へと足を踏み入れる。

 畳の上に足を投げ出して寛ぐ八衣と煙草を吹かす速水の二人をなるべく視界に入れないようにしながら、隻弥が座った座椅子の隣に気まずそうに腰を下ろした。

 依月を除く大人三人、その三人が醸し出す訳の分からない微妙な空気に思わず顔が俯いた。


「隻弥さん、依月ちゃんのこと迎えに行ったんですか?」


 速水の問い掛けがまるで聞こえていないと言わんばかりに、隻弥は無言のまま新聞を広げて顔を隠す。


「依月ちゃんの(まじな)いに何か反応があったとか?」


 そんな隻弥の態度を気にもせず、速水は飄々とした態度で質問を続けた。

 それでも答えは返ってこない。

 流石の速水も無言の隻弥に困惑を浮かべた表情になり、必然的に隣の依月へ目を向ける事になった。


「依月ちゃん、襲われそうになった?」

「……そう、かも知れない。分からないけど、昼休みになってから急に黒い(もや)みたいなのが増えて」


 説明しようと依月が顔を上げると、鋭い視線が飛んできた。

 速水の隣で足を伸ばし、壁に背中を預けて座っていた八衣が文句でも言いたげな顔をする。


「何ですか」


 普段の依月なら見なかったふりをしただろう。

 けれど、八衣の態度に妙に苛立ちを感じてしまうのは、先ほど唐突に失礼な事を言われたせいでもあった。


「ちょっと待って。反応ってどういうことよ。まさか、守護の(まじな)いじゃなくて身代わりの(まじな)い?」


 怒気を(はら)んだ声色で八衣は依月を睨み付ける。


「私に聞かれても知りません。速水さん、(まじな)いって?」

「あー……っと、隻弥さん。話して良いんですか?」


 さ迷う視線が隻弥に向かう。


「……好きにしろ」


 じろりと八衣を見た隻弥はどうでも良さそうに速水へ答えた。


「まぁ、(まじな)いって言うのは、人を災厄から助けたり人を災厄に陥らせたりするものだよ」

「災厄に陥らせるって、(のろ)いとは違うの?」


 依月の疑問に対して、速水は浅く頷いた。

 立ち上がって、部屋の隅に置いていた鞄を手に再びテーブルに戻ってくる。

 鞄から取り出した手帳を開き、速水はすらすらと文字を書いて依月に見せた。


(のろ)いはこの字で判別しよう。呪詛(じゅそ)()って覚えて。(まじな)いと詛いは意味が違うんだ」


 懇切丁寧に教えてくれる速水に依月は素直に聞き入った。

 それを面白く無さそうに見つめている八衣も隻弥の手前、やたらと声を荒げる訳にもいなかった。


「依月ちゃんに掛けられてる(まじな)いは、かけた術者にかけられた人の異変を教えて危害から助けるようなもの。ただ守護するだけじゃない方法なんだけどね。隻弥さんが掛けたんだ」

「……隻弥が?いつ?」

「ほら、依月ちゃんが迷子になった時」

「全然気付かなかった」


 言われて初めて気が付いた依月は自身の両手の平をしげしげと見つめ、(まじな)いを掛けたという隻弥に視線を向けた。


「隻弥」

「あ?」

(まじな)いのおかげで私は助かってたってこと?」

「――そうだな」


 思い返す必要もないくらいに、脳裏にこびりついていた。

 ぱちりと小さな音を立てて、赤錆の光に弾かれる九十九。

 ついさっき依月が感じていた恐怖を少なからず減らしてくれた赤茶に近いあの光が、隻弥の掛けた(まじな)いだった。


「ありがとう」


 罪悪感を抱く。

 隻弥の存在を怖いと思いながら、その隻弥に助けられている罪悪感。

 隻弥が居なければ、またしても自分は死んでいたかも知れなかった。


 黙って聞いていた八衣がわざとらしく壁をどんと叩く。


「代価のある(まじな)いを掛けたって……隻弥、どういうつもり?」

「お前には関係ねぇ」


 即座に否定され八衣はつり上がっている目を更につり上げながら、依月へと矛先を変えた。


「あんた意味分かってんの?代価の必要な(まじな)い掛けて貰ってるのに、ただ“ありがとう”じゃ済まないんだけど」


 冷たくも攻撃的な言い方で八衣は依月に突っ掛かる。


「隻弥があんたにかけた身代わりの(まじな)いってね、自分の身体に(あと)残すの!隻弥の身体にあんたが受ける筈だった傷を移すのっ!あんたが肉体的に負うことになるはずだったものが隻弥に行くってこと!わかる!?」


 悲痛な声で八衣は依月に刻み付ける。

 正しい(まじな)いの知識を、隻弥が負った傷の理由を。



 依月の頭に浮かび上がる、火傷だらけの隻弥の腕。

 (ただ)れたように赤くなり、皮膚の表面が剥がれていた。

 小さな火傷がくっついたような、痛々しい腕の傷。


「――いま、隻弥があんた身代わりになってんのよ!?あんたが狙われる度にね!」


 突き付けられた事実は、決して依月に優しくない。


 苦笑しながらも何処か楽し気な速水、我関せずと覇気のない目で新聞を読む隻弥。断罪するように依月を追い詰める八衣の口調。


 心の中で、嘲笑う声がした。

 どこに行っても居場所なんてないんだと、お前は邪魔な人間だと、そう言われたような気がした。


「なら、」

「何よ」

「それなら、何で見捨てなかったの!?いらないなら助けなきゃ良かったのに、何で生き返らせたりしたの!?」


 そんな事が言いたかった訳じゃない。

 そう思いながらも、依月の言葉は止まらなかった。


 八衣が面食らったようにぽかんと口を開ける。


(まじな)いなんていらない!別に私が死んでも誰も困らないし!助けたのは隻弥でしょ!?」


 八衣にキレたはずなのに、依月の苛立ちは隻弥へと向かった。

 溜まっていた疑問や不満が爆発したように溢れて来る。


「訳分かんない事言われて、訳分かんない事になって、妖霊とか九十九とか意味分かんないものに狙われて!挙げ句の果てには知らない女から睨まれるし!」

「はぁ!?知らない女ってもしかしなくてもあたしのこと!?」


 八衣の抗議にも耳を貸さず、依月は隻弥だけを標的にした。

 依月から喚かれている隻弥は素知らぬ顔で湯呑みを(すす)る。


「何で、助けたの。見たくなかった!九十九なんて、見たくなかったのに!」


 叫ぶように言った依月へ、隻弥は静かに目を向けた。

 ゆっくりと依月の顔を見つめて、怠そうに首を傾ける。


「お前、死にたくねぇんだろ?助けろって言ったよなァ」


 死にたくないと願ったのは、他でもない依月自身だ。

 それがわかっているからこそ、行き場のない不満が溜まった。

 そうして今、爆発した。


 冷めた目で依月を見据え、隻弥は着流しの(たもと)に腕を入れる。


「――ありがとうってのは、嘘か」


 がっかりした、とでも言うように。


 隻弥は依月から目を反らした。


 興味なさげに天井を仰ぎ、無気力なまま座椅子の背凭れに身体を投げ出す。

 隻弥が依月から視線を反らしたその瞬間、依月は言い様のない不安に駆られた。見捨てられる、見離される、瞬間的に抱いた気持ちは依月の身体を突き動かす。


「嘘じゃないっ!」

「……」

「嘘じゃなかった!私、死にたくないってあの時思った!助けて貰った時も、本当に本当に感謝したよっ!」


 必死に思いを伝えようと足掻いても、全ての気持ちは伝わらない。


 どうすれば感謝した思いと安堵した気持ちを伝えられるのだろうかと、酷くもどかしくなりがらも依月は懸命に訴えた。


「隻弥に助けて貰ったこと、感謝してもしきれない。だけど、やっぱり、生きてるのが辛いままだった!やっぱり生き返っても私は独りぼっちだった!」


 家族が大好きで、大事だった。

 自分の居場所は家なんだと思いたいのに、やけに他のものが目につく。


 使われなかったベビー服、新品の玩具に新生児用の未開封のおむつ。

 妹を流産して、落ち込んで、立ち直って、前を向けているはずなのに依月の家の至る所には傷跡が残っている。


 処分しようとしない両親、それを見てみぬ振りをして幸せな日常を作るために笑う自分。


 気遣われる毎日は、幸せで幸せで幸せ過ぎて苦しかった。


 学校では爪弾き、お昼ご飯も一人きり。

 教師もクラスメイトも距離を置き、依月は孤立するしかなかった。かつて同級生だった友人も、学年が一つ下になった依月にわざわざ会いに来たりはしない。


「お前は俺に何を求めてんだ?あ?もう殺してくれって言いてぇのか」


 鋭くなった隻弥の眼光に、負けじと依月も真っ直ぐ見つめる。



 生きたかった、死にたくなかった。

 けれどもそれは、九十九が居ない世界でだった。

 そして、生き返ったから、何かが劇的に変わると勝手に期待を抱いていた。

 世界がそんなに優しくないと、依月はとうに知っていたのに。

 依月が一度死んだ事を、周りは誰も知らないのに。

 それでも何かが変わるんじゃないかと、愚かにも期待してしまった。


 それはやがて、落胆になり、仕舞いには隻弥へ理不尽な怒りを抱かせた。


 変わろうと努力していた依月を受け入れなかったのは“環境”だ。

 変わる事を諦めた依月は一層ひとりぼっちになった。


「隻弥……」

「鬱陶しくて堪んねぇ。助けたのが間違いだったか。――気紛れは起こすもんじゃねぇなァ?」


 呆れ返った隻弥の首に、依月はゆるりと腕を回す。


 とんでもない行動だと依月自身も理解していた。それでも伝わらない思いに歯痒くなった末の行動だった。


 突然首回りに抱き着いた依月に隻弥は数回瞬きをして、驚きの色を双眼に浮かべる。

 速水のヤエも驚きのあまり口を出せないでいた。


「何だってんだ……。面倒臭ェ奴だな」

「責任、とって」

「あ?」

「九十九が見えるようになったのは、隻弥の力を受け取ったせいなんだよね」

「そうだよ、依月ちゃん」


 速水は絶妙なタイミングで依月の言葉を肯定した。


「だったら、隻弥が責任とって。九十九から助けて、独りぼっちにしないで」

「……知らねぇよ」

「助けてくれた事には凄く感謝してる。だけど、見えるようになった事は隻弥のせいなんだから、このさき九十九から助けてくれたって良いんじゃないの?」


 道理が通っていない事は承知の上だった。

 依月の主張は隻弥への“親近感”があるからこそ成立しているようなもので、それが無ければ素の依月はこんな事は絶対に口にしなかっただろう。


 ジッと見つめる真っ直ぐな瞳に狼狽えた隻弥は後ろ頭をかいて、諦めたようにそっぽを向いた。


「分かった。助けてやるから離れろ」

「独りぼっちにしないって言って」

「……どうすりゃ独りぼっちになんねぇんだよ」

「隻弥が私の名前を呼んで傍に居てくれる限りは、たぶん独りぼっちじゃない」

「……お前」

「うん」

「名前何だ?」


 真顔でそう口にした隻弥に依月は思わず顔をしかめた。

 人の名前も覚えていない、やっぱり最低な男だと。


「……安西依月」

「依月。依月な。ほら退け、邪魔臭ぇ」


 隻弥の膝に乗っかっていた依月の背中を数回叩き、隻弥は余りにもぞんざいな態度で依月をそこから退かせた。


「隻弥」

「何だよ」

(まじな)いは解いて。身代わりになんかなって欲しくない」

「――そういう所が被んだよ」

「え?」

「何でもねぇ」


 立ち上がった隻弥は襖を開けて早々に外へ出て行った。


 依月がその背中を追い、隻弥と共に居間を出る。残された速水と八衣は示し合わせたかのようなタイミングで顔を見合わせる。


「あの子……、やっぱり那央の仕業?何であんなの連れてきた訳?」

「さぁて、八衣はどう思う?」


 面白おかしく笑みを作る速水に対し、八衣は怒りに歪んだ顔を崩さない。


「隻弥とあの子をどうにかするつもりならあたしが絶対邪魔するから」

「どうぞ。でも、俺は依月ちゃんに賭けてるんだ。隻弥さんを変えてくれそうな気がする」

「また隻弥に負担を掛けるかも知れないのに、そんな子放っておけって言うの?」


 隻弥を案じる八衣の瞳は曇りもなくまっさらだった。

 依月を隻弥に宛がおうとしている速水の瞳は薄暗く濁っている。


 それでも、どちらも隻弥をどうにかしたいと願っている。やり方は違えど目的は同じ、企みを秘めた瞳だった。



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